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佐野白羚の文筆武者修行(「蟄居汎読記」「書脈録」)

九三八堂の佐野白羚による随想ならびに読後録を定期掲載

山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋)

日本人論は戦後色々書かれてきて、下らないものから秀逸なものまで玉石混交の観を激しく呈し続けているけれど、本試論はその中でもかなり長く熱心に読み継がれ厳しい批評の洗礼を潜りぬけてきたものの一つで、今でも一読に値すると私は思っている。

そもそも、この「場の空気」とは何なのだろう。誰がつくり、なぜ醸成されてしまうのか。そしてその「空気」支配に敢えて疑念を混入させる「水を差す」という行為とは。山本書店の主は問い掛ける。

民衆による「現人神」認識や、日本軍敗退の背景には、何かしらの悪しき空気支配があったと著者は語る。

そもそも当時の日本軍がアメリカ軍を相手にして勝てる見込みなど最初からなかった。まともなオツムを持った幹部であれば戦争突入に際してブレーキを利かせることもできたはずだ。軍事力の違いや敵国の聯合力を思えば、早めの降伏が最良の判断であったことは、今の中学生くらいでも分りそうだ。 けれどもそうはならなかった。 「今更引き下がれない」という場の空気があったのか、あるいは本当に勝てると確信していた参謀側の思惑があったのか、詳しいことは知らない(この辺のことを知りたい人は日本軍研究をみっちりやって下さい)。 いずれにしても一九四一年の十二月に太平洋戦争に突入して、内外合わせて夥しい数の死者が出たわけだから大変なことだ。誰にとっても大抵無害な日々の意思決定とはわけが違う。事実上戦争遂行命令を出せる指導者や参謀本部の「責任」は途方も無く重い。

今の日本にも「場の空気」という言い方があって、たとえばある重要事項を話し合う合などでどうしても否定意見を言いにくい場面がある。その否定意見が如何に合理的であるにも拘わらず、だ。こういうとき、人は「空気」の権威を無意識敏感に感じ取っている。少なくともその辺にいる日本人にとって、「場の空気」には中々逆らい難い。 終わりかけた定例のミーティング(こんなの下らないものばかりだ)でみんなが帰る支度をごそごそ始めているときに、誰かが長大な質問を放ったり演説をぶったりすれば、それは「空気」の不文律に反する行為だ。このときミーティングの温度は既に冷めていて、「もう終わりだな」という総合意思の空気が充分醸し出されている。このタイミングでミーティングを長引かせるような振る舞いは、今風にいえば「KY」なのである。 空気(Kuki)を読めない(Yomenai)人間は、仮にどれだけクレバーで合理的で博識であっても、惰性が支配しているある種の日本的合議体からはひどく疎外されてしまう。 KY的はどこの社会のどこの組織にも存在している。好んでKYを演じるKYもいれば(日本には「天邪鬼」という古い言葉がある)、その意思決定の及ぼす悪影響を見越して敢えて「水を差す」正義のKYもいる。 だからKY的な人間をもう少し寛容に受け入れる精神風土が、もう少し育ってもいい。

一般や組織レベルでの「KY受容風土」が少しでも育っていればホロコーストや太平洋戦争が避けられた、というふうな極端な歴史的「もしも論」を言いたいのではない。そんことをいくら展開していても到底思考実験の域を出ない。

賛成多数の空気のなかで明らかに場違いな意見を表明する人物を前にして、せめてその腹の内を探るくらいの労をとって欲しいと思うのだ。賛成多数は結局多数派の独裁で「民主主義」などとは何の関係もないのだから、少数派の異質な反対意見にも何かしらの興味を持ったほうが、少なくとも議論の次元はずっと高くなる(ただ「緊急事態」という厄介な場面ではこの限りではない)。 世の中というのは畢竟、感性や思考様式の違う人間が死ぬまで和解を求めながら何も解決しない場なのだ。自分の結論は他人の結論と常にズレている。このことは何百回繰り返しても満足しないけれど、人間の個体差は他の生物の個体差の比ではない。個々の受容様式には途轍もない違いがある。雑音に対する敏感性であれ色についての好みであれ思想に関する感性であれ、一人一人みな違う。共通する部分よりもむしろ異質な部分が人間の本質をよく表している。このことを忘れてしまうと、どうしても諍いの原因が絶えなくなる(覚えていても諍いだらけなのだから)。異質な他人を受容することは、口でいうほど容易いことではない。けれども何とか他者を受容して理解し合える点に、私は、人間精神の柔軟性と救いを見るのだ(こんな臭い文章は二度と書きたくない)。

著者は、「空気」とは何かを調べるのに最も適切な方法は、「空気発生状態」を調べて、その基本的図式を描いてみることだという。そして発掘現場での随想を引用しながら、「臨在感的把握」という言葉を使い、空気の本質を探る。

臨在感的把握とは何か。面倒なので著者の口を借りてそのまま言うと、「物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態」がそれ。

夕暮れ時の神社とかを想像してみるといいよ。鬱蒼たる山でもいい。よほど鈍感でない限り「そこに何かある」と慄くものだ。臨在感的把握はこの「何かある」という、ほとんど反射的といってもいい心理的受容に他ならない。この受容は多分に文化的規定を受けている。福沢諭吉の『福翁自伝』には、お札を踏んで古い迷信を笑い飛ばすくだりがあるが、これは、当時の人びとがお札に対して如何に強く臨在感を持っていたかをよく語っている。これは当時最大の啓蒙思想家としての面目躍如たる逸話である以前に、日本の伝統的な臨在感覚がどこにあったのかをはっきり浮き彫りにするものなのだ。

「場の空気」はこのような非合理な超常感覚にも由来している著者の論法は、なかなか迫力がある。この論法そのものに臨在感がある。 たとえば著者は「天皇制」を、「偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる空気的支配体制」と短く定義する。自分から自身が神であると宣言したわけではない天皇がいつの間にか「現人神」として崇拝されていた事実は、確かに興味深い心理現象だな。天皇制は空気の支配であり、従って、「空気の支配をそのままにした天皇制批判や空気に支配された天皇制批判は、その批判自体が天皇制の基盤だという意味で、はじめからナンセンス」なのだ。

とまれ、気になる人は読んでみてください。

疲れたので、もうこの辺りで一応の区切りとしましょう。

「空気」の研究

R.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏』(入江曜子・春名徹・訳 岩波書店)

イギリスの官僚で、宣統帝溥儀の家庭教師として紫禁城に迎えられることになったR.F.ジョンストン(1874~1938)の書いたこの名高い記録本を読む前に、清朝の簡単な系図や辛亥革命以後の政治動静を、あらまし確認しておいた方がいいかもしれない。

 私などは、中国の近現代史にとても疎かったので、段祺瑞(だんきずい)とか張勲(ちょうくん)とかいったような軍閥関連の人名がなんの説明もなしに頻出すると、ちょっと頭が痛くなった。派閥の力関係や辛亥革命の内実をそれなりに知っていないと、読み進めるのは苦しい(尤もこの苦労が読む快楽でもあるのだけれど。読書マゾヒズム)。  この手の記録本に当たるとき、そうした「予習」を欠くと、固有名詞のゲリラ豪雨にしばしば辟易して、最悪の場合、頓挫をきたす。    たとえば、冒頭から、戊戌変法(ぼじゅつへんぽう)という言葉が出てくる。これは、「変法自強」という当時の一連の政策傾向のなかの一部面で、末期の清朝を語る上で絶対に欠かせないキーワードだ。  清朝末期、日本の明治維新にならって、康有為や梁啓超という人たちが中心となっって、国政改革運動をはじめた。法、すなわち古い制度を変えて、自らを強くしていこうという意味だ。そのなかには憲法制定や国会開設、学制改革があり、当時としては本当にラジカルなものだった。光緒帝(清朝第11代の帝)がその方針を採用して、清国を立憲君主国にするための改革を本格的に始めたけれど(これを通常、戊戌変法と呼ぶ)、西太后(1835~1908)という権力欲に憑かれた女帝が守旧派の反動をうまく利用してクーデターを起こし(戊戌の政変)、改革組は処刑されたり追放されたりして、帝はというと幽閉の憂き身をみることになった。結局、このようにして、国政改革は三か月余りで挫折した(俗に百日維新)。  当時のこうした不穏な気運のなかで、以降、義和団事件辛亥革命、五・四運動、張作霖爆殺事件と、中国近近現代史をそのまま織りなすような様々の重大事が沢山起こるのだけれど、もちろん著者はそうした基本事項を丁寧に解説してくれないので、本書を批判的に精読する場合でも素朴に読み進める場合でも、相応の参照図書は近傍に欠かせない。

 この類の回顧録には往々してあることだけれど、宣統帝(溥儀、在位1908~1912)への個人としての思いれが強すぎて、著者の筆がともすれば感情的に昂ぶってしまい、史実に照らせば大分偏向してしまっている箇所が散見される点も、予め知っておくことが重要だ。

 ともあれ、大いに眉に唾を塗りながらも、王朝の衰滅過程をその肉眼で見届けた著者によるこの生々しい記録を、固唾をのみながら愉しめた。

 なお、ジョンストンによってものされた本書は、ラストエンペラー溥儀自身の書いた(とされる)長大な自伝『わが半生』(我的前半生、1964年)の、基礎的な資料にもなった。このことを巡っては色々な逸話や議論や指摘もあるけれど、とにかく興味のある人は、関連文献に当たってほしい。   (私としては、著者が溥儀の近眼に気が付き、外国から眼科医を呼び寄せようという段で、内務府の役人や他の教師たちと一悶着あったという件りが、一番記憶に残ってる。「これまでの皇帝が眼鏡をおかけになった前例など、一度たりともない」ということらしい。  また当時も宮廷内に「腹に一物ある」宦官が多くあったようで、彼らのこととなると著者の筆鋒は俄に鋭くなる。写真や映像で見る限り線の細い印象を与える溥儀が思いほか反抗的な気概を見せて事毎に気炎を吐いているの面白い)

紫禁城の黄昏 (岩波文庫)

小野塚カオリ(団鬼六・原作)『美少年』(マガジン・マガジン)

 ウォルト・ホイットマンは、その詩集『草の葉』の序文(初版)のなかで、「合衆国そのものが、本質的には最大の詩編なのだ」(酒本雅之・訳)と高らか言い放った。    同じように、「美少年」という現象をポエジーそのもののとして讃称することは、少しも突飛なことではない。    『パイドロス』に出てくるソクラテスがエロースを情熱的に讃美しているとき、彼の頭脳裏に具体的なイメージとしてあったのは、「美をさながらにうつした神々しいばかりの顔立ちや、肉体の姿」(藤沢令夫・訳)だった。    『ヴェニスに死す』でアッシェンバッハが端麗無比の少年タッジオを見て暫し恍惚境に浸ったとき、「言葉というものは、感覚的な美をほめたたえることができるばかりで、それを再現する力はない」(実吉捷郎・訳)と苦しい思いを噛みしめた。    こうした人たちにとって「美少年」という現象は取りも直さず形而上的な観念と直結する。

 この男女双方の色気を相乗的に体現する「異様な美的存在」を前にすると、人はまず強烈な沈黙を強いられ、それからあらゆる讃美の無力さに痛く失望する。

 私は折に触れてはこの捉えがたい存在に思いを巡らし、多面に渡る考察を加えてきた。  それでもやはり汲み尽くせないものが彼らの根底にはある。  こうした彼の美しさの秘密を私は主として、「認知的ゆらぎ」に求めてきた。  これはまだ仮説に過ぎないけれど、その姿をみて一見「女性」でありながら実は男で「ある」という、その「見極め難さ」(混乱、裏切り、越境)に、「特殊な色気」の本質があるのでないかと。つまりこうだ。「彼」の姿を現に見るとき、人は彼が「男」として認知されていることは当然分っている。「それでありがら」彼の姿態や顔貌が限りなく「非・男」の風情を纏っているので、数瞬、彼が性的な二項関係を無効化する「脱自然的な存在者」のように映る。  このときの急激な緊張緩和(解放感情)こそ、ソクラテスやアッシェンバッハの得た恍惚であって、また私の烈しい動悸の素因を成したものではないか、と。

 本題に入る。

 本書の原作者である団鬼六(1931~2011)は滋賀県に生まれ、いわゆる官能小説の大家として著名だけれど、それ以外に多方面に渡るエッセイなども多くあり、一概に短評できるような物書きではない。  『美少年』は作者に自伝的性格が濃いとされ、いま内容の詳しい紹介は控えるけれど(*1)、とにかく最初から最後まで強烈な香気を放ち続けいて、痛ましさもこの水準になるとカタルシスも超えてしまう。

 しかし、小野塚カホリはとてもいい「顔」を描く。  この線の描き方(*2)には、本人も相当誇りを持っているんじゃないかと、あれこれに考えながら読んだものだ。  キラキラした眼の貴公子が薔薇を背景にして登場したりする漫画はちょっと閉口してしまうのだけど、彼女の描く美少年(菊雄)には、嫌味っぽい青年臭さがない。少なくともこの具現化は私の好みにはよく適う。    語り手の主人公に対してどぎつい執念を燃やす一連の場面でも、どこか健気な和毛を残した一途さといったように描かれていて、かならずも読み手をして菊雄に「失望」させる様な揺さ振りをかけていない。  ウンザリさせられそうでウンザリさせられない。ひとえに菊雄に対する作者の距離の置き方がよかったのだろう。彼は多情多恨で、途中で凶暴な恋着魔に変貌したりするが、そんなときでさえ可憐な気品を身に纏わせている。 愛嬌の香りが失せない。若しこういう執念を燃やすのが彼女の描く菊雄でなくて、例のキラキラ眼の貴公子であったなら即座に興醒めしてしまって、翌日ブックオフに売り払ってしまったに違いない。    烈しい情念描写が求められる段でも相当に抑制が利いているので、決して下品には流れない。状況は過激であるのに、かえって淡白な色気が醸し出されたりする。  彼女は、優婉繊細でありながら同時に男性的な逞しい色気も纏った美少年の、あの「捉えがたい中性美」を把握している。    この作品を私は、岡崎京子の『へルタースケルター』と併せて読んだけれど、双方とも題材は挑発的で、その破局も凄まじい。咽越しのいいロマンスばかりを愛飲してきた人には余程不向きかもしれないけれど、救いの無い物語や悲劇以前の残酷悲劇にしか陶酔できなくなってきた近頃の私としては、この作品、ちょっとした収獲でもあった。

*1 日本舞踏宗家の御曹司で類まれの美少年・菊雄が「わたし」と別懇の間柄になるが以降思わぬ悲劇を辿ることになる。

*2 小説家にとっての文体がそうであるように、漫画家(ひいては画家)が描線を極めて重視するのは、言うまでもない。  たかが線だと思う向きもあるだろうが、断じてそうではない。  線を描くにも、修練とセンスは必ず求められる。  たとえば、「ナインチェ・プラウス」(うさこちゃんミッフィー)の作者として著名なディック・ブルーナー(オランダ、1927~)の描くあのシンプルな線もそうだ。あの線は、若いころの彼が専属デザイナーのもとで勉強して得た基本技術と本来のセンスが見事に結実したもので、だれもが気休めに描ける種類のものではない。

美少年 (JUNEコミックス ピアスシリーズ)

『谷崎潤一郎随筆集』(篠田一士・編 岩波書店)

この谷崎潤一郎(一八八六~一九六五)という巨頭について語ろうとするのに先ずその文章の上手さから入り込むのは、どうにも「今更」といった感じがする。 王貞治は野球が上手だ、とか、リチャード・ド-キンスは遺伝子に詳しいといった類の物言いと同じで、間違ってはいないけれども、それだけで口を閉じてしまうのであれば、どこか間が抜けている。 だから、間抜けにならないために、少しだけでも、彼について書かなくてならない。

私の素朴な谷崎観によれば、彼は第一に畏怖すべき一人の文章家であって、ストーリーテラーではない。

上手いとか上手くないとかいう評価の仕方は短絡的かもしれないけれど、それでも「上手い文章」というものは世の中に確かに存在する。

谷崎の文章の上手さは、当然、ジャーナリストの上手さとは同日の論ではない。 然るべき箇所に句読点を打ち、然るべき言葉を適宜使用することで誤解率軽減に極力努めねばならない新聞記者の文章作法は、訓練次第では誰でもそれなりになんとかなるものだ。

上手いというあり方の中にも、色々な「上手い」がある。

志賀直哉には志賀直哉の、夏目漱石には夏目漱石の(この人は前期の方がいい)、石川淳には石川淳の、「上手さ」がある。 修業や研究ためにこうした達人巨匠の文を健気に書き写した経験のある人にはよく分かるかもしれないけれど、好き嫌いやその上手い下手にかかわらず、人の文体を模倣することなどは事実上不可能であって、例えばそれは人の地声をそのまま盗みだせないのと同じだ。 指紋や声紋と同じくらい文にも固有性がある。 ただ、器用な声色を遣って人の口調を真似したりする世界中の芸人と同じように、鴎外風だとか露伴風、あるいは鏡花風シェイクスピア風の文章をつくることは確かに出来るし、実際いろんな人が今もやっている。 例えば、「君もよっぽど呑気だね」とかいう調子はどこか漱石っぽい。

文章は構造的には誰もが知っている文字を連ねたものに過ぎないけれども、それは、書き手の思考様式や教養学識、もっといえば心身活動全体とは絶対に切り離せない。「上手い」文章ほど、そう容易に真似させないような複雑な癖(文癖)を、そのうちに沢山含ませている。

谷崎潤一郎の上手さは総じて、その天衣無縫な陰翳のなかにある。 五代目の古今亭志ん生のような奔放天然な語りを駆使できる一方で、必要ならば粘着質な妖艶味や魔性を帯びた情念まで、あらゆる色彩語法を以て特異な形で浮かび上がらすことが出来る。

おもえば、谷崎潤一郎は、これまで様々の文学者がものしてきた『文章読本』の領域においても、高い定評を長いあいだ勝ち取っている。

彼の上手さを、彼の句読点の打ち方に見るか、語法に見るか、その文の重ね方にみるかという分析は、素人の私には身に余る事業なのでやらないけれども、読んでいると何時もつくづく感服してしまう。

妙な着目の仕方かもしれないけれど、私は、谷崎の書く文が、作品ごとに相当大きく違っている点が好きだ。

なんでもいいのだけど、地味ながら適当な文例を二つ挙げてみる。

雨戸は気を利かして締めてあるのだが、欄間の障子にぎらぎらしている日ざしの様子では、外は桃の花の咲きそうなうらゝかな天気になっているらしい。そう云えば今年の御節句には雛人形を飾ったものかどうであろう。 (『蓼食う虫』)

「利かせて」でなく「利かして」となっているのが私は好きで、「外では」でなく「外は」になっていないのが嬉しい。「うらゝかな天気」と「ぎらぎらしている日ざし」の取り合わせなんかも気を惹く。

佐助は鯛のあら煮の身をむしること蟹蝦等の殻を剥ぐことが上手になり鮎などは姿を崩さずに尾の所から骨を綺麗に抜き取った (『春琴抄』)

この作品(一九三三年発表)では、明治以降一般化した句読点が最小限に抑えられている(『蘆刈』もそうだ)。著者は、淀みなく一気呵成に読むこと、あるいは文を形態として受け取ることを強いる。そうしないと内容を汲み取りそこなうことさえある。 これは、「近ごろ手に入れた」小冊子の記述を基にしたという設定に因るのだろうが、こうした文体選択が別段読むことの妨げとなってはいない。私にそこに書き手の非凡の力量を見る。

また、ときどき文と文が縺れてしまって結局何を言いたのか判然としないにも関わらず異様な混沌たる迫力を浮き滲ませる文章を、彼は書いたりする。

ただ、こんな話はいつまでしても終わらないので、呑気な賞玩趣味はこの辺りに止めて、本題に入りたい。

本書は、随筆を集めたものだ。 全体の白眉といえる「陰翳礼讃」をはじめ、「恋愛及び色情」「懶惰の説」「私の見た大阪及び大阪人」等全部で一一編が収められている。 そのなかには、漱石の『門』に苦言を呈する若書きの文章もあれば、永井荷風(谷崎の尊敬する)の「つゆのあとさき」を論ずる好い文章もある。

彼の全随筆作品のなかで最も言及されることが多く、また実質的にも出来振りの頗る良い「陰翳礼讃」においては、西欧生活への彼の一面的単純な見方が随所に入り込んできて、折角の興も殺がれてしまう難がなくもないのだけど、仮にそうした諸点を充分に割引いた上でも、鋭利で成熟した著者の観察眼の底光るこうした一連の考察が、日本の古い風俗や伝統的美感に就いての第一級の考察を含んでいることには、なんの異論もない。

彼は幼いころから様々の芸能に直接触れているので、引例も豊富だ。付け焼刃の知識ではこれほど事細かく伝えられないだろう。 その造詣の深さと作家独自の鋭い観察眼が相俟って、彼の語り口にはある泰然とした迫力と自信が生じている。そのために、他の何某が言うととても信用できないようなことも、彼ならあっさりと納得させることができる。強引にではなく、あくまで自然な調子で。 語ることと語り方が如何に重要かという点を思い知らされる。

われわれは一概に光るものが嫌いという訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りのあるものを好む。それは天然の石であろうと、人工の器物であろうと、必ず時代のつやを連想させるような、濁りを帯びた光なのである。 (『陰翳礼讃』)

これはどうやら谷崎の割に好んでいた持論のようで、たびたびこのこれに類することを色んな箇所でも繰り返している。 日本の漆器や彩色の大きな傾向を分析したわけではないけれど、直観として日本人は、あんまりギラギラしたどぎつい色や原色をさほど好んでいないようには思う。ポルトガル人の来航と共にもたらされた、キリスト教色の強い「南蛮文化」などにしても、一部の人びとこそ熱狂的に受容したり喜んだりしたかもしれないが、そうしたことは極物珍しい舶来物へのある程度普遍的な反応であって、日本人の「伝統的」な色彩嗜好にそのまま影響したり、風土にそのまま深く根を下ろすことなどは無かった。 日本人はどちらかというと、紺色や臙脂色、あるいは緑色を帯びた灰色(利休色という色彩語もある)といったような、少々沈んだような渋色を好む傾向が強い。

また、体験を交えながら彼はこう書く。

われわれが歯医者に行くのを嫌うのは、一つにはがりがりという音響にも因るが、一つにはガラスや金属製のピカピカする物が多過ぎるので、それに怯えるせいもある。私は神経衰弱の激しかった自分、最新式の設備を誇るアメリカ帰りの歯医者と聞くと、かえって恐毛をふるったものだった。 (同書)

いまでは病院でも銀行でもコンビニでも、どうかすれば学校までもが(私立なんかは特に)ピカピカ主義を暗黙裡に貫いている。床は出来るだけ光が映えるようワックスが施されていて、蛍光灯は疲れるくらいに皓皓と輝いている(とはいえ今日では誰もが慣れている)。

衛生管理が重んじられる現場では、なおのこと、信用上において設備を光らせておかねばならないのかもしれない。 谷崎自身は、他の随筆(『恋愛及び色情』)のなかで、平安朝の貴族を例に取りながら、電灯が現代に比べれば圧倒的に乏しいその時代の恋愛事情に、文学人的な想像を逞しゅうしている。

谷崎潤一郎随筆集 (岩波文庫 緑 55-7)

宮本又郎・他『日本経営史(日本型企業経営の発展・江戸から平成へ)』(有斐閣)

有斐閣(ゆうひかく)といえば創業明治十年(一八七七)の老舗学術出版社で、主に法律関連の「硬質」な書籍を世に送り続けている。とくに、年版の『六法全書』や『ポケット六法』『有斐閣判例六法』といった刊行物は、いつからか、法律学習者たちの堅実な伴侶といった観を呈し始めていて、法学とは無縁の私なども、法律書といえば、何よりも先に「有斐閣」の名前が脳裏に浮かんでくるくらいだ(判例六法の類は他の会社からでも良質なものが沢山出版されているのに)。

有斐閣の守備範囲は、もちろん、憲法民法だけではない。経済や金融を扱った手堅い本も多く出している。塩澤修平の『経済学・入門』(有斐閣アルマ)などは、経済初学者の向けの書籍としては中々定評が付いているので、私も学生時代の一時期は、この本に向き合っていた。フローとストック、マクロ経済とミクロ経済の違いも分からなかった人間には、なかなか呻吟の絶えない宮廷料理ではあったけれども。

今回取り上げた『日本経営史』なんかも、有斐閣の出版物のなかでは良質な部類に入るものなのだと思う。図表も豊富で、章節の立て方でも要領を得ている。副題の語る通り、今日では半ばマジックワード化しつつある「日本型経営」なるものの解明に、力点が置かれている。Jモデル、人本主義、会社主義、協調的労使関係というような言葉の数々は本来、日本の企業を外国のそれと対比させた上で持ち出されたものだ。本書は、こうした発想の背景にあった諸事情を、親切すぎるくらいの詳細さを以て説明してくれる(とくに第五章から得るものは多かった)。

また本書について注目していいのは、日本経営史を叙述するのに、江戸時代にまで遡っている点だろう。ふつう日本歴史上での江戸時代といえば、純粋な封建時代として人びとの心に印象されている。「苛斂誅求」に喘ぎながら、「生かさぬように殺さぬように」とギリギリの生活を強いられている農民たちの型通りの姿が思い浮かんでくる。都市商業の発展があったとしても、それは特権を得た一部の豪商のみを潤すものだったと考えられがちだ。著者がいうには、江戸時代を巡ってのそうしたプリ・モダーン(前近代)社会という含意は、近年の歴史学者の間では、少しずつ見直されつつあるということだ。江戸時代は、制度面においても文化面においても、近代の萌芽を多く孕んでいる。そのことから、江戸時代をアーリー・モダーン(初期近代)の時代と見做せるのではないか、という風になってきたのだ。それが具体的にどういった面で見られるのかについては、第一章に詳しく書かれてある。              本書は、その議論内容が極めて濃いものなので、日本の経営史への関心が強ければ大変面白く読めるには違いないけれども、聞きなれない固有名詞や術語が数行ごとに出てくるから、一貫してかなりの緊張を要求する。この手の本を読んでいて混乱しそうになったときは、いまいちいど目次を熟読してみるといいかもしれない。そうやって全体の構成(議論の流れ)を見渡すことで、詳細な記述にあっぷあっぷになっている頭脳が整理される。 たとえば本書であれば、第一章は日本型企業経営の起源、第二章は近代経営の起源、第三章は近代経営の展開、第四章は戦前から戦後、第五章は戦後の経済成長と日本型企業経営について論じている。        複数の著者も筆になるこの労作を読みながら私は、自分のなかにある単純な日本近世観の修正を迫られた。当時の大名もお金の工面には中々苦労していたようで、鴻池のような豪商から頻繁にお金を借りていたようだ(「大名貸し」)。丁稚奉公の仕組みや、住友家、三井家の創始物語、日清・日露戦争下の企業事情や占領軍による「財閥解体」の内実、高度成長期の企業経営、日本でのトラストやカルテルの事例、ともかくその記述範囲はとても広いので、近代日本の通史を辿っている気にもさせる。

本書によると、いまの企業会計上の前提条件を作っているゴーイング・コンサーン(継続的事業体)の仮定は、江戸時代では既に広く浸透していたのだ。この事実は、金貸しであろうが呉服商であろうが、ある程度成熟した経営観念を持っていたことをよく示している。「この木なんの木」と歌うあの企業ソングが暗示しているように、殆どの「事業」にとって継続・成長し続けることは、言わずもがなの大前提だ。どこかの中世に特有な「一航海が一企業」といった投機的冒険的な金儲けではない、そうした継続的な事業観が定着しなければ、きっと、今日風の「株式市場」なんかも成り立たないのだろう。 そう思うにつけて、世界各地の経営史のことも段々知りたくなってきた。

それにしても、江戸から明治、大正、昭和、平成に至る疾風怒濤の日本経営史が、たったこの一冊で曲がりなりにも通観できるのだから、立花隆(あの蔵書自慢の好きな老人)がいみじくも言っていた様に、その情報収集や比較・分析の労力を思えば、本は基本的には安い。

日本経営史 新版―江戸時代から21世紀へ (Y21)

西村本気『僕の見たネトゲ廃神』(リーダーズノート株式会社)

ネトゲ廃人。一時期「社会問題」のような形で話題になりました。あれからも課金制のゲームなんかが次々出てきて、夢中の人が中々多いみたいです。

なんでこう、なんでもかんでも「社会問題」にしたがるのだろうな。「ニート」だろうが「引きこもり」だろうが、放っておけばよいと思うのだけれど。だって彼彼女らは平和の象徴ですよ。

こんな人たちを探し出して無理やり「社会問題化」したがる人々は、一体どれだけ暇で、どれほど立派なのだろうね。このお節介な物見高さ。「現実から逃避している」連中も「現実に逃避している」連中も結局、同じ穴のムジナですよ。人間というものは押し並べて、現実との距離感を取り損なっているものなのだ。そもそも「現実とは何か」をきちんと説明できる人などいるのかね。

周知の通り、世の中には変な人たちが沢山いるものだ。何もネット廃人に限らない。 たとえば「フェイスブック俗物」という動物がいて、この動物は「ともだち」の数ばかり無神経に増やしながら「いいね」ばかりを数百単位で掻き集める、「承認欲求欠乏症」の塊だ。 「活字中毒者」という動物もいて、この動物は外出中も気がつけば看板の字とかスマートフォンばかり読んでいて目の下はいつも青い。 ラインの「既読スルー」を強迫神経症みたいに気にする病人もいるかと思えば、給料の半分以上をパチンコに投じているカルガモもいる。

何が言いたいかって、「正常な人間」など最初からいないのですよ。人間はみな病人なんです。食わないと生きられない哀れな猿、漫然と繁殖ばかりしてきた淫乱な猿、一生のうちに8トンの糞便を排出するばかりの猿。たかだか国家のために死ねと命じる権力に服従する猿。みみっちい銀行券のために額に汗して働きまくる猿。 理念とか何とか高尚なことを論じてみたって滑稽なだけだし、何も始まりませんよ。

ネットゲームに溺れて終日キーボードをカチャカチャ鳴らしながら時々ペットボトルに排尿したりしている連中のことなど、どうでもいいでしょう。ゲームアバターの育成代行をビジネスにしている連中のことなども、どうでもいい。憂国の士を演じたいのに全然演じ切れていないあの薄っぺらい社会評論家どもと同じで、こんな者たちは全く人畜無害の塊なのだから、放っておけばいいのだ。

それなら、人間は、何をするといいのか。 簡単なことだよ。 なぜこんなグロテスクな日常が存在しているのかを脳漿を絞って考え抜くこと。なぜ「このような意識」が既に開始しているのかを血反吐が出るまで考え抜くこと。 「なぜ世界が存在しているのか、なにも存在しないのではなく」「他人の意識は実在しているのか」「言語とは何か、言語が違えば認知様式も違ってくるのか」 有り体にいえば、「考える糞尿製造機」に過ぎない人間に出来るギリギリのプロテストは、「思索」の中からしか生まれてこない。私はこの頃強くそう思うのだ。

ネトゲ廃人は骨の髄まで馬鹿でウスノロな動物だから、こういう「思索問題」よりも他人のプログラムしたゲーム空間に溺れることを選んだ。ただそれだけの話です。

僕の見たネトゲ廃神

水波誠『昆虫 驚異の微小脳』(中央公論社)など

岩波新書」「講談社現代新書」「中公新書」。 これらは誰が決めたのか俗に三大新書と呼ばれている。個人的には平凡社新書集英社新書ちくま新書などからも面白い本が少なくないのだが、大事なのは権威と質量なのだ。

私は必ずしも新書の熱心な読者ではないけれど、優れた質の新書にはこれまでも度々世話になってきた。 以下ほんのちょっぴりだけ新書に纏わる雑感を書き連ねたい。

この三新書、それぞれ固有の起源と伝統を持っているのだろうが、概して岩波新書は世界の潮流を相当強く意識していて、中公新書はそれに比べると些か時代色が薄く我が道を行くという超然たる趣がある。講談社現代新書はとにかく読みやすさに力点を置き、近頃では尚更その傾向が強い。

ここ十年ほどの岩波新書は、タレント風情の精神科医や薄っぺらいリベラル文化人が片手間に書き散らしたようなものが目立ってきて、年々読むに堪えなくなってきた。つまり内実まで安っぽくなってきた。 「本が売れない時代」だから媚びでも売らないと商売にならないのか、あるいはそもそも碌な書き手がいないのか、取り立てて言うほどのものでない本が平積みされている(ただ、岩波文庫から出ている本にはまだ魅力的なものが多い)。

表紙が黄色や青色だった時代は、丸山真男井筒俊彦みたいな学匠による重厚な著作も収められて、そういうものは今でも折に触れては読みたくなる(わけても井筒の『イスラーム哲学の原像』などは新書に相応しい「質」ではない)。 見方によっては単なるノスタルジーに過ぎないのかもしれないが、実感は実感なのだからどうしようもない。

もとより新書はそう何度も繰り返して読む類ではないけれど、新聞記事以上の情報(安定した)や体系的な知見は盛り込んでもらいたい。 政治パンフレットのような時流を露骨に意識した書き物や、自己啓発色のあまりに強いお喋りは(「~のすすめ」とか「何歳までに~をしろ」という様な)、読み捨ての三文雑誌か何かに任せられないものかと切に思う。

それに比べれば、講談社現代新書には、取るに足らないものも多いけれど、それと同じくらい魅力的なものも多い。 たとえば、『「大きなカブ」はなぜ抜けた?』や『時間は実在するか』『生物と無生物のあいだ』『毛沢東周恩来』といった本(著者は面倒なので略した)は、二十歳前後の当時大変に面白く読んだ。だから今でも覚えている。この新書は表紙が白くなってからの方が概して面白い(古いものは黄色い)

いま数多くの読書人に尋ねて総合的な評価を集めるなら、いわゆる「三大新書」のうち最も強く支持されるのは、間違いなく中公新書だろう(さしあたり断言する)。

いま同新書の目録をみても、地味ながら肉厚な内容のものが多いことに気が付く。 過度にアカデミックに流れずだからといって余り低俗にも傾かない所にこの新書の魅力があるのだが、たとえばそれは、ここ三か月のうちに私が読んだ中公新書を振り返ってみてもよく分かる。 猪木武徳『戦後世界経済史』、重松伸司『マドラス物語』、加地伸行儒教とは何か』、寺田隆信『物語 中国の歴史』、白川静『漢字百話』そして昨日読んだ『昆虫 驚異の微小脳』。どれもこれも読みながら知識が血となり肉となっている手応えが確とあった。

新書を十把一絡げにして軽蔑している人には、せめて中公新書だけでも再度評価するよう心から願いたい。

本題に入る。

この本は、ヒトに比べれば無に等しいように思える昆虫の脳構造について、かなり事細かく説明してくれる。 昆虫の持つ一立方ミリメートルにも満たない脳を著者は「微小脳」と呼び、哺乳類などが発達させた「巨大脳」と対比したうえで、その特徴を捉えようと提案している。

微小脳といっても、大方の人が思うほど単純なものではない。 犬でさえ知らずに踏みつぶしてしまうような昆虫だけれど、その脳には、ヒトと類似する複雑な構造さえ見られるという。

微小脳の話に入る前に、本書は、どうして昆虫がこんなにも地上に幅を利かせるようになったかを、簡単に説明する。学者によって推計は大分異なるが、昆虫が動物界最大の綱(class 生物分類上の一階級)であることは揺るぎなく、現在およそ八十万種が確認され(これは全ての動物種の三分の二を占める)、未知のものも含めると二〇〇万種は超えるとされている。陸地であれば昆虫のいない場所など殆ど存在しないくらいだ。

著者によれば、昆虫がその数を爆発的に増加させたのは新生代に入ってからの数千万年の間で、その主たる理由は、軽くて丈夫なキチン質(*)の外骨格であるクチクラを獲得し、陸上生物の大きな悩み事の一つでもあった「水分蒸散」から身を守れるようになったことだと言う。 そのほか、多くの脊椎動物に比べて身体が小さいために、成長上食べ物の摂取量が少なくて済むし、また、生態系のなかで空間を細かく分けて利用できるので種の分化には相対的に有利だ。

*[多くの節足動物や菌類の外皮や細胞壁等を形成する含窒素多糖類。エビやカニといった甲殻類の殻にたくさん含まれている]

後は直接本を読むほうが早いので、その主題だけをあらあらと辿る(不精は治らない)。

第三章では複眼、第四章では単眼が扱われている。 昆虫はおもに、複眼と単眼を併用していて、それぞれ違った視覚的機能を担っている。どう違うのかを知りたい人は読んでみるといい。ちょっと専門外の人間には難しけれど、じっくり読むと不思議と通じてくる。

第五章は、昆虫が空を飛ぶ仕組みに焦点が当てられている。その運動制御の仕組み、機能している運動中枢、バッタの飛翔解析を行った研究なども紹介されている。 この章だけでも満腹になる。

第六章は、匂いを感じ取る仕組みが論じられる。

第七章は、昆虫の脳にある「キノコ体」という特徴的な構造を巡って進められる。 第八章では匂いの学習、第九章ではフリッシュ(オーストリアの行動生理学者)の研究で有名なミツバチのダンスが扱われ、第一〇章のなかでは、ハチやアリの帰巣行動に纏わる研究成果が概説されている。 第一一章は、微小脳と巨大脳それぞれについての概観が述べられる。

ともあれ一際優れた新書と思う。こんな低コストでこれほど濃密重厚な知的経験に与れるのだから、書物というメディアには今更ながら頭が下がる。

昆虫―驚異の微小脳 (中公新書)

アンデルセン『絵のない絵本』(大畑末吉・訳 岩波書店)

デンマークアンデルセン(一八〇五~一八七五 *1)は一般に、『人魚姫』や『親指姫』『マッチ売りの少女』のような、短くて時々やや感傷的な童話の作者として世界中にその名が通っているけれど、実は、紀行文(彼は生涯外遊ばかりしていた)や戯曲も多く書き、日本では『即興詩人』の訳題で知られる長編も残している。

殊にこの『即興詩人』は近現代の日本文学史を辿る上でも極めて重要な位置を占めている。 この作品は一八九二年から一九〇二年にかけて、明治の文豪・森鷗外の秀訳を以て文芸雑誌に紹介された。 その雅語と漢語が混淆した超絶的文体は美妙な抒情的香気を湛え、翻訳とはいえ、それ自体がひとつの浪漫文学の精華として現在でも文学精通者の根強い高評を得ている(*2)。

連作短編『絵のない絵本』は、孤独な絵描きを慰めるために月が毎夜一つずつ自分の見聞を語るというもので、設定としては、シェエラザードなる娘が千一夜費やして王に話を聞かせるというあのアラビアの物語集とよく似ている。

どうかすると平板で生温い小話の寄せ集めで、一話一話がこれほど短くなかったら、当時中学生だった私でも途中で退屈して嫌になったかもしれない(こればかりは趣味判断の問題だろう。彼の童話も、グリム兄弟の採取・編纂した物語集に比べればどこか教訓臭くて、私にはいまいち馴染めなかった)。

それでも、見様によってはブラックユーモアとも取れる話が少なからずあって、ひねくれ者の私も時折愉快にさせられた。 そのことだけを書きたいが為にいまこうして雑文をしたためているわけだ。

例えば第二十二夜が気に入った。

まず一人の女の子が「世のなかが意地わるいのを」泣いている。 というのも、彼女の大事にしている人形をお兄さんが高い木に引っ掛けて何処かへ行ってしまったからだ。 語り手は冷静に人形の内面をも推し量って言う。「お人形もきっと、いっしょに泣いているにちがいありません」。 人形を助け出したくても助けられない女の子は、ひたすらそれを可愛そうだと嘆くほかない。 すると、木の茂みから小人の魔物がのぞいているのが見えたような気がした。そのうえひょろながい幽霊らしいものが踊りながら近づいてくるではないか。 女の子はすかさず「でも悪いことをしていなければ怖がることはないわ」と考える。 「魔物だろうが幽霊だろうが何もすることはできないわ。私は何も悪いことをしていないから」 色々考えを巡らしているうちに彼女は思いついた。「あ、そうそう、足に赤いきれを付けていたアヒルを一度笑ったことがあるわ。おかしな格好で、おまけにびっこを引いていて可笑しかったもの。でも生き物を笑うなんてよくないことだったわ」 そして彼女は木に掛かった人形を見上げて訊ねる。「あなたも生き物を笑ったことがあって?」 そして人形が首を振ったかのように見えた。 「あたかも~のように」の語法が肝心なところで使用されているのが明らかで、そのうえ結局何がなんだかよく分からない。 当時だけなく今読み返してみても不気味な余韻に浸れる。 物好きな方はこの部分だけでも愉しんで欲しい。 いつか彼の他作品もじっくり語ることにしよう。 今日はこの辺りで。

*1 デンマーク語名ではアナセン/アネㇽセンだと事典に書いてある。こちらの方が一段詩的に響くのは気の為か。

*2 幸い近くの本棚の浅いところに此の本があったので、適当と思う箇所を引いてみる。

戸内には燈明き室(へや)あまたあり。室ごとに大卓(おほづくゑ)幾箇か据ゑたるを、男女打雑りたる客囲み坐せり。われは勇を鼓して先ず最も戸に近き一室を大股に歩み過ぎしに、諸人(もろひと)は顧みんとだにせざりき。卓の上には堆く金貨を積みたり。我目に留まりしは、十年前までは美しかりけんと思はるゝ、さたすぎたる婦人の服飾美しい面に紅粉を施せるが、痩せたる掌に骨牌(かるた)緊(きび)しく握り持ちて鳥の如き眼を卓上の黄金に注ぎたるなり。 (鷗外訳『即興詩人』「嚢家」 一部変更)

このように鴎外は、あたかも原作者に挑戦するかのような重厚の格調を以て、その格違いの訳筆を揮った。 この調子に慣れるまではしんどいかもしれないけれど、読んで不愉快にはならない。

絵のない絵本 (岩波文庫)