佐野白羚の文筆武者修行

佐野白羚による随想ならびに読後録(「蟄居汎読記」「書脈録」)を不定期掲載

ベルクソン『時間と自由』(中村文郎・訳 岩波書店)

キーボードの前にチンパンジーでも座らせて「無限の時間」むちゃくちゃに叩かせると、そのうち必ず『ハムレット』と全くおなじ文章列が出来上がるだろう、という話がありますね。ピアノの前でむちゃくちゃ弾かせていればいずれショパンノクターンが演奏される、みたいなバリエーションもたまにはあってもいいとは思うのだけれど、ともかく、こういうちょっと遠大な小話は、前提がやや機械論的過ぎて粗削りなのだけれど、思考実験としてはなかなかよく出来ている。

どうしていきなりチンパンジーの『ハムレット』なのだろう。ベルクソンとはほとんど関係ないのに。きっとどことなく無限感覚に浸りたい気分だったのだ。こういう切り出したかでないと哲学者などとても語れない。どうかすると、ベルクソン哲学の代名詞みたいになっている「純粋持続」の把握は、「無限」という言葉に対するのと同じくらい、直観に依存しているのではないかな。

いったい哲学者の直観言語というのは、とてつもない知的体力を要求するものだ。「善のイデア」「エランビタール」「現存在」「現象学的還元」「もの自体」「運命愛」。どれもこれも重量級で異様な魔性を帯びている。「無限」というのも、重い。

「無限」と聞くと、なんとなく人は「ああ、あれね」で済ませてしまう。けれども、これではまずいのだ。こうした惰性的な受容の仕方は、非常にまずい。知性の怠慢では済ませられないくらいにまずい。回転し過ぎた回転鮨よりもまずい。

「無限」とか「無」という言葉は、その流通性の高さのために、人を無残なほど錯誤させる。「それ」について何も分からないからではなく、まるで分っていると思う点で激しく錯誤なのだ。もっといえば、そうした「観念」を無感動に平然と受容してしまうこと自体が、すでに間違っている。「無限」も「無」も、「うん、そのことならもう知っていますよ」みたいな調子で受け流せる問題ではないのに、人々はあたかも前々からその問題を解決したような気になっている。何も解決していないのに、解決したつもりでいるのだ。これは考えられるかぎり最悪の受容法である。

「無限の時間」とは何か、と問う。問いの衝動。「無限の時間」。限りがない「持続」。はてしなく何ごとかが「持続」していくこと。これは「凄まじい」ことではないですか。おそろしいことではないですか。もうなんだか気違いになって嘔吐しそうな「こと」ではないですか。

反復であれ展開であれ、なんらかの「ある」が持続していくこと。これは人間の知的範疇の埒外にある現象だ。「何ものかが無限にあり続ける」この言辞化不可能な茫漠感覚は、どこに落ち着けばいいのか、私も皆目分からない。無限というデフォルト。眼の前の何らかの世界は無限に変遷する。「消滅」は考えられない。「無」など疑似観念です。それはひとつの章の句読点でしかない。何かが何らかの変遷によって消えれば、その代わりの何ものかが生じる。実はこれ、大変な問題なのですよ。何かが永続してあり続ける。あり続ける、というのは、想像の勢力圏外の話だ。

ついでにどうでもいい話をしましょう。私は「無限」マニアというか、この何だか途方もない量的概念がむかしから大好きだったので、いまでも「無限級数」とか「無限後退」とか「無限集合」などと聞くと、ちょっと昂奮してくる。債務関係の用語にある「無限責任」というのもいいね。「無限」は果てしがないのだから、おそらく思考内では表象不可能で、できるのはせいぜい驚愕し直感することくらいだ。驚愕し直感するしかない概念など、実は、そう多くはないのだ。

 ヘーゲルは「無限」を悪無限と真無限に分類したけれども、私は、どんな単純な「無限」であれ、私はそれを感じ取るだけで猛烈に圧倒されてしまうのだ。この壮絶な圧倒感は小賢しいだけの理性的言辞が及ぶところではない。「無限」は説明されるものではなく、知性を沈黙させるものなのだ。この思考停止の沈黙、取り付く島もない強烈な超知性的経験こそが、あらゆる哲学的マインドの発端であると、私は思う。高密度の感性と高度の言語運用能力を併せ持った生き物は、把握しえない物事を前にして、その根源を問う。どうにもならないと知りながら、問わずにはいられないのである。人間知性の条件は、まず哲学への可能性にあると言ってもいい。大学で食い扶持を得ている「哲学者」だけが「哲学」をしているのではない。カントとcunt(女陰)の区別もできないような田吾作でも、心の奥底には哲学的マインドがひそんでいる。ただそのマインドは、不幸にも、ほとんど芽生えることはない。この「なぜ」の問いから縁遠い生涯を送らねばならないのは、残念なことだ。いいお節介なのだけれどね。いずれにせよ、「いま俺は世界の舞台裏を垣間見た」「一秒先も予測できない絶対未知の場所に自分は投げ出されて存在しているのだ」「いま僕は宇宙の脊髄に触れた」と叫んでしまうほどのあの快楽が、生理的快楽とは別種の極めて特異なものであることだけは確かなのだ。

哲学は、思考技術や知識である以前に、ひとつの感じ方、ベルクソンに言わせれば、「なにか単純な、無限に単純な、並はずれて単純なために」どうしても上手く言えないようなものを感じ取ることだ(『思想と動くもの』「哲学的直観」河野与一・訳)。

 哲学者は、何か不可知な観念に打ちのめされている。何ごとにも打ちのめされていない人間は、哲学研究者にはなれても、哲学者にはなれない。哲学者と哲学的マインドは絶対に切り離せない。パンを焼けないパン屋の存在がジョークであるのと同じように、哲学的マインドを生きていない哲学者は、ほんらい存在してはならないのだ。

哲学的マインドについての持論はいくらでも展開できるけれども、いまは一応ベルクソンの本の話をしているわけだから、このへんで自制しないといけない。

 

アンリ・ベルクソンの博士論文である本書『時間と自由』(原題は「意識の直接所与についての試論」一八八九)について、不可能と乱暴を承知であえて一口で要約するなら、生の時間は純粋な持続そのものであるから直観でしか把握できないよ、ということ。

科学の扱う知性言語は、どうしても質を量化し、時間を空間化させてしまう。たとえば、何メートルとか何グラムとか、やたら数字や単位をつけたり分節したりして、眼の前の世界を知的操作可能な対象に変えていく。ベルクソンは論考のなかで等質空間というものの弊害をしつこいほど指摘している。等質空間というのは、科学の方法が伝統的に想定している場のことだね。科学的な空間把握においては、ロサンジェルスもモスクワも宇宙の果ても、質においては何も変わらない。物理空間として抽象された場は全て無条件に同質なのだ。そんな等質空間の直観がなければ、幾何学は成立しないし、ロケットの打ち上げに必要な計算もままならない。

面白いというか新鮮なのは、ベルクソンがここで、等質的空間の直観が人間にとって社会生活への第一歩であると書き加えていることだ。

 

「動物はおそらく、私たちのように、自分の感覚のほかに、自分とは区別される、あらゆる意識的存在の共有財産たる外的世界を思い描くことはしないだろう。このような事物の外在性やそれらの環境の同質性をはっきりと思い描く傾向性は、また、私たちに共同生活を営ませ、話すようにさせる傾向性である。しかし、社会生活の諸条件がより完全に実現されるにつれて、意識状態を内から外へ運ぶ流れもまたいっそう強化される」(第二章)

 

なかなか括目に値する指摘と思いますよ。訳文なので三回ほど読まないと脳味噌に沁み込んでこないけれど、彼の言いたいことは分りすぎるほどよく分かる。「共有財産たる外的世界」を持つことで人間は複雑な組織力や共同力を持つようになった。いっぽうで、こうした等質的空間の共有は、本来生きた躍動をしなければならない所与意識を抑圧し疎外することにも繋がった。つまり何かを得れば何かを失う、ということなのだ。

共同生活の営みは、「言葉」なしではありえない。「言葉」の極ありふれたやりとりを考えてみれば、彼の言う「外的世界」の価値がよく分かる。

「獲物が近くにいるようだぞ」「お前は後ろに回れ」なんて単純なコミュニケーションにおいてさえ、それが成立するためには、「獲物」とか「近く」という言葉のニュアンスを巡って、ある程度社会的合意を形成している必要がある。そうした言葉が自分固有の内的言語であってはならないのだ。二人以上の言語関係は、等質的空間のなかでしか機能しない。多くの人間が協力してやっていくためには、自分の規定しがたい内的質感を、共同体の「記号」として扱わねばならない。

ベルクソンにとって大事なのは、私どもの知覚や情動や感覚が、常に二重の相のもとにあらわれるということだ。ひとつは「明瞭で、精密だが非人格的」、もうひとつのほうは、「混然としており、無限に動的であり、その上、言表不可能」。なぜ言表不可能なのだろう。「言語は、それを捉えようとすると、必ずその運動性を固定してしまうことになるからであり、かといってそれを自分のありきたりの形式に順応させようとすると、必ず共通領域のなかにそれを墜落させることになるから」だ(第二章)。

 どっちにしたって、人間の言葉はおよそ「生」から遊離する傾向がある。無限の動的性質や混然たる異質性は、どうしても手放さなければならない。「社会人」であれば尚更だ。大人の階段をのぼるということは、めいめいの自己に固有だった異様な活動性を、言葉の無難な流通市場にうまく適応させるということだ。

それにしてもベルクソンはシャープなレトリックを駆使しつつ「言語」を沢山を語るのだけれど、言っていることは極めて当たり前のことなのだ。繰り返しになるけれども、哲学者は、「単純すぎるあること」をきちんと語ろうとするために、却って苦労する。挫折する。哲学者の言葉がときとして「難解」に聞こえるのは、言っているや議論していることがいちいち「当たり前すぎる」からなのだ(もちろんなかには本当に分りにくい思索内容もあるのだけれど)。

わたしたちは自分の内側の固有の異質性よりも、外在的な共有世界に身をまかせて生きている。どうですか。考えてみれば当たり前のことでしょう。だいいち、わたしたち人間、という呼称そのものが、社会生活の典型的産物なのだ。ありのままの、所与の意識の、絶え間なく変遷する生の感覚は、人間にあってはほとんど封印されている。そうした本源的な感覚は、「常識」や「共通言語」の枠組みから成り立っている社会生活においては、不要であるばかりか危険なのだ。人間は「内部にある持続」、この「数とは何の類似性をもたない質的多様性」を手なずけて、可もなく不可もない微温的世界に適合させている。無規定で停滞することのない生来の運動体を、「社会生活」という型に当てはめる。ベルクソンは別のところで(「哲学的直観」前出)、そうしたスクリーンをもっと遠くへ押しやって、「厚みがあるばかりでなく弾性的な現在」をとりもどそうと声高に叫んでいる。すべての事物を「持続の相のもと」に見る習慣をつければ、「われわれの鍍金がかかった知覚のなかで、こわばったものが緩み、睡がっているものが眼をさまし、死んだものが生きかえる」と。この狂熱性と文学性、日本の堅物みたいな「哲学者」像からみれば、かなり哲学者ばなれした印象を受ける。尤も元来哲学はパッションから入り込むものだから、詩的言語とは親和性が高いのだ。ニーチェの文章にもハイデッガーの文章にも文学臭が強く出ていることを思いだしてほしい。

そういえば、哲学者でありながらノーベル文学賞を得た人物を私は三人しか知らない。ドイツのルドルフ・オイケン、イギリスのバートランド・ラッセル、もうひとりがフランスのアンリ・ベルクソン(今更だけれど、ベルグソンと表記されることもある)だ。のちに同国からはもうひとりジャン・ポール・サルトルという人も受賞が決まったのだけれど、なにやら小難しい思想的理由から辞退している。

ベルクソンは一流の「名文家」として誉高い。それでいながら彼は終生言葉の性質を警戒し続けた。哲学と言葉は相即不離。妙な屈折も意外な解釈も、ぜんぶ言葉の運用に依っている。

「哲学的方法の第一歩は、ことばが現実をその本来の屈曲に沿って切り分けているかどうかを問うこと」なのだ。

何に付け事物を根底より考える人は、この言葉を胸に深く刻みつけておくことですね。

 

時間と自由 (岩波文庫)

 

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すくなくともイソギンチャクやウミウシは「私たち」という言語的共同意識を発達させてはいない。個体が遺伝子の便利な乗り物になって繁殖したり捕食しているだけだ。生物として生き残る諸機能は非常に高度だけれど、内側から象徴や表象体系を外在化して相互にコミュニケーションする「傾向性」からは、縁遠い。思想

 

団鬼六『美少年』(新潮社)

美少年とは何か。これは極めて難しいけれど大変麗しい問題だ。一度は落とし処をさぐっておきたいテーマでもある。

ただ、美少年を思想のように語るのは間違っている。鼻や顎にノギスを当てたり人体は本来何等身が美しいのだなどと美学談義を始めるのも間違っている。ミケランジェロとかレオナルドダヴィンチの作品をやたら援用して論じたてるのも間違っている。昔の美輪明宏羽生結弦がどの程度美少年であるかなどと評定まがいの俗談を始めるのも間違っている。間違っているというよりも、ひどく野暮におもえるのだ。そしてその野暮なことをこれからやろうとしている。 確かに「美少年」という存在者はむかしから人間の理想美を観念的肉体的に担って来たのであって、それだから、美少年が何であるかを考えることは、最高に素晴らしく甘美なことだ。 私は長く美少年を「中性美」の結実と考えていた。発想はやや荒削りだけれど、いまも概ねそんなふうに考えている。 性の生物学的未分性ではなく(少なくとも実在する美少年は生物としては男だから)、性の象徴的未分性が美少年を美少年たらしめていると思うのだ。男であれ女であれ、性というものは、どちらかといえば、美しくない。醜悪でさえある。ある種の偏見はときどき事実を開示する。性が性でありながら、不思議な矛盾を孕みつつ、一つの稀有な身体美のなかで和合するときに、性は否定的でないものになる。象徴的に男でも女でもない色気、分裂以前の名残、両性の魅力を奇妙なバランスで包み込んだ「中性美」が現出する。この美しさは実に果敢ない。本来実在しえない「性表現」だからね。象徴美というのは、そのような次元で感じ取られる快楽なのだ。

象徴的、いや便利な言葉ですね。なんだか言葉で言い表せない精妙な部分を見事に誤魔化してしまうような言葉だ。美少年はたしかに「象徴的な中性美」とでも言いたい何かを体現しているのだ。男の色気と女の色気を両方備えているというより、そうした区別さえ無意味であるような色気、存在そのものの端麗な色気が、美少年の身体を包み込んでいる。美少年の美しさは(こうした同語反復は悪くない)、罪のない美しさではないかな。罪のない、というのは、だいたい、無垢なということだ。女形の色気と言ってもいいのだけれど、それは決して粘着的な「妖艶」さの対極にある色気であって、むしろ「可憐」といった方がいい初心で新鮮なものなのだ。身体そのもの美しさ。その色気は蠱惑するのではなく、脱力させるものだ。彼の姿を見ることによって人はしばらくのあいだ形而上的幸福に浸れるのである。美少年とは何よりも、存在そのものが一つの矛盾であって、類い希な「美的人間経験」なのだ。プラトンが『パイドロス』のなかでソクラテスの口を借りて情熱的に語っているあの美的観照論は、神々しいばかりの美少年なしにはありえなかったのだ。美少年は人間身体が表現できる最高級の美的範型を内に含んでいる。どれだけ冷静になってみても、この美しさは明らかに天上的な価値を宿している。だって「美少年」という字をみただけでも何だか幸せな心持ちになるでしょう。いわんや眼の前にありありと現れたとするならもう堪らないのですね。目の保養などはなく、眼の至福、脳髄の至福なのですよ。美少年がこれほど人を幸福にしてきたのは、人間のなかに何らかの人体的均整志向が根深くあるからだと思います。「ああ清楚で綺麗な人だな」と思う美的経験は、個人的嗜好領域を相当超えるものなのだ。

仮に美少年文学というものがあるとして、その横綱を敢えて決めるとする。文学史の地平は渺茫として見渡しがたいので、時代域はとりあえず十八世紀以降ということにしておくか。なんでか。直観以外にない。後付けで理由を探すなら、ジャン・ジャック・ルソーの『告白』が出版された辺りが近代的リアリズムの草創期だろうから。「文学史」とか「東西」という枠組み自体が多分に「西欧的」発想なのだけれど、方法でも内容でも向こうの方が明らかに成熟しているのだから仕方がない。なんにつけ尺度は全て舶来物なのだ。

往々にして選考というものは独断と偏見の支配する世界だ。

西の横綱は誰が何といおうと『ヴェニスに死す』でなければならない。トーマス・マン。この人の作品には美しい青年とか少年とかが中々良い具合に登場する。『トニオ・クレ―ゲル』や大河小説『ヨーゼフとその兄弟たち』も隠れた美少年文学といえそうですね(私が挙げられるくらいだから隠れてなどないか)。とくに少年ヨーゼフの描写は当時ノートに写し取ったくらい素晴らしかった。「先生、美少年がお好きなのですね」というあのときの気持ちは何と言い表せばいいのだろう。 ただヴィスコンティの映画はいけない。あれではちっとも愛らしくない。作家を作曲家にしたり、マーラーの抒情溢れるシンフォニーを流すあたりはいいのだけれど、やはり美少年という理想は公に具現化できないのだな。 いうまでもないけれど、文学の映画化作品の九割以上は何らかの失望を起こさせるものなのだ。めいめいが頭に描く像は全部異なったものだから。ことに美人や美少年となると事態は決定的だ。原作を愛読してきた文学少女が「赤毛のアン」のアニメをみてガッカリしてしまうのとは、ちょっとわけが違うのだ。 大関はもう面倒くさいのでコレットの『シェリ』にしておこう。『ドリアン・グレイの肖像』とかシェイクスピアソネットも脳裏を過ったけれども、前者は耽美色と退廃色が強すぎるし、後者は大時代だし情熱的に過ぎる。

東の横綱はどうするか。文学的視野の狭い私だから、東といえば日本以外では考えられない。それでも、ほとんど思い浮かばない。個人的に、上田秋成の『雨月物語』にある「青頭巾」は自分の好みによく合うのだけれど、あれは稚児を失った坊さんが悲痛の余り鬼になるという筋だったから、「美少年文学」の範疇に入るのか、悩ましいところではある。光源氏はずっと前の人物だし、西鶴も今回の時代範囲には入ってこない。 近現代では、何があるか。三島由紀夫と森茉梨は嫌いだから、あまり選びたくない。稲垣足穂は美少年文学というよりも美少年論を展開した人だから、ここには入れにくい(もちろん『少年愛の美学』という晦渋きわまる労作希書の価値は大いに認める)。横溝正史の『蔵の中』はただ単に綺麗な少年とその姉が登場するだけで、ヴェニス的な詩情には乏しい。いったいにトリック重視のミステリー作品は純文学とは比肩しえない。このごろ私は「純文学」という高踏派の領域がやはり必要であるらしいことを頻繁に痛感するのだ。

いろいろ候補を挙げつつ熟慮に熟慮を重ねた末に、東の横綱はエロ文豪・団鬼六の中編「美少年」に決めた。題名からしてそのまんまだけれど。もうこれでいいでしょう。美少年がここまで生々しく小説化された例は、同時代では他に思い浮かばないのだから。 一体これの何が気に入ったか。まちがってもその残酷さではない。随処の描写により、作者が「美少年」の本質を理解していると直観したからだ。具体的には書けないけれども、一口でいうと、「男であるにもかかわらず~」という色気とそれに伴う美的快楽がどのようなものであるかがよく書かれていた。 美少年は舞踊界の宗家の御曹司ということになっているけれども、そうした設定はこの作品に絶対必要なものとは思わない。べつに魚屋の息子でも悪くない。まあ、むかしの大学生は今よりも裕福な家庭の出だったということでしょう。けれども、最後にボロボロにいたぶられて自殺してしまうその壮絶な「落差」のカタルシスは、それが「美少年の御曹司」でなければ起らなかっただろうな。 あと表紙にある美少年は描かない方がよかったね。やっぱり美少年はイメージするしかないよ。ただこの作品をもとにした小野塚カホリの漫画は素敵な出来具合で、私もかなり夢中になって読んだ。この作品も好きな人は読んでほしいですね。 あと大関はどうだろう。もう誰でもいいよ。 思ったより美少年文学は少ないのだな。 いささか残念ではある。となると自分がきっと書かねばなるまい、ということだ。まだ表現されていない美少年像は沢山ある。美女など美少年に比べれば、どうでもよいのだ。AKB48など最初から問題にならない。

美少年 (新潮文庫)

小松和彦『日本の呪い(「闇の心性」が生み出す文化とは)』(光文社)

日本史の古層を掘り下げてみれば、さまざまな「呪い」の痕跡がある。桓武天皇の遷都、犬神憑き、崇徳天皇菅原道真の怨霊、丑の刻参り、「呪詛」の染み込んだ項目は存外少なくないようだ。怨霊とか呪詛などというと、いわゆる「トンデモ本」の守備範囲みたいに思われかねないけれども、現代に固定されたカメラをずっと引いて人類史全体を見回してみると、呪いの感情が生々しく実感されていた期間の方が圧倒的に長いのではないかと思う。 いまだって、「呪い」の感覚は形をかえて根強く残っている。 婚礼で「お開き」とか言ったり受験生の前で極力「落ちる」などと言わない忌み言葉の慣習、4と9の付く部屋番号を作らない社会合意の例などはむしろ通俗化したステレオタイプの例であって、私が思っている現代の呪いは、後でも触れるけれども、あの「何となくの疚しさ」のなかにある。 ある人に途轍もなく「悪い」ことをして、法的には何の問題もないのだけれど、いつもそのことを思い返すたびに「良心」が疼く。この種の疼きを知らない人はきっと少ない(「良心」とは何かという伝統的な哲学問題はこの際パスしましょう) もう二度とその人間とは会わないとしても、やはり疚しいのだ。この疚しさはドライな因果律では説明できない。 この「疚しさ」は、物理的距離や社会的制裁コードを越えた、「ある不合理な怨念」に対する不安に根差しているのではないか。そう思うのですね。 よほど鉄面皮な人でない限り、「お前の子孫代々を絶対に呪ってやるからな」などと真景累ヶ淵みたいな台詞を正面切って言われたら、ずいぶん寝覚めが悪いでしょう。たとえ憎悪の末の虚勢であっても、「呪い」の言葉は人の肝胆を寒からしめるのに十分なのだ。それだからそれは本当に大事なときに取っておくといいね。年百年中人を呪っていると、肝心な時に人を恐怖させる迫力を失ってしまう。呪いの最大の機能は、この根拠のない「鬼気」にあるのかもしれない。そこまで俺は嫌われているのか、というショックは並大抵のものではない。古傷となってじわじわ内部に浸透する。

聖人ならぬ「ただの人」であってみれば、生まれたその日から愛憎みなぎる複雑な人生喜劇の渦中に投げ出されるわけで、そうなってくると当然、かりに彼彼女がどれほど穏和で無邪気で愚鈍のカタマリみたいな人間であっても、一人や二人の人間を呪い殺したくなった瞬間がこれまでに必ずあったはずだ。 人間は祝福よりも先に呪いを与える。感謝よりも先に裏切りを覚える。快楽よりも先に不快を感ずる。喜びよりも痛みの記憶の方がずっと深く脳に刻まれる。 ほとんど全ての人間にとって、他者を悪く言ったり憎んだりするくらい簡単なことはないし愉快なことはない。 人間はそんな動物なのだ。とりわけ多情多感の俗人は。

人間は呪いの情動を常に持て余してきたので、ついに文化的装置のなかに取り入れて洗練させることを覚えた。呪いのシステムを所有するほど、人間は呪いが好きなのだ。

一口に呪いといっても、古今東西、民族的・国家的・個人的色々なフェーズで色々の呪いがある。その動機や内実も同じくらい複雑だ。 ツチ族フツ族は今でも大なり小なり呪い合っているだろうし、パレスチナを無理やり追い出されたアラブ人はたぶん今でもイスラエル人を呪っている。子どもを誘拐されて殺された両親は犯人を生涯呪うだろうし(死刑さえ復讐にならない)、ヤリチン男に弄ばれた末に捨てられた純真女は呪いの無言電話を手を変え品を変え掛け続ける。最近話題をさらった「日本死ね」のブログのなかにも呪いの成分が多分にある。 人間はその気になれば、神や歴史や自分の運命そのものを呪うことだってできる(『ヨブ記』前半のヨブの叫びは呪いそのものだ)。生きている人間はどうしても呪いの呪縛から自由になれないらしい

あるエスタブリッシュメントを想定しよう。彼がいかに八面玲瓏の人格者(筆者注・そのような人間の実在はこれまでのところ報告されていない)であっても、その地位につくまでに出世競争から落とされた人びとが夥しいほどいる。会社経営者の場合は人件費削減のために「本当はやりたくないこと」もしなければならない。 そうなってくると呪いに由来するケガレを一番祓わなければならないのは、人の上に立つ人々だ。世間をみわたせば、組織で一線を退いたあとに急いで御払いを受けたり、財を成した老人が俄かに信心深くなったり、進んで慈善団体に寄付したりする例が意外と多い。きっと自分の過去を想い返してみて「そこはかとなく」疚しい気分なので、死に際の偽善を以て全力で償いたいのだ。死後は誰にとっても謎だ。不安極まる経験だ。どうしても報われたい。生前の悪事や不義理のせいで恐ろしい罰を受けるのは嫌だ。 あの財閥のフッガー一族の人びともそうだったのだろうけれど、蓄財に成功した人間が死に際になって莫大な寄付を行うのは、それほど珍しいことではない。中世的観念では、過度な蓄財は合法ではあっても、決して「好ましいこと」ではなかった。なにかしらの「疚しさ」を伴うものだったのである。 ここまで見て来た「呪い」に対する漠たる不安と、今わの際での大型寄進は、無関係ではない。突き詰めていえば、どんな規模のものであれ、寄進や告解や禊や断食や鎮魂祭の背後には、「生きているという巨大な疚しさ」があって、人間はこの「疚しさ」を種々の文化的システムを通して代々解消しているのである。

繰り返すけれども、この社会ではいっぱんに、地位の高い人ほど他者の恨みを買っている。偉くなればなるだけ、一身に受ける呪いと憎悪の総量が増すのである。だから柔ではいけない。神経質ではいけない。いちいち弱者の痛みや叫びにオロオロしているようではいけない。 リーダーというものが自然と厚かましい面構えになるのは、偶然ではないのだ。毛沢東とかカルロス・ゴーンとか中曽根康弘の顔をみればよく分かる。上に立つ人間は「面の皮の千枚張り」でなければならないのだ。こうした人物がある地位を得るために一体どれだけの人物が涙を飲み、どれほどの人物が蹴落とされてきたのだろう。どれだけの呪いを背負ってるいるのだろう。考えてみたことはありますか。

あらためて「呪い」とは何か。

「呪い」を論じるうえで、著者はさしあたり、「呪い心」と「呪いのパフォーマンス」に分けて考えている。

「呪い心」は、情緒的側面だ。怨念とか憎悪と言ってもいい。それ自体としては誰もが日常的に抱いている。「あいつが死ねば」とか「こいつが病気になれば」と思ったことのない人はない。

呪いの本質は、それが必ずしも成就しないという点にある。

もし人間個々の呪詛願望がすべて成就しているとしたら、人類など一日で滅亡してしまう、それだけ人間は互いに深く憎み合ってきたのだから、とフロイトはどこかの論文で書いている。

「呪いのパフォーマンス」は、この「呪い心」の延長として、ある人間に危害を与えるために呪文をとなえたり、道具をつかった特殊な呪術的手続きを踏むなどして、呪詛の成就を企図することだ。呪術的思考様式が色濃くあった大昔の日本人はともかく、現代にあっては、よほどのことが無い限り、呪いのパフォーマンスにまでは行かないのではないか。少なくとも私は、呪い殺したい人間のために古代の呪術書を紐解いたりする根気はない。近頃は呪いの代理業も一部にあるけれど、利用する気にならない。どうしてだろう。たぶん死ぬほど憎悪している人間などいないからで、そもそも呪詛全般の効力に最初から懐疑的だからだろう。少なくとも気軽な感覚での呪いは何事をも引き起こさないという確信はある。けれども呪詛一般を反証することはできない。これは単なる直観の問題らしい。 やはりもし呪詛の力学が現実世界に食い込んでいたとすれば、人間という種はどこかで断絶していたはずだ。人間はそれほど互いに憎み合っているし呪い合っているからだ(冗談なものから真剣なものまで全部含めて)。

こうなってくると、なんだか呪いに親近感が湧いてくるから不思議ですね。 自分の周囲から今直ぐ消えてほしいなと思った人間を三十人以上数えることは容易かもしれない。記憶が霞んでいるのだけれど、むかしドラえもんのちょっと怖い話で、「どくさいスイッチ」というのがありましたね。子ども心に、というよりも、子ども心ゆえに、この道具の話は怖いと思った。最終的に教訓臭いお涙ちょうだいで締められるその話の筋はともかく、この「どくさいスイッチ」なるものは、消えてほしい人の名前を言って押せば、その人間が消えることになっている。 こんな道具があれば僕もきっと、と日本中すべての少年にマッドサイエンティスト的興奮を与えられたドラえもんもなかなか隅におけない国民漫画である。時代の無意識的フラストレーションがなければ、こんなアニメーションも作られなかったはずです。この話には日本人の感性のみならず世界中の人間感性を動揺させる陰鬱な成分が含まれている気がする。

とどのつまり、呪いというのは所詮精神的な負のヴォルテージに過ぎず、それだから、呪いで人を病気にさせたり早漏にさせたり不妊にさせたり貧乏のどん底に引きずりおとすことは出来ない。すくなくとも私のこれまでの呪い願望は、偶然は別にして、たぶん直接の効果を発揮しなかった。死んでしまえとか消えてしまえの願望は、それを願望する限りでは何の力もないのである。だから法律でも呪詛は処罰対象ではない。

それだからもっと思い切って沢山呪詛しましょう。色々な場面で色々な人を呪いましょう。一億総呪詛社会は生きやすい社会と思います。第一、呪詛は誰もがノーコストで遂行できる。カラオケで味噌のくさりそうな歌を無理やり聞かせて呪われるよりは百倍も素敵なことです。 それに偶然対象人物を呪い殺せたら儲けものだろう。私はげんざい近隣に住んでいる騒音の主を激しく呪詛しているわけだけれど、そのおかげで少しは胃腸の負担が軽い。

日本の呪い―「闇の心性」が生み出す文化とは (カッパ・サイエンス)

山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋)

日本人論は戦後色々書かれてきて、下らないものから秀逸なものまで玉石混交の観を激しく呈し続けているけれど、本試論はその中でもかなり長く熱心に読み継がれ厳しい批評の洗礼を潜りぬけてきたものの一つで、今でも一読に値すると私は思っている。

そもそも、この「場の空気」とは何なのだろう。誰がつくり、なぜ醸成されてしまうのか。そしてその「空気」支配に敢えて疑念を混入させる「水を差す」という行為とは。山本書店の主は問い掛ける。

民衆による「現人神」認識や、日本軍敗退の背景には、何かしらの悪しき空気支配があったと著者は語る。

そもそも当時の日本軍がアメリカ軍を相手にして勝てる見込みなど最初からなかった。まともなオツムを持った幹部であれば戦争突入に際してブレーキを利かせることもできたはずだ。軍事力の違いや敵国の聯合力を思えば、早めの降伏が最良の判断であったことは、今の中学生くらいでも分りそうだ。 けれどもそうはならなかった。 「今更引き下がれない」という場の空気があったのか、あるいは本当に勝てると確信していた参謀側の思惑があったのか、詳しいことは知らない(この辺のことを知りたい人は日本軍研究をみっちりやって下さい)。 いずれにしても一九四一年の十二月に太平洋戦争に突入して、内外合わせて夥しい数の死者が出たわけだから大変なことだ。誰にとっても大抵無害な日々の意思決定とはわけが違う。事実上戦争遂行命令を出せる指導者や参謀本部の「責任」は途方も無く重い。

今の日本にも「場の空気」という言い方があって、たとえばある重要事項を話し合う合などでどうしても否定意見を言いにくい場面がある。その否定意見が如何に合理的であるにも拘わらず、だ。こういうとき、人は「空気」の権威を無意識敏感に感じ取っている。少なくともその辺にいる日本人にとって、「場の空気」には中々逆らい難い。 終わりかけた定例のミーティング(こんなの下らないものばかりだ)でみんなが帰る支度をごそごそ始めているときに、誰かが長大な質問を放ったり演説をぶったりすれば、それは「空気」の不文律に反する行為だ。このときミーティングの温度は既に冷めていて、「もう終わりだな」という総合意思の空気が充分醸し出されている。このタイミングでミーティングを長引かせるような振る舞いは、今風にいえば「KY」なのである。 空気(Kuki)を読めない(Yomenai)人間は、仮にどれだけクレバーで合理的で博識であっても、惰性が支配しているある種の日本的合議体からはひどく疎外されてしまう。 KY的はどこの社会のどこの組織にも存在している。好んでKYを演じるKYもいれば(日本には「天邪鬼」という古い言葉がある)、その意思決定の及ぼす悪影響を見越して敢えて「水を差す」正義のKYもいる。 だからKY的な人間をもう少し寛容に受け入れる精神風土が、もう少し育ってもいい。

一般や組織レベルでの「KY受容風土」が少しでも育っていればホロコーストや太平洋戦争が避けられた、というふうな極端な歴史的「もしも論」を言いたいのではない。そんことをいくら展開していても到底思考実験の域を出ない。

賛成多数の空気のなかで明らかに場違いな意見を表明する人物を前にして、せめてその腹の内を探るくらいの労をとって欲しいと思うのだ。賛成多数は結局多数派の独裁で「民主主義」などとは何の関係もないのだから、少数派の異質な反対意見にも何かしらの興味を持ったほうが、少なくとも議論の次元はずっと高くなる(ただ「緊急事態」という厄介な場面ではこの限りではない)。 世の中というのは畢竟、感性や思考様式の違う人間が死ぬまで和解を求めながら何も解決しない場なのだ。自分の結論は他人の結論と常にズレている。このことは何百回繰り返しても満足しないけれど、人間の個体差は他の生物の個体差の比ではない。個々の受容様式には途轍もない違いがある。雑音に対する敏感性であれ色についての好みであれ思想に関する感性であれ、一人一人みな違う。共通する部分よりもむしろ異質な部分が人間の本質をよく表している。このことを忘れてしまうと、どうしても諍いの原因が絶えなくなる(覚えていても諍いだらけなのだから)。異質な他人を受容することは、口でいうほど容易いことではない。けれども何とか他者を受容して理解し合える点に、私は、人間精神の柔軟性と救いを見るのだ(こんな臭い文章は二度と書きたくない)。

著者は、「空気」とは何かを調べるのに最も適切な方法は、「空気発生状態」を調べて、その基本的図式を描いてみることだという。そして発掘現場での随想を引用しながら、「臨在感的把握」という言葉を使い、空気の本質を探る。

臨在感的把握とは何か。面倒なので著者の口を借りてそのまま言うと、「物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態」がそれ。

夕暮れ時の神社とかを想像してみるといいよ。鬱蒼たる山でもいい。よほど鈍感でない限り「そこに何かある」と慄くものだ。臨在感的把握はこの「何かある」という、ほとんど反射的といってもいい心理的受容に他ならない。この受容は多分に文化的規定を受けている。福沢諭吉の『福翁自伝』には、お札を踏んで古い迷信を笑い飛ばすくだりがあるが、これは、当時の人びとがお札に対して如何に強く臨在感を持っていたかをよく語っている。これは当時最大の啓蒙思想家としての面目躍如たる逸話である以前に、日本の伝統的な臨在感覚がどこにあったのかをはっきり浮き彫りにするものなのだ。

「場の空気」はこのような非合理な超常感覚にも由来している著者の論法は、なかなか迫力がある。この論法そのものに臨在感がある。 たとえば著者は「天皇制」を、「偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる空気的支配体制」と短く定義する。自分から自身が神であると宣言したわけではない天皇がいつの間にか「現人神」として崇拝されていた事実は、確かに興味深い心理現象だな。天皇制は空気の支配であり、従って、「空気の支配をそのままにした天皇制批判や空気に支配された天皇制批判は、その批判自体が天皇制の基盤だという意味で、はじめからナンセンス」なのだ。

とまれ、気になる人は読んでみてください。

疲れたので、もうこの辺りで一応の区切りとしましょう。

「空気」の研究

R.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏』(入江曜子・春名徹・訳 岩波書店)

イギリスの官僚で、宣統帝溥儀の家庭教師として紫禁城に迎えられることになったR.F.ジョンストン(1874~1938)の書いたこの名高い記録本を読む前に、清朝の簡単な系図や辛亥革命以後の政治動静を、あらまし確認しておいた方がいいかもしれない。

 私などは、中国の近現代史にとても疎かったので、段祺瑞(だんきずい)とか張勲(ちょうくん)とかいったような軍閥関連の人名がなんの説明もなしに頻出すると、ちょっと頭が痛くなった。派閥の力関係や辛亥革命の内実をそれなりに知っていないと、読み進めるのは苦しい(尤もこの苦労が読む快楽でもあるのだけれど。読書マゾヒズム)。  この手の記録本に当たるとき、そうした「予習」を欠くと、固有名詞のゲリラ豪雨にしばしば辟易して、最悪の場合、頓挫をきたす。    たとえば、冒頭から、戊戌変法(ぼじゅつへんぽう)という言葉が出てくる。これは、「変法自強」という当時の一連の政策傾向のなかの一部面で、末期の清朝を語る上で絶対に欠かせないキーワードだ。  清朝末期、日本の明治維新にならって、康有為や梁啓超という人たちが中心となっって、国政改革運動をはじめた。法、すなわち古い制度を変えて、自らを強くしていこうという意味だ。そのなかには憲法制定や国会開設、学制改革があり、当時としては本当にラジカルなものだった。光緒帝(清朝第11代の帝)がその方針を採用して、清国を立憲君主国にするための改革を本格的に始めたけれど(これを通常、戊戌変法と呼ぶ)、西太后(1835~1908)という権力欲に憑かれた女帝が守旧派の反動をうまく利用してクーデターを起こし(戊戌の政変)、改革組は処刑されたり追放されたりして、帝はというと幽閉の憂き身をみることになった。結局、このようにして、国政改革は三か月余りで挫折した(俗に百日維新)。  当時のこうした不穏な気運のなかで、以降、義和団事件辛亥革命、五・四運動、張作霖爆殺事件と、中国近近現代史をそのまま織りなすような様々の重大事が沢山起こるのだけれど、もちろん著者はそうした基本事項を丁寧に解説してくれないので、本書を批判的に精読する場合でも素朴に読み進める場合でも、相応の参照図書は近傍に欠かせない。

 この類の回顧録には往々してあることだけれど、宣統帝(溥儀、在位1908~1912)への個人としての思いれが強すぎて、著者の筆がともすれば感情的に昂ぶってしまい、史実に照らせば大分偏向してしまっている箇所が散見される点も、予め知っておくことが重要だ。

 ともあれ、大いに眉に唾を塗りながらも、王朝の衰滅過程をその肉眼で見届けた著者によるこの生々しい記録を、固唾をのみながら愉しめた。

 なお、ジョンストンによってものされた本書は、ラストエンペラー溥儀自身の書いた(とされる)長大な自伝『わが半生』(我的前半生、1964年)の、基礎的な資料にもなった。このことを巡っては色々な逸話や議論や指摘もあるけれど、とにかく興味のある人は、関連文献に当たってほしい。   (私としては、著者が溥儀の近眼に気が付き、外国から眼科医を呼び寄せようという段で、内務府の役人や他の教師たちと一悶着あったという件りが、一番記憶に残ってる。「これまでの皇帝が眼鏡をおかけになった前例など、一度たりともない」ということらしい。  また当時も宮廷内に「腹に一物ある」宦官が多くあったようで、彼らのこととなると著者の筆鋒は俄に鋭くなる。写真や映像で見る限り線の細い印象を与える溥儀が思いほか反抗的な気概を見せて事毎に気炎を吐いているの面白い)

紫禁城の黄昏 (岩波文庫)

小野塚カオリ(団鬼六・原作)『美少年』(マガジン・マガジン)

 ウォルト・ホイットマンは、その詩集『草の葉』の序文(初版)のなかで、「合衆国そのものが、本質的には最大の詩編なのだ」(酒本雅之・訳)と高らか言い放った。    同じように、「美少年」という現象をポエジーそのもののとして讃称することは、少しも突飛なことではない。    『パイドロス』に出てくるソクラテスがエロースを情熱的に讃美しているとき、彼の頭脳裏に具体的なイメージとしてあったのは、「美をさながらにうつした神々しいばかりの顔立ちや、肉体の姿」(藤沢令夫・訳)だった。    『ヴェニスに死す』でアッシェンバッハが端麗無比の少年タッジオを見て暫し恍惚境に浸ったとき、「言葉というものは、感覚的な美をほめたたえることができるばかりで、それを再現する力はない」(実吉捷郎・訳)と苦しい思いを噛みしめた。    こうした人たちにとって「美少年」という現象は取りも直さず形而上的な観念と直結する。

 この男女双方の色気を相乗的に体現する「異様な美的存在」を前にすると、人はまず強烈な沈黙を強いられ、それからあらゆる讃美の無力さに痛く失望する。

 私は折に触れてはこの捉えがたい存在に思いを巡らし、多面に渡る考察を加えてきた。  それでもやはり汲み尽くせないものが彼らの根底にはある。  こうした彼の美しさの秘密を私は主として、「認知的ゆらぎ」に求めてきた。  これはまだ仮説に過ぎないけれど、その姿をみて一見「女性」でありながら実は男で「ある」という、その「見極め難さ」(混乱、裏切り、越境)に、「特殊な色気」の本質があるのでないかと。つまりこうだ。「彼」の姿を現に見るとき、人は彼が「男」として認知されていることは当然分っている。「それでありがら」彼の姿態や顔貌が限りなく「非・男」の風情を纏っているので、数瞬、彼が性的な二項関係を無効化する「脱自然的な存在者」のように映る。  このときの急激な緊張緩和(解放感情)こそ、ソクラテスやアッシェンバッハの得た恍惚であって、また私の烈しい動悸の素因を成したものではないか、と。

 本題に入る。

 本書の原作者である団鬼六(1931~2011)は滋賀県に生まれ、いわゆる官能小説の大家として著名だけれど、それ以外に多方面に渡るエッセイなども多くあり、一概に短評できるような物書きではない。  『美少年』は作者に自伝的性格が濃いとされ、いま内容の詳しい紹介は控えるけれど(*1)、とにかく最初から最後まで強烈な香気を放ち続けいて、痛ましさもこの水準になるとカタルシスも超えてしまう。

 しかし、小野塚カホリはとてもいい「顔」を描く。  この線の描き方(*2)には、本人も相当誇りを持っているんじゃないかと、あれこれに考えながら読んだものだ。  キラキラした眼の貴公子が薔薇を背景にして登場したりする漫画はちょっと閉口してしまうのだけど、彼女の描く美少年(菊雄)には、嫌味っぽい青年臭さがない。少なくともこの具現化は私の好みにはよく適う。    語り手の主人公に対してどぎつい執念を燃やす一連の場面でも、どこか健気な和毛を残した一途さといったように描かれていて、かならずも読み手をして菊雄に「失望」させる様な揺さ振りをかけていない。  ウンザリさせられそうでウンザリさせられない。ひとえに菊雄に対する作者の距離の置き方がよかったのだろう。彼は多情多恨で、途中で凶暴な恋着魔に変貌したりするが、そんなときでさえ可憐な気品を身に纏わせている。 愛嬌の香りが失せない。若しこういう執念を燃やすのが彼女の描く菊雄でなくて、例のキラキラ眼の貴公子であったなら即座に興醒めしてしまって、翌日ブックオフに売り払ってしまったに違いない。    烈しい情念描写が求められる段でも相当に抑制が利いているので、決して下品には流れない。状況は過激であるのに、かえって淡白な色気が醸し出されたりする。  彼女は、優婉繊細でありながら同時に男性的な逞しい色気も纏った美少年の、あの「捉えがたい中性美」を把握している。    この作品を私は、岡崎京子の『へルタースケルター』と併せて読んだけれど、双方とも題材は挑発的で、その破局も凄まじい。咽越しのいいロマンスばかりを愛飲してきた人には余程不向きかもしれないけれど、救いの無い物語や悲劇以前の残酷悲劇にしか陶酔できなくなってきた近頃の私としては、この作品、ちょっとした収獲でもあった。

*1 日本舞踏宗家の御曹司で類まれの美少年・菊雄が「わたし」と別懇の間柄になるが以降思わぬ悲劇を辿ることになる。

*2 小説家にとっての文体がそうであるように、漫画家(ひいては画家)が描線を極めて重視するのは、言うまでもない。  たかが線だと思う向きもあるだろうが、断じてそうではない。  線を描くにも、修練とセンスは必ず求められる。  たとえば、「ナインチェ・プラウス」(うさこちゃんミッフィー)の作者として著名なディック・ブルーナー(オランダ、1927~)の描くあのシンプルな線もそうだ。あの線は、若いころの彼が専属デザイナーのもとで勉強して得た基本技術と本来のセンスが見事に結実したもので、だれもが気休めに描ける種類のものではない。

美少年 (JUNEコミックス ピアスシリーズ)

『谷崎潤一郎随筆集』(篠田一士・編 岩波書店)

この谷崎潤一郎(一八八六~一九六五)という巨頭について語ろうとするのに先ずその文章の上手さから入り込むのは、どうにも「今更」といった感じがする。 王貞治は野球が上手だ、とか、リチャード・ド-キンスは遺伝子に詳しいといった類の物言いと同じで、間違ってはいないけれども、それだけで口を閉じてしまうのであれば、どこか間が抜けている。 だから、間抜けにならないために、少しだけでも、彼について書かなくてならない。

私の素朴な谷崎観によれば、彼は第一に畏怖すべき一人の文章家であって、ストーリーテラーではない。

上手いとか上手くないとかいう評価の仕方は短絡的かもしれないけれど、それでも「上手い文章」というものは世の中に確かに存在する。

谷崎の文章の上手さは、当然、ジャーナリストの上手さとは同日の論ではない。 然るべき箇所に句読点を打ち、然るべき言葉を適宜使用することで誤解率軽減に極力努めねばならない新聞記者の文章作法は、訓練次第では誰でもそれなりになんとかなるものだ。

上手いというあり方の中にも、色々な「上手い」がある。

志賀直哉には志賀直哉の、夏目漱石には夏目漱石の(この人は前期の方がいい)、石川淳には石川淳の、「上手さ」がある。 修業や研究ためにこうした達人巨匠の文を健気に書き写した経験のある人にはよく分かるかもしれないけれど、好き嫌いやその上手い下手にかかわらず、人の文体を模倣することなどは事実上不可能であって、例えばそれは人の地声をそのまま盗みだせないのと同じだ。 指紋や声紋と同じくらい文にも固有性がある。 ただ、器用な声色を遣って人の口調を真似したりする世界中の芸人と同じように、鴎外風だとか露伴風、あるいは鏡花風シェイクスピア風の文章をつくることは確かに出来るし、実際いろんな人が今もやっている。 例えば、「君もよっぽど呑気だね」とかいう調子はどこか漱石っぽい。

文章は構造的には誰もが知っている文字を連ねたものに過ぎないけれども、それは、書き手の思考様式や教養学識、もっといえば心身活動全体とは絶対に切り離せない。「上手い」文章ほど、そう容易に真似させないような複雑な癖(文癖)を、そのうちに沢山含ませている。

谷崎潤一郎の上手さは総じて、その天衣無縫な陰翳のなかにある。 五代目の古今亭志ん生のような奔放天然な語りを駆使できる一方で、必要ならば粘着質な妖艶味や魔性を帯びた情念まで、あらゆる色彩語法を以て特異な形で浮かび上がらすことが出来る。

おもえば、谷崎潤一郎は、これまで様々の文学者がものしてきた『文章読本』の領域においても、高い定評を長いあいだ勝ち取っている。

彼の上手さを、彼の句読点の打ち方に見るか、語法に見るか、その文の重ね方にみるかという分析は、素人の私には身に余る事業なのでやらないけれども、読んでいると何時もつくづく感服してしまう。

妙な着目の仕方かもしれないけれど、私は、谷崎の書く文が、作品ごとに相当大きく違っている点が好きだ。

なんでもいいのだけど、地味ながら適当な文例を二つ挙げてみる。

雨戸は気を利かして締めてあるのだが、欄間の障子にぎらぎらしている日ざしの様子では、外は桃の花の咲きそうなうらゝかな天気になっているらしい。そう云えば今年の御節句には雛人形を飾ったものかどうであろう。 (『蓼食う虫』)

「利かせて」でなく「利かして」となっているのが私は好きで、「外では」でなく「外は」になっていないのが嬉しい。「うらゝかな天気」と「ぎらぎらしている日ざし」の取り合わせなんかも気を惹く。

佐助は鯛のあら煮の身をむしること蟹蝦等の殻を剥ぐことが上手になり鮎などは姿を崩さずに尾の所から骨を綺麗に抜き取った (『春琴抄』)

この作品(一九三三年発表)では、明治以降一般化した句読点が最小限に抑えられている(『蘆刈』もそうだ)。著者は、淀みなく一気呵成に読むこと、あるいは文を形態として受け取ることを強いる。そうしないと内容を汲み取りそこなうことさえある。 これは、「近ごろ手に入れた」小冊子の記述を基にしたという設定に因るのだろうが、こうした文体選択が別段読むことの妨げとなってはいない。私にそこに書き手の非凡の力量を見る。

また、ときどき文と文が縺れてしまって結局何を言いたのか判然としないにも関わらず異様な混沌たる迫力を浮き滲ませる文章を、彼は書いたりする。

ただ、こんな話はいつまでしても終わらないので、呑気な賞玩趣味はこの辺りに止めて、本題に入りたい。

本書は、随筆を集めたものだ。 全体の白眉といえる「陰翳礼讃」をはじめ、「恋愛及び色情」「懶惰の説」「私の見た大阪及び大阪人」等全部で一一編が収められている。 そのなかには、漱石の『門』に苦言を呈する若書きの文章もあれば、永井荷風(谷崎の尊敬する)の「つゆのあとさき」を論ずる好い文章もある。

彼の全随筆作品のなかで最も言及されることが多く、また実質的にも出来振りの頗る良い「陰翳礼讃」においては、西欧生活への彼の一面的単純な見方が随所に入り込んできて、折角の興も殺がれてしまう難がなくもないのだけど、仮にそうした諸点を充分に割引いた上でも、鋭利で成熟した著者の観察眼の底光るこうした一連の考察が、日本の古い風俗や伝統的美感に就いての第一級の考察を含んでいることには、なんの異論もない。

彼は幼いころから様々の芸能に直接触れているので、引例も豊富だ。付け焼刃の知識ではこれほど事細かく伝えられないだろう。 その造詣の深さと作家独自の鋭い観察眼が相俟って、彼の語り口にはある泰然とした迫力と自信が生じている。そのために、他の何某が言うととても信用できないようなことも、彼ならあっさりと納得させることができる。強引にではなく、あくまで自然な調子で。 語ることと語り方が如何に重要かという点を思い知らされる。

われわれは一概に光るものが嫌いという訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りのあるものを好む。それは天然の石であろうと、人工の器物であろうと、必ず時代のつやを連想させるような、濁りを帯びた光なのである。 (『陰翳礼讃』)

これはどうやら谷崎の割に好んでいた持論のようで、たびたびこのこれに類することを色んな箇所でも繰り返している。 日本の漆器や彩色の大きな傾向を分析したわけではないけれど、直観として日本人は、あんまりギラギラしたどぎつい色や原色をさほど好んでいないようには思う。ポルトガル人の来航と共にもたらされた、キリスト教色の強い「南蛮文化」などにしても、一部の人びとこそ熱狂的に受容したり喜んだりしたかもしれないが、そうしたことは極物珍しい舶来物へのある程度普遍的な反応であって、日本人の「伝統的」な色彩嗜好にそのまま影響したり、風土にそのまま深く根を下ろすことなどは無かった。 日本人はどちらかというと、紺色や臙脂色、あるいは緑色を帯びた灰色(利休色という色彩語もある)といったような、少々沈んだような渋色を好む傾向が強い。

また、体験を交えながら彼はこう書く。

われわれが歯医者に行くのを嫌うのは、一つにはがりがりという音響にも因るが、一つにはガラスや金属製のピカピカする物が多過ぎるので、それに怯えるせいもある。私は神経衰弱の激しかった自分、最新式の設備を誇るアメリカ帰りの歯医者と聞くと、かえって恐毛をふるったものだった。 (同書)

いまでは病院でも銀行でもコンビニでも、どうかすれば学校までもが(私立なんかは特に)ピカピカ主義を暗黙裡に貫いている。床は出来るだけ光が映えるようワックスが施されていて、蛍光灯は疲れるくらいに皓皓と輝いている(とはいえ今日では誰もが慣れている)。

衛生管理が重んじられる現場では、なおのこと、信用上において設備を光らせておかねばならないのかもしれない。 谷崎自身は、他の随筆(『恋愛及び色情』)のなかで、平安朝の貴族を例に取りながら、電灯が現代に比べれば圧倒的に乏しいその時代の恋愛事情に、文学人的な想像を逞しゅうしている。

谷崎潤一郎随筆集 (岩波文庫 緑 55-7)

宮本又郎・他『日本経営史(日本型企業経営の発展・江戸から平成へ)』(有斐閣)

有斐閣(ゆうひかく)といえば創業明治十年(一八七七)の老舗学術出版社で、主に法律関連の「硬質」な書籍を世に送り続けている。とくに、年版の『六法全書』や『ポケット六法』『有斐閣判例六法』といった刊行物は、いつからか、法律学習者たちの堅実な伴侶といった観を呈し始めていて、法学とは無縁の私なども、法律書といえば、何よりも先に「有斐閣」の名前が脳裏に浮かんでくるくらいだ(判例六法の類は他の会社からでも良質なものが沢山出版されているのに)。

有斐閣の守備範囲は、もちろん、憲法民法だけではない。経済や金融を扱った手堅い本も多く出している。塩澤修平の『経済学・入門』(有斐閣アルマ)などは、経済初学者の向けの書籍としては中々定評が付いているので、私も学生時代の一時期は、この本に向き合っていた。フローとストック、マクロ経済とミクロ経済の違いも分からなかった人間には、なかなか呻吟の絶えない宮廷料理ではあったけれども。

今回取り上げた『日本経営史』なんかも、有斐閣の出版物のなかでは良質な部類に入るものなのだと思う。図表も豊富で、章節の立て方でも要領を得ている。副題の語る通り、今日では半ばマジックワード化しつつある「日本型経営」なるものの解明に、力点が置かれている。Jモデル、人本主義、会社主義、協調的労使関係というような言葉の数々は本来、日本の企業を外国のそれと対比させた上で持ち出されたものだ。本書は、こうした発想の背景にあった諸事情を、親切すぎるくらいの詳細さを以て説明してくれる(とくに第五章から得るものは多かった)。

また本書について注目していいのは、日本経営史を叙述するのに、江戸時代にまで遡っている点だろう。ふつう日本歴史上での江戸時代といえば、純粋な封建時代として人びとの心に印象されている。「苛斂誅求」に喘ぎながら、「生かさぬように殺さぬように」とギリギリの生活を強いられている農民たちの型通りの姿が思い浮かんでくる。都市商業の発展があったとしても、それは特権を得た一部の豪商のみを潤すものだったと考えられがちだ。著者がいうには、江戸時代を巡ってのそうしたプリ・モダーン(前近代)社会という含意は、近年の歴史学者の間では、少しずつ見直されつつあるということだ。江戸時代は、制度面においても文化面においても、近代の萌芽を多く孕んでいる。そのことから、江戸時代をアーリー・モダーン(初期近代)の時代と見做せるのではないか、という風になってきたのだ。それが具体的にどういった面で見られるのかについては、第一章に詳しく書かれてある。              本書は、その議論内容が極めて濃いものなので、日本の経営史への関心が強ければ大変面白く読めるには違いないけれども、聞きなれない固有名詞や術語が数行ごとに出てくるから、一貫してかなりの緊張を要求する。この手の本を読んでいて混乱しそうになったときは、いまいちいど目次を熟読してみるといいかもしれない。そうやって全体の構成(議論の流れ)を見渡すことで、詳細な記述にあっぷあっぷになっている頭脳が整理される。 たとえば本書であれば、第一章は日本型企業経営の起源、第二章は近代経営の起源、第三章は近代経営の展開、第四章は戦前から戦後、第五章は戦後の経済成長と日本型企業経営について論じている。        複数の著者も筆になるこの労作を読みながら私は、自分のなかにある単純な日本近世観の修正を迫られた。当時の大名もお金の工面には中々苦労していたようで、鴻池のような豪商から頻繁にお金を借りていたようだ(「大名貸し」)。丁稚奉公の仕組みや、住友家、三井家の創始物語、日清・日露戦争下の企業事情や占領軍による「財閥解体」の内実、高度成長期の企業経営、日本でのトラストやカルテルの事例、ともかくその記述範囲はとても広いので、近代日本の通史を辿っている気にもさせる。

本書によると、いまの企業会計上の前提条件を作っているゴーイング・コンサーン(継続的事業体)の仮定は、江戸時代では既に広く浸透していたのだ。この事実は、金貸しであろうが呉服商であろうが、ある程度成熟した経営観念を持っていたことをよく示している。「この木なんの木」と歌うあの企業ソングが暗示しているように、殆どの「事業」にとって継続・成長し続けることは、言わずもがなの大前提だ。どこかの中世に特有な「一航海が一企業」といった投機的冒険的な金儲けではない、そうした継続的な事業観が定着しなければ、きっと、今日風の「株式市場」なんかも成り立たないのだろう。 そう思うにつけて、世界各地の経営史のことも段々知りたくなってきた。

それにしても、江戸から明治、大正、昭和、平成に至る疾風怒濤の日本経営史が、たったこの一冊で曲がりなりにも通観できるのだから、立花隆(あの蔵書自慢の好きな老人)がいみじくも言っていた様に、その情報収集や比較・分析の労力を思えば、本は基本的には安い。

日本経営史 新版―江戸時代から21世紀へ (Y21)