書痴肉林・蟄居汎読記

佐野白羚の古い雑文の一部を(たぶん)定期的にひっそり掲載します

シーナ・アイエンガー『選択の科学』(櫻井祐子・訳 文藝春秋)


 

奇妙なくらい大胆な表題だったから、この本を「選択」したわけだ。近所のブックオフ。人でいっぱいだ。なんでこんなに人がいるのか分からない、この阿呆みたいな暇人どもは何しに来ているんだろう、と一人一人がみんな頭のなかで思っていることでしょう、さしづめ。大衆というのは、「自分だけは愚鈍な大衆に属していない特別な人間なのだ」と思っている個人の寄せ集めですから。現在日本では二十代の九〇パーセント以上の人間がスマートフォンを所有している。SNS利用率は三十代でも八割を超えている。街で見かける彼彼女らの大半が歩きながらタッチパネルをこすっているのは、この猛烈な普及率からしか説明できない。それでいながら一人一人のユーザーの内心に分け入ってみると、自分の消費選択や行動様式がよもや統計上の「その他大勢」に単純回収されているとは思っていない(思いたくない)。「自分がこのiPhone8を購入したのは、あの薄っぺらいミーハー連中がこぞって騒いでいるからではない、何しろスペックが気に入ったし、審美的にも素晴らしい製品に違いないと判断したからだ」とか何とか御託を並べて、自分の消費選択の「凡庸さ」を固有の合理的動機に還元しないではいられない(この種の滑稽な消費心理の変質性は、たとえばメルセデスベンツのヘビーユーザーのなかにも村上春樹の熱心な読者のなかにも見られる)。

ここに社会の不思議がある。妙がある。個人現象と集団現象の妙な力学。この「その他大勢」問題については本書第三講に展開されているので、気になればそこだけでもつまみ読んでみてはどうか。

 

かえりみると僕は「選択・意思決定」がよっぽど苦手なのだ。古本屋に出向いて予算内で数冊本を買おうというとき、必ず数冊諦めねばならないものが出てくる。そうなると内心にわかに急き立ち、悪い動悸が打ち背中には脂汗が滲んでくる。入手したい本の候補のなかから何かを斬らねばならぬというこの切迫した「ソフィーの選択」的窮境に耐えられない。これは「脳」のある部位の過剰作動によるものだと思う。たかだか数冊の本でこれなのだから先が思いやられますね。

それにそうした苦しみは古本屋に限らないのだ。スーパーで同じ値段の複数の総菜パンのなかから一つだけ選び取るときも同じ。家電量販店で電子辞書を選ぶときも。実はこうした下らない文章をいい加減につくっているときも、その形容詞や熟語のためにいちいち脳を消耗させているようだ。ここはカタカナがいいか、句読点の配置は適切か、という具合に。

まさに人間は、その取るに足らないライフサイクルのなかで無数の選択を強いられている。泣きながら生まれて来た無力な個体は、随時選ばなければ生きていけない。志望校、友人、転職先、市長選、行きつけの飲み屋、情報、新幹線のなかで読む雑誌、ツイッターのフォロー、ブログサービス、賃貸住宅、これから聞くラジオ番組、連休の旅行先、マクドナルドでのポテトのサイズ、生涯の伴侶から子どもの名前まで、人の世は選択だらけだ。たとえばフジツボとかオランウータンとかマロニエなんかは一体どのくらいの頻度と濃度で日々の選択をこなしているのか、しりたい。今日は陽射しがいいから目一杯栄養を生産しようとか、あの木の実を取ると奴がうるさいから今回は諦めよう、とか案外ごちゃごちゃ意思決定しているのかもしれない。

終末医療現場ではしばしば生きるか死ぬかのシリアスな選択も余儀無くされるし、検察や裁判官は年中他人の人生を左右する選択を迫られている。離婚した夫婦は「親権」の選択をめぐってとことん揉める。国のトップの外交政策判断が国家の趨勢を決定することもある。選択する人間はなんらかの面でギャンブラーたらざるをえない。

ああ選択って、大変ですねえ。偉い人たちも凡人たちも、日々選択に気骨を折っているのだ。僕は選択で疲労したくないという理由だけで時々死に憧れる。

同じ量の秣に挟まれた驢馬はどちらかを選ぶことができず餓死してしまう、という出典不明の「ビュリダンの驢馬」の寓話は、一見荒唐無稽ではあるけれども、二者択一の場面での自身の困惑焦慮を思えば、無邪気に笑えない気もする。かくも選択は困難なのだ。


自由に物事をチョイスすることは生物の「本能」であり、また人間があらゆる希望を語るための条件でもある、なんてことを言われると、つむじ曲がりの哲学者はほくそ笑みながら多分こんなふうなことを能弁に語る。
そういうのは「自由の選択」の即物感覚に過ぎなくて、「自由の選択」などではありえないのではないですか、そもそも生物は自分が生まれてくることや自身の遺伝因子など最も重大な諸条件を「選択」することができない。ある個体の趨勢はより巨大な歯車運動によって最初から決定されているのではないですか。カルヴァン的な救済予定説もラプラスの悪魔の仮設も、とどのつまりは同じような絶望的宇宙観に根差しているような気も時々します。人間は畢竟何も選んでいないのですよ。既存の環境に支配されながら惨めに生きている無価値な生物群に過ぎません。
「人間の頭ってものは、なに一つとして新しいものなんか考え出せるもんじゃない、そんな風にできているんだよ。外から獲た材料を利用するだけの話なんで、意志の力で動いたりするんじゃない。自分で自分を支配する力なんか、もちろんないし、その所有主にだって命令する力はない」(晩年のペシミスト化したマーク・トゥイン『人間とは何か』中野好夫・訳)


「自由に選択している感覚」と「自由に選択すること」は、違うようで同じようで、どうにもならない問題のようだ。僕の意見では、哲学上の厄介至極の諸問題をやたら日常に持ち込むのは得策ではない。自由に事物を選択していると確信している個体のある行動が実は「既に決定されていた」としたところで、当の個体が自由感覚を生きているのであれば、それは「自由選択」なのだ。なにかが自由であるとか自由でないというのは反証不可能な命題同士のぶつかり合いであって、ようするにこのままでは自説に固執した形而上学的議論を越えられない。アンチノミ-、二律背反の隘路に行き着くだけだ。ただそうした議論は面白いので、やるならアテネの学堂でやってほしい。事実現象して止まない人間社会を説明するのに重たすぎる問題だ。ヨーグルトの成分を調べるのにヨーグルトの語源やその歴史的経緯まで洗い出す必要はない。問題のスケールとフェイズをその都度意識し直さねばならない。

 

生存上明らかに安泰な動物園の生き物が野生の動物よりなぜ短命なのか、コカコーラ社がサンタクロースを宣伝マンに仕立て上げた経緯、豊富な選択肢が購買意欲を刺激するわけではない旨、 投票行動と投票用紙のカラクリ、消費者から見たミネラルウォーターと水道水の違い、小売店などで主力商品をニッチ商品の売り上げが上回る、いわゆる「ロングテール現象」の話、一九八〇年代から一九九〇年代初めにかけてカナダはたばこ税を急激に引き上げて喫煙率は四〇パーセントも減少したが、一方で闇市場が隆盛してしまい深刻な社会問題となったことなど、興味に尽きぬ事例多数。

のんきに読んでいても目から鱗、ひとつ大いに学問しました。

選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)

小田垣雅也『キリスト教の歴史』(講談社)

 

 

キリスト教」とは何か、という問題に直面した素朴な日本人は、まず何を読めばいいのか。何でもいいのだ、きっと。概説本でも学術論文でもパウロ書簡でも「聖書物語」でも内村鑑三でも遠藤周作でも佐藤優でも何でもいいのだ。マグダラのマリアが西洋美術ではどう表象されて来たのかみたいなやや渋い切り口の論考から入るのも乙だね(岡田温司マグダラのマリア中央公論社)。
日本で偶像視されているアルベルト・シュバイツァーの思想や行動力も、最近人気の高い『カラマーゾフの兄弟』も、マタイ・ヨハネ受難曲も、キリスト教や聖書の知識なしには深く理解できない(はずだ)。
 
身も蓋もないけれども、キリスト教を知るための最短ルート(昔は捷径という良い言葉があった)は、共同訳聖書を直接読むことなのかもしれない。周知の通り共同訳聖書は二十世紀初頭に始まったエキュメニズム運動(教会一致運動)の流れを受けて作られたもので、その翻訳活動にはカトリックプロテスタント諸派も同じ程度参与している(そう言わない人もいるけれど)。日本で共同訳聖書と呼ぶときはふつう一九七八年に日本聖書協会から発行されたものを指します。
 
何を読んでも宗派的偏向や語義解釈問題は避けられないけれども、どうせ避けられないなら出来るだけ一般化した読み物の方がいい。それだけ多くの眼差しや批判にさらされているのだから、信用面でも何かしらの価値はある。「功利的読書」とは、たとえばこういうことを指すのだ。
 
ところで、語彙に乏しいくせに批評じみたことをやたら言いたがる人間が他人の本を褒めるときによく使う紋切型が二つある。ひとつは「簡潔にして分りやすい」、もうひとつは「今までになかった新鮮さ」。今回たまたま読んでみた本書はまさしく前者、簡潔にして分りやすい。それによくありがちな神学的瑣末主義とも縁遠い。誰だって最初から延々たる神学談義に巻き込まれたくないのだ。それにあまり布教精神旺盛でファナティックなのも閉口だし、キリスト教に対して最初から敵対的で啓蒙風を吹かせまくるのも困る。著者の信条にかかわらぬ何かしらの「距離感」が、この際ずいぶんありがたい。ものを書く人間にとって大事なのは、対象との距離感なのだ。
 
最近の素人はとかく我が儘なので、読みやすいうえに内容の濃い本をいつも求めている。文庫本で二六〇頁くらいなら我慢できるでしょう。関連の固有名詞が次々飛び出してくる。イグナティウス・デ・ロヨラトマス・アクィナスモラビア兄弟団、ジョン・ウィクリフ、トレルチ。ブリタニカ国際百科事典なんかと首っ引きで熟読してみると、この分野の歴史的深みが自ずと察せられるのだ。一言にキリスト教といっても、これだけ多くの使徒や聖人、学者や芸術家、世俗権力や「異教徒」が関わっているのだ。複雑多岐にして亡羊の嘆あり。
 
これ一冊でも精読すれば、聖書を知らない誰かにひとくさりの簡便な講義くらいは出来るようになる。きっと保証しますよ。出来なかったらあなたのオツムか読み方が悪いのです。
 
大きな宗教には大抵いろいろの分派がある。歴史をみれば誰でも分かるけれど、組織も帝国も必ずいつか分裂するのだ。生物の細胞やジャニーズ事務所同じ。これ人の世の常。覚えておこう。そしてこの分裂が往々にして騒擾対立のもとになる。歌謡曲なら人生色々で誤魔化せるけれども、宗教は宗教色々とはいかない。色々の宗教の間での論争や対立は誠に根深い。キリスト教ももちろん例外ではない、というよりも最もダイナミックかつ複雑に分裂したのがキリスト教ではあるまいか。
 
「異端」もある。腐敗もある。通俗化もする。神秘思想も生まれる。科学との和解も強いられる。キリスト教ほど断面の多い問題も少ない。
けれどもその中核にある歴史的な信仰理念を辿ることは、我々のような素人にもそう無理なことではないようだ。本はありがたいものだ。この分野については沢山本が書かれている。知らないと思えば目一杯読んでみることです。何も知らないやあへへとか馬鹿面して許されるのは目一杯読んでからです。ローマ時代では迫害も激しかった。古代ペルシア起源のミトラ教との接触もあった。
 
「原罪説」や人間の自由意思をめぐっての論争も激しかった(ペラギウス派とアウグスティヌスの論争が有名)。
そもそもカトリックとは何か。語源はギリシア語で、普遍的とか世界的の意。アンチオキアの教父イグナチオスが『スミュルナ人への手紙』のなかではじめてこの語を使用する。ことわりがなければふつうローマ・カトリックを指すわけだけれど、ギリシア正教会も一部のプロテスタント教会カトリック教会を自負していることも覚えておきたい。
 
十六世紀頃の西ヨーロッパではいわゆる宗教改革が盛んになった。彼らは既存宗教の何に不満で、あのようなプロテストを行ったのか。どんな信念、目論見が背後にあったのか。ルターとカルバンの思想の違い。英国国教会とは何か。おおむかしに処刑されたらしいイエスとは、どんな人物だったのか(これについては田川健三の書いた『イエスという男(逆説的反抗者の生と死)』が面白い)。新旧の「聖書」はいつごろ誰によってどんな事情で記されたのか(聖書考古学という分野がある)。近現代の哲学者や神学者たちは概ね何を考えていたのか(フォイエルバッハの『キリスト教の本質』は一読の価値ある)。ついでに十六世紀以来の日本人によるキリスト教(耶蘇教)経験はどの程度のものであったのか(唐突だけれど石川淳に『焼け跡のイエス』という佳作がありました)。
 
ともかくキリスト教のおさらいという気構えで読んでみるといいですね。こんな入門書が本当は一番大事なのだと思います。

 

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アーメンがヘブライ語で「まことに」とか「たしかに」という意味だということも分かった。あれは日本人のコメディアンが牧師なんかの真似をするときに使うだけの紋切り型ギャグだと思っていた。

 

キリスト教の歴史 (講談社学術文庫)

山本夏彦『完本 文語文』(文藝春秋)

入力しながら、毎回思うことは、「藝」という字のアラベスク文様みたいな錯綜感。この守旧精神、歴史ある出版社の気負いを見ないでもないし、私も嫌いではない。「文芸春秋」なんて書くと何だか気の抜けたサイダーみたいになって急に安っぽくなる。澁澤龍彦も「渋沢龍彦」と書くと急に凡庸化してあのディレッタンティズムの神秘性が希薄化してしまう。森鴎外の鴎も「鷗」の字でないと駄目みたいだ。内田百閒の「閒」の字に至っては、ときどき「間」と書かれている。これはきちんと活字化された本のなかにもある。月と日は全然違う。パソコン入力は漢字の異形性と多様性を奪い取る傾向があると言えば、それまでだけれど。

 
漢字の形状から受ける印象は存外に根深い。漢字心理学とか漢字印象学なんてあってもいいような気もする。白川静の漢字の本を見ていると、ことにそう思う。起源前十五世紀頃の甲骨文字以来の視覚的迫力、「不合理」な刻印性。
 
漢字の奇妙な心理効果といえば、他にもいろいろ事例がある。医院を「醫院」と書いたあの看板。そんなのを見ると、この病院は随分むかしからあるんだなあ、とか思ってしまって、人はむやみやたらに権威を感じ取る。もともと中国の昔の医者は酒壺に薬草を封じ込み薬酒をこしらえていた。それに医者は呪術や祈祷とは切り離せなかった。そんな次第が漢字の形からぼんやり暗示される。
 
おしなべて権威感情というものには根拠などない。トルストイの晩年の肖像画に読者が圧倒されてしまうのは、あの量感のある鬚と思索的厭世的な眼差しのせいであって、そうでなければ彼に対する権威感情は半減すると思う。文豪も家庭では恐妻家であったり小市民的な生活者であるからだ。
 
それだから、画数の多い漢字は多分に形式的で、男性的思想色を帯びてしまうのだ。有無を言わせぬ形而上的説得性と言ってもいい。一九四九年内閣告示の「当用漢字字体表」が提示した「新字体」以前の字を私どもは「旧字体」と呼ぶ。この旧字体と併せて「歴史的仮名遣い」と呼ばれるものがある。これはなかなか入り組んだ話だから雑にはくくれないのだけれど、たとえば福田恆存とか丸谷才一が生涯使いつづけていた仮名づかいのことで、もちろん現代から見ればこれはずいぶん馴染みの薄いものになっている。言う、を、言ふ、などと書くあれだな。この国語観は結局、どの時代に国語教育を受けたかで決まる。戦後に生まれ戦後の教育を受けた現代日本人たちが歴史的仮名遣いに郷愁を覚えることは、まずないと言っていい。母国語ほど教育の影響をもろに受けるものはないからだ。かりに「現代仮名遣い」がどれほど粗雑で醜いものであろうとも、幼少時より使い慣れた言葉を合理的理由から手放すはずがない。良かれ悪しかれ、「現代仮名遣い」(一九四六年)はあまねく国民の間に浸透している。「歴史的仮名遣い」で文章を書き続ける人間が時代錯誤な好事家にしか見えないくらいに。福田恆存がいくら『私の國語教室』のなかで歴史的仮名遣いの魅力を力説しても、多勢に無勢といった観が余りある。私の気持ちだって、いまさら昔に戻れないのだからこのまま行きましょうよ、という具合なので、歴史的仮名遣い論者の熱い気持ちをどうにも汲み取れないのだ。祖国とは国語であると偉い人たちはいうけれど、いい加減な日本語も高級な日本語も同じくらい祖国なのですよ。近頃とみに増えて来た「これ~じゃね?」とか「~っすね」なんて言い方を私は嫌いだけれど、これも立派な国語なのだ。 自身をかえりみれば私もろくなを日本語を使っていない。
 
そんなわけで、戦後、国家主導によって、漢字も仮名遣いもずいぶん変わったわけだけれど、それでも言葉の中にはいまでも「古風」な残滓がなくもない。「文語文」がそれだ。錚々たる顔ぶれ、燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや、欣快の到り、肝胆相照らす仲、感に堪えない、いまでもこんな慣用字句を持ち出すでしょう。「我が身の不遇を悲憤慷慨し」と書くのと「自分の不遇を悲しみ怒った」と書くのとでは、かなり印象が違う。多少の過大表現は読み手が勝手に割り引いてくれるから、思い切って古風大仰大時代な字句を使ってみよう、というのが現代の文語文なのかもしれない。
 
山本夏彦という、この煮ても焼いても食えぬコラムニストは、毎回同じことばかりを繰り返すのでいい加減食傷してしまうのだけれど、文語文に対する見識と思い入れだけは相当確かなものなので、本書は一読に値する。
 
日本における文語文は、言文一致運動以前に用いられていた平安時代の文法に基づくもので、それに対するものを口語文と呼ぶ。言文一致運動は明治から大正にかけての現象で、ざっくりいうと、書き言葉と話し言葉の間の隔たりをなくしていこうよ、というものだ。概して、文字を使用する言語では、書き言葉は古い形式をとどめやすい。日本も例外でなく、明治に入り識字階層の広がりにともなって、両者の異質性が痛感されるようになった。一番古い事例のひとつとして、一八六六年(慶応二年)に前島密の『漢字御廃止之儀』に言文一致の主張があって、その二十年後に物集高見(もずめたかみ)という国学者が「言文一致」の語をはじめて使う。小説家の存在は、言文一致運動の流れのなかで極めて重大な位置を占めている。山田美妙の「です調」、二葉亭四迷の「だ調」、尾崎紅葉の「である調」なんかは、よく知られている。落語家の三遊亭円朝(一八三九~一九〇〇)による速記本出版がこの運動に与えた影響も無視できない。いろいろな人間の間ですったもんだがあった末、一九〇〇年から一九一〇年の間には、言文一致運動は一応の完了をみる。今現在私どもの使っている口語文は、この言文一致運動なくしてありえかった。そうでなければいまでも「あゝ玉杯に花うけて」とか「昨晩は怏々として眠れず」みたいな文章を普通に書いていたかもしれない。いやギャグではなくて本当に。
 
山本夏彦二葉亭四迷の崇拝者を自認している。彼自身、稀代の文章家だった。陸羯南から坪内逍遥まで自在に引用しつつ、明治の語彙を自家薬籠中のように語り、岩波書店の批判も執拗に繰り返す。そのお家芸とさえ言える偏見ならびに愚痴を痛快に読んでいると、こういう面倒くさい古風なジジイも既に絶滅危惧種なのだろうなという感慨を禁じ得なくなって、すこし文語文を見直してみたくもなる。
 
ともあれ、この本、文語文の手引書としては最良のものに当たるではないかな。大事なのは著者が決して文語文復活論者などではないことだ。そんな現実離れした空論を振りかざすほど惚けてはいない。こんな時代もあったと懐かしみながら書き綴っているだけだ。

文語文については言いたいことも沢山あるけれども、長いのは嫌だからこのへんで。

 

完本・文語文 (文春文庫)

ベルクソン『時間と自由』(中村文郎・訳 岩波書店)

キーボードの前にチンパンジーでも座らせて「無限の時間」むちゃくちゃに叩かせると、そのうち必ず『ハムレット』と全くおなじ文章列が出来上がるだろう、という話がありますね。ピアノの前でむちゃくちゃ弾かせていればいずれショパンノクターンが演奏される、みたいなバリエーションもたまにはあってもいいとは思うのだけれど、ともかく、こういうちょっと遠大な小話は、前提がやや機械論的過ぎて粗削りなのだけれど、思考実験としてはなかなかよく出来ている。

どうしていきなりチンパンジーの『ハムレット』なのだろう。ベルクソンとはほとんど関係ないのに。きっとどことなく無限感覚に浸りたい気分だったのだ。こういう切り出したかでないと哲学者などとても語れない。どうかすると、ベルクソン哲学の代名詞みたいになっている「純粋持続」の把握は、「無限」という言葉に対するのと同じくらい、直観に依存しているのではないかな。

いったい哲学者の直観言語というのは、とてつもない知的体力を要求するものだ。「善のイデア」「エランビタール」「現存在」「現象学的還元」「もの自体」「運命愛」。どれもこれも重量級で異様な魔性を帯びている。「無限」というのも、重い。

「無限」と聞くと、なんとなく人は「ああ、あれね」で済ませてしまう。けれども、これではまずいのだ。こうした惰性的な受容の仕方は、非常にまずい。知性の怠慢では済ませられないくらいにまずい。回転し過ぎた回転鮨よりもまずい。

「無限」とか「無」という言葉は、その流通性の高さのために、人を無残なほど錯誤させる。「それ」について何も分からないからではなく、まるで分っていると思う点で激しく錯誤なのだ。もっといえば、そうした「観念」を無感動に平然と受容してしまうこと自体が、すでに間違っている。「無限」も「無」も、「うん、そのことならもう知っていますよ」みたいな調子で受け流せる問題ではないのに、人々はあたかも前々からその問題を解決したような気になっている。何も解決していないのに、解決したつもりでいるのだ。これは考えられるかぎり最悪の受容法である。

「無限の時間」とは何か、と問う。問いの衝動。「無限の時間」。限りがない「持続」。はてしなく何ごとかが「持続」していくこと。これは「凄まじい」ことではないですか。おそろしいことではないですか。もうなんだか気違いになって嘔吐しそうな「こと」ではないですか。

反復であれ展開であれ、なんらかの「ある」が持続していくこと。これは人間の知的範疇の埒外にある現象だ。「何ものかが無限にあり続ける」この言辞化不可能な茫漠感覚は、どこに落ち着けばいいのか、私も皆目分からない。無限というデフォルト。眼の前の何らかの世界は無限に変遷する。「消滅」は考えられない。「無」など疑似観念です。それはひとつの章の句読点でしかない。何かが何らかの変遷によって消えれば、その代わりの何ものかが生じる。実はこれ、大変な問題なのですよ。何かが永続してあり続ける。あり続ける、というのは、想像の勢力圏外の話だ。

ついでにどうでもいい話をしましょう。私は「無限」マニアというか、この何だか途方もない量的概念がむかしから大好きだったので、いまでも「無限級数」とか「無限後退」とか「無限集合」などと聞くと、ちょっと昂奮してくる。債務関係の用語にある「無限責任」というのもいいね。「無限」は果てしがないのだから、おそらく思考内では表象不可能で、できるのはせいぜい驚愕し直感することくらいだ。驚愕し直感するしかない概念など、実は、そう多くはないのだ。

 ヘーゲルは「無限」を悪無限と真無限に分類したけれども、私は、どんな単純な「無限」であれ、私はそれを感じ取るだけで猛烈に圧倒されてしまうのだ。この壮絶な圧倒感は小賢しいだけの理性的言辞が及ぶところではない。「無限」は説明されるものではなく、知性を沈黙させるものなのだ。この思考停止の沈黙、取り付く島もない強烈な超知性的経験こそが、あらゆる哲学的マインドの発端であると、私は思う。高密度の感性と高度の言語運用能力を併せ持った生き物は、把握しえない物事を前にして、その根源を問う。どうにもならないと知りながら、問わずにはいられないのである。人間知性の条件は、まず哲学への可能性にあると言ってもいい。大学で食い扶持を得ている「哲学者」だけが「哲学」をしているのではない。カントとcunt(女陰)の区別もできないような田吾作でも、心の奥底には哲学的マインドがひそんでいる。ただそのマインドは、不幸にも、ほとんど芽生えることはない。この「なぜ」の問いから縁遠い生涯を送らねばならないのは、残念なことだ。いいお節介なのだけれどね。いずれにせよ、「いま俺は世界の舞台裏を垣間見た」「一秒先も予測できない絶対未知の場所に自分は投げ出されて存在しているのだ」「いま僕は宇宙の脊髄に触れた」と叫んでしまうほどのあの快楽が、生理的快楽とは別種の極めて特異なものであることだけは確かなのだ。

哲学は、思考技術や知識である以前に、ひとつの感じ方、ベルクソンに言わせれば、「なにか単純な、無限に単純な、並はずれて単純なために」どうしても上手く言えないようなものを感じ取ることだ(『思想と動くもの』「哲学的直観」河野与一・訳)。

 哲学者は、何か不可知な観念に打ちのめされている。何ごとにも打ちのめされていない人間は、哲学研究者にはなれても、哲学者にはなれない。哲学者と哲学的マインドは絶対に切り離せない。パンを焼けないパン屋の存在がジョークであるのと同じように、哲学的マインドを生きていない哲学者は、ほんらい存在してはならないのだ。

哲学的マインドについての持論はいくらでも展開できるけれども、いまは一応ベルクソンの本の話をしているわけだから、このへんで自制しないといけない。

 

アンリ・ベルクソンの博士論文である本書『時間と自由』(原題は「意識の直接所与についての試論」一八八九)について、不可能と乱暴を承知であえて一口で要約するなら、生の時間は純粋な持続そのものであるから直観でしか把握できないよ、ということ。

科学の扱う知性言語は、どうしても質を量化し、時間を空間化させてしまう。たとえば、何メートルとか何グラムとか、やたら数字や単位をつけたり分節したりして、眼の前の世界を知的操作可能な対象に変えていく。ベルクソンは論考のなかで等質空間というものの弊害をしつこいほど指摘している。等質空間というのは、科学の方法が伝統的に想定している場のことだね。科学的な空間把握においては、ロサンジェルスもモスクワも宇宙の果ても、質においては何も変わらない。物理空間として抽象された場は全て無条件に同質なのだ。そんな等質空間の直観がなければ、幾何学は成立しないし、ロケットの打ち上げに必要な計算もままならない。

面白いというか新鮮なのは、ベルクソンがここで、等質的空間の直観が人間にとって社会生活への第一歩であると書き加えていることだ。

 

「動物はおそらく、私たちのように、自分の感覚のほかに、自分とは区別される、あらゆる意識的存在の共有財産たる外的世界を思い描くことはしないだろう。このような事物の外在性やそれらの環境の同質性をはっきりと思い描く傾向性は、また、私たちに共同生活を営ませ、話すようにさせる傾向性である。しかし、社会生活の諸条件がより完全に実現されるにつれて、意識状態を内から外へ運ぶ流れもまたいっそう強化される」(第二章)

 

なかなか括目に値する指摘と思いますよ。訳文なので三回ほど読まないと脳味噌に沁み込んでこないけれど、彼の言いたいことは分りすぎるほどよく分かる。「共有財産たる外的世界」を持つことで人間は複雑な組織力や共同力を持つようになった。いっぽうで、こうした等質的空間の共有は、本来生きた躍動をしなければならない所与意識を抑圧し疎外することにも繋がった。つまり何かを得れば何かを失う、ということなのだ。

共同生活の営みは、「言葉」なしではありえない。「言葉」の極ありふれたやりとりを考えてみれば、彼の言う「外的世界」の価値がよく分かる。

「獲物が近くにいるようだぞ」「お前は後ろに回れ」なんて単純なコミュニケーションにおいてさえ、それが成立するためには、「獲物」とか「近く」という言葉のニュアンスを巡って、ある程度社会的合意を形成している必要がある。そうした言葉が自分固有の内的言語であってはならないのだ。二人以上の言語関係は、等質的空間のなかでしか機能しない。多くの人間が協力してやっていくためには、自分の規定しがたい内的質感を、共同体の「記号」として扱わねばならない。

ベルクソンにとって大事なのは、私どもの知覚や情動や感覚が、常に二重の相のもとにあらわれるということだ。ひとつは「明瞭で、精密だが非人格的」、もうひとつのほうは、「混然としており、無限に動的であり、その上、言表不可能」。なぜ言表不可能なのだろう。「言語は、それを捉えようとすると、必ずその運動性を固定してしまうことになるからであり、かといってそれを自分のありきたりの形式に順応させようとすると、必ず共通領域のなかにそれを墜落させることになるから」だ(第二章)。

 どっちにしたって、人間の言葉はおよそ「生」から遊離する傾向がある。無限の動的性質や混然たる異質性は、どうしても手放さなければならない。「社会人」であれば尚更だ。大人の階段をのぼるということは、めいめいの自己に固有だった異様な活動性を、言葉の無難な流通市場にうまく適応させるということだ。

それにしてもベルクソンはシャープなレトリックを駆使しつつ「言語」を沢山を語るのだけれど、言っていることは極めて当たり前のことなのだ。繰り返しになるけれども、哲学者は、「単純すぎるあること」をきちんと語ろうとするために、却って苦労する。挫折する。哲学者の言葉がときとして「難解」に聞こえるのは、言っているや議論していることがいちいち「当たり前すぎる」からなのだ(もちろんなかには本当に分りにくい思索内容もあるのだけれど)。

わたしたちは自分の内側の固有の異質性よりも、外在的な共有世界に身をまかせて生きている。どうですか。考えてみれば当たり前のことでしょう。だいいち、わたしたち人間、という呼称そのものが、社会生活の典型的産物なのだ。ありのままの、所与の意識の、絶え間なく変遷する生の感覚は、人間にあってはほとんど封印されている。そうした本源的な感覚は、「常識」や「共通言語」の枠組みから成り立っている社会生活においては、不要であるばかりか危険なのだ。人間は「内部にある持続」、この「数とは何の類似性をもたない質的多様性」を手なずけて、可もなく不可もない微温的世界に適合させている。無規定で停滞することのない生来の運動体を、「社会生活」という型に当てはめる。ベルクソンは別のところで(「哲学的直観」前出)、そうしたスクリーンをもっと遠くへ押しやって、「厚みがあるばかりでなく弾性的な現在」をとりもどそうと声高に叫んでいる。すべての事物を「持続の相のもと」に見る習慣をつければ、「われわれの鍍金がかかった知覚のなかで、こわばったものが緩み、睡がっているものが眼をさまし、死んだものが生きかえる」と。この狂熱性と文学性、日本の堅物みたいな「哲学者」像からみれば、かなり哲学者ばなれした印象を受ける。尤も元来哲学はパッションから入り込むものだから、詩的言語とは親和性が高いのだ。ニーチェの文章にもハイデッガーの文章にも文学臭が強く出ていることを思いだしてほしい。

そういえば、哲学者でありながらノーベル文学賞を得た人物を私は三人しか知らない。ドイツのルドルフ・オイケン、イギリスのバートランド・ラッセル、もうひとりがフランスのアンリ・ベルクソン(今更だけれど、ベルグソンと表記されることもある)だ。のちに同国からはもうひとりジャン・ポール・サルトルという人も受賞が決まったのだけれど、なにやら小難しい思想的理由から辞退している。

ベルクソンは一流の「名文家」として誉高い。それでいながら彼は終生言葉の性質を警戒し続けた。哲学と言葉は相即不離。妙な屈折も意外な解釈も、ぜんぶ言葉の運用に依っている。

「哲学的方法の第一歩は、ことばが現実をその本来の屈曲に沿って切り分けているかどうかを問うこと」なのだ。

何に付け事物を根底より考える人は、この言葉を胸に深く刻みつけておくことですね。

 

時間と自由 (岩波文庫)

 

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すくなくともイソギンチャクやウミウシは「私たち」という言語的共同意識を発達させてはいない。個体が遺伝子の便利な乗り物になって繁殖したり捕食しているだけだ。生物として生き残る諸機能は非常に高度だけれど、内側から象徴や表象体系を外在化して相互にコミュニケーションする「傾向性」からは、縁遠い。思想

 

団鬼六『美少年』(新潮社)

美少年とは何か。これは極めて難しいけれど大変麗しい問題だ。一度は落とし処をさぐっておきたいテーマでもある。

ただ、美少年を思想のように語るのは間違っている。鼻や顎にノギスを当てたり人体は本来何等身が美しいのだなどと美学談義を始めるのも間違っている。ミケランジェロとかレオナルドダヴィンチの作品をやたら援用して論じたてるのも間違っている。昔の美輪明宏羽生結弦がどの程度美少年であるかなどと評定まがいの俗談を始めるのも間違っている。間違っているというよりも、ひどく野暮におもえるのだ。そしてその野暮なことをこれからやろうとしている。 確かに「美少年」という存在者はむかしから人間の理想美を観念的肉体的に担って来たのであって、それだから、美少年が何であるかを考えることは、最高に素晴らしく甘美なことだ。 私は長く美少年を「中性美」の結実と考えていた。発想はやや荒削りだけれど、いまも概ねそんなふうに考えている。 性の生物学的未分性ではなく(少なくとも実在する美少年は生物としては男だから)、性の象徴的未分性が美少年を美少年たらしめていると思うのだ。男であれ女であれ、性というものは、どちらかといえば、美しくない。醜悪でさえある。ある種の偏見はときどき事実を開示する。性が性でありながら、不思議な矛盾を孕みつつ、一つの稀有な身体美のなかで和合するときに、性は否定的でないものになる。象徴的に男でも女でもない色気、分裂以前の名残、両性の魅力を奇妙なバランスで包み込んだ「中性美」が現出する。この美しさは実に果敢ない。本来実在しえない「性表現」だからね。象徴美というのは、そのような次元で感じ取られる快楽なのだ。

象徴的、いや便利な言葉ですね。なんだか言葉で言い表せない精妙な部分を見事に誤魔化してしまうような言葉だ。美少年はたしかに「象徴的な中性美」とでも言いたい何かを体現しているのだ。男の色気と女の色気を両方備えているというより、そうした区別さえ無意味であるような色気、存在そのものの端麗な色気が、美少年の身体を包み込んでいる。美少年の美しさは(こうした同語反復は悪くない)、罪のない美しさではないかな。罪のない、というのは、だいたい、無垢なということだ。女形の色気と言ってもいいのだけれど、それは決して粘着的な「妖艶」さの対極にある色気であって、むしろ「可憐」といった方がいい初心で新鮮なものなのだ。身体そのもの美しさ。その色気は蠱惑するのではなく、脱力させるものだ。彼の姿を見ることによって人はしばらくのあいだ形而上的幸福に浸れるのである。美少年とは何よりも、存在そのものが一つの矛盾であって、類い希な「美的人間経験」なのだ。プラトンが『パイドロス』のなかでソクラテスの口を借りて情熱的に語っているあの美的観照論は、神々しいばかりの美少年なしにはありえなかったのだ。美少年は人間身体が表現できる最高級の美的範型を内に含んでいる。どれだけ冷静になってみても、この美しさは明らかに天上的な価値を宿している。だって「美少年」という字をみただけでも何だか幸せな心持ちになるでしょう。いわんや眼の前にありありと現れたとするならもう堪らないのですね。目の保養などはなく、眼の至福、脳髄の至福なのですよ。美少年がこれほど人を幸福にしてきたのは、人間のなかに何らかの人体的均整志向が根深くあるからだと思います。「ああ清楚で綺麗な人だな」と思う美的経験は、個人的嗜好領域を相当超えるものなのだ。

仮に美少年文学というものがあるとして、その横綱を敢えて決めるとする。文学史の地平は渺茫として見渡しがたいので、時代域はとりあえず十八世紀以降ということにしておくか。なんでか。直観以外にない。後付けで理由を探すなら、ジャン・ジャック・ルソーの『告白』が出版された辺りが近代的リアリズムの草創期だろうから。「文学史」とか「東西」という枠組み自体が多分に「西欧的」発想なのだけれど、方法でも内容でも向こうの方が明らかに成熟しているのだから仕方がない。なんにつけ尺度は全て舶来物なのだ。

往々にして選考というものは独断と偏見の支配する世界だ。

西の横綱は誰が何といおうと『ヴェニスに死す』でなければならない。トーマス・マン。この人の作品には美しい青年とか少年とかが中々良い具合に登場する。『トニオ・クレ―ゲル』や大河小説『ヨーゼフとその兄弟たち』も隠れた美少年文学といえそうですね(私が挙げられるくらいだから隠れてなどないか)。とくに少年ヨーゼフの描写は当時ノートに写し取ったくらい素晴らしかった。「先生、美少年がお好きなのですね」というあのときの気持ちは何と言い表せばいいのだろう。 ただヴィスコンティの映画はいけない。あれではちっとも愛らしくない。作家を作曲家にしたり、マーラーの抒情溢れるシンフォニーを流すあたりはいいのだけれど、やはり美少年という理想は公に具現化できないのだな。 いうまでもないけれど、文学の映画化作品の九割以上は何らかの失望を起こさせるものなのだ。めいめいが頭に描く像は全部異なったものだから。ことに美人や美少年となると事態は決定的だ。原作を愛読してきた文学少女が「赤毛のアン」のアニメをみてガッカリしてしまうのとは、ちょっとわけが違うのだ。 大関はもう面倒くさいのでコレットの『シェリ』にしておこう。『ドリアン・グレイの肖像』とかシェイクスピアソネットも脳裏を過ったけれども、前者は耽美色と退廃色が強すぎるし、後者は大時代だし情熱的に過ぎる。

東の横綱はどうするか。文学的視野の狭い私だから、東といえば日本以外では考えられない。それでも、ほとんど思い浮かばない。個人的に、上田秋成の『雨月物語』にある「青頭巾」は自分の好みによく合うのだけれど、あれは稚児を失った坊さんが悲痛の余り鬼になるという筋だったから、「美少年文学」の範疇に入るのか、悩ましいところではある。光源氏はずっと前の人物だし、西鶴も今回の時代範囲には入ってこない。 近現代では、何があるか。三島由紀夫森茉莉は嫌いだから、あまり選びたくない。稲垣足穂は美少年文学というよりも美少年論を展開した人だから、ここには入れにくい(もちろん『少年愛の美学』という晦渋きわまる労作希書の価値は大いに認める)。横溝正史の『蔵の中』はただ単に綺麗な少年とその姉が登場するだけで、ヴェニス的な詩情には乏しい。いったいにトリック重視のミステリー作品は純文学とは比肩しえない。このごろ私は「純文学」という高踏派の領域がやはり必要であるらしいことを頻繁に痛感するのだ。

いろいろ候補を挙げつつ熟慮に熟慮を重ねた末に、東の横綱はエロ文豪・団鬼六の中編「美少年」に決めた。題名からしてそのまんまだけれど。もうこれでいいでしょう。美少年がここまで生々しく小説化された例は、同時代では他に思い浮かばないのだから。 一体これの何が気に入ったか。まちがってもその残酷さではない。随処の描写により、作者が「美少年」の本質を理解していると直観したからだ。具体的には書けないけれども、一口でいうと、「男であるにもかかわらず~」という色気とそれに伴う美的快楽がどのようなものであるかがよく書かれていた。 美少年は舞踊界の宗家の御曹司ということになっているけれども、そうした設定はこの作品に絶対必要なものとは思わない。べつに魚屋の息子でも悪くない。まあ、むかしの大学生は今よりも裕福な家庭の出だったということでしょう。けれども、最後にボロボロにいたぶられて自殺してしまうその壮絶な「落差」のカタルシスは、それが「美少年の御曹司」でなければ起らなかっただろうな。 あと表紙にある美少年は描かない方がよかったね。やっぱり美少年はイメージするしかないよ。ただこの作品をもとにした小野塚カホリの漫画は素敵な出来具合で、私もかなり夢中になって読んだ。この作品も好きな人は読んでほしいですね。 あと大関はどうだろう。もう誰でもいいよ。 思ったより美少年文学は少ないのだな。 いささか残念ではある。となると自分がきっと書かねばなるまい、ということだ。まだ表現されていない美少年像は沢山ある。美女など美少年に比べれば、どうでもよいのだ。AKB48など最初から問題にならない。

美少年 (新潮文庫)

小松和彦『日本の呪い(「闇の心性」が生み出す文化とは)』(光文社)

日本史の古層を掘り下げてみれば、さまざまな「呪い」の痕跡がある。桓武天皇の遷都、犬神憑き、崇徳天皇菅原道真の怨霊、丑の刻参り、「呪詛」の染み込んだ項目は存外少なくないようだ。怨霊とか呪詛などというと、いわゆる「トンデモ本」の守備範囲みたいに思われかねないけれども、現代に固定されたカメラをずっと引いて人類史全体を見回してみると、呪いの感情が生々しく実感されていた期間の方が圧倒的に長いのではないかと思う。 いまだって、「呪い」の感覚は形をかえて根強く残っている。 婚礼で「お開き」とか言ったり受験生の前で極力「落ちる」などと言わない忌み言葉の慣習、4と9の付く部屋番号を作らない社会合意の例などはむしろ通俗化したステレオタイプの例であって、私が思っている現代の呪いは、後でも触れるけれども、あの「何となくの疚しさ」のなかにこそ根強く残存している。 例えばある人に途轍もなく「冷淡な仕打ち」をして、法的には何の問題もないのだけれど、いつもそのことを思い返すたびに「良心」が疼く。この種の疼きを知らない人はきっと少ない(「良心」とは何かなどという伝統的な哲学問題はこの際パスしましょう) もう二度とその人間とは会わないとしても、やはり疚しいのだ。この疚しさはドライな因果律だけで説明できはしまい。 この「疚しさ」は、物理的距離や社会的制裁コードを越えた、「ある不合理な怨念」に対する不安に根差しているのではないか。僕はそう思うのですね。 よほど鉄面皮な人でない限り、「お前の子孫代々を絶対に呪ってやるからな」などと真景累ヶ淵みたいな台詞を正面切って言われたら、ずいぶん寝覚めが悪いでしょう。たとえ憎悪の末の虚勢であっても、「呪い」の言葉は人の肝胆を寒からしめるのに十分なのだ。それだからそれは本当に大事なときに取っておくといいね。年百年中人を呪っていると、肝心な時に人を恐怖させる迫力を失ってしまう。呪いの最大の機能は、この根拠のない「鬼気」にあるのかもしれない。そこまで俺は嫌われているのか、というショックは並大抵のものではない。古傷となってじわじわ内部に浸透する。

聖人ならぬ「ただの人」であってみれば、生まれたその日から愛憎みなぎる複雑な人生喜劇の渦中に投げ出されるわけで、そうなってくると当然、かりに彼彼女がどれほど穏和で無邪気で愚鈍のカタマリみたいな人間であっても、一人や二人の人間を呪い殺したくなった瞬間がこれまでに必ずあったはずだ。 人間は祝福よりも先に呪いを与える。感謝よりも先に裏切りを覚える。快楽よりも先に不快を感ずる。喜びよりも痛みの記憶の方がずっと深く脳に刻まれる。 ほとんど全ての人間にとって、他者を悪く言ったり憎んだりするくらい簡単なことはないし愉快なことはない。 人間はそんな動物なのだ。とりわけ多情多感の俗人は。

人間は呪いの情動を常に持て余してきたので、ついに文化的装置のなかに取り入れて洗練させることを覚えた。呪いのシステムを所有するほど、人間は呪いが好きなのだ。

一口に呪いといっても、古今東西、民族的・国家的・個人的色々なフェーズで色々の呪いがある。その動機や内実も同じくらい複雑だ。 ツチ族フツ族は今でも大なり小なり呪い合っているだろうし、パレスチナを無理やり追い出されたアラブ人はたぶん今でもイスラエル人を呪っている。子どもを誘拐されて殺された両親は犯人を生涯呪うだろうし(死刑さえ復讐にならない)、ヤリチン男に弄ばれた末に捨てられた純真女は呪いの無言電話を手を変え品を変え掛け続ける。最近話題をさらった「日本死ね」のブログのなかにも呪いの成分が多分にある。 人間はその気になれば、神や歴史や自分の運命そのものを呪うことだってできる(『ヨブ記』前半のヨブの叫びは呪いそのものだ)。生きている人間はどうしても呪いの呪縛から自由になれないらしい

あるエスタブリッシュメントを想定しよう。彼がいかに八面玲瓏の人格者(筆者注・そのような人間の実在はこれまでのところ報告されていない)であっても、その地位につくまでに出世競争から落とされた人びとが夥しいほどいる。会社経営者の場合は人件費削減のために「本当はやりたくないこと」もしなければならない。 そうなってくると呪いに由来するケガレを一番祓わなければならないのは、人の上に立つ人々であるに違いない。世間をみわたせば、組織で一線を退いたあとに急いで御払いを受けたり、財を成した老人が俄かに信心深くなったり、進んで慈善団体に寄付したりする例が意外と多い。きっと自分の過去を想い返してみて「そこはかとなく」疚しい気分なので、死に際の偽善を以て全力で償いたいのだ。死後は誰にとっても謎だ。不安極まる経験だ。どうしても報われたい。生前の悪事や不義理のせいで恐ろしい罰を受けるのは嫌だ。 あの財閥フッガー一族の人びともそうだったのだが、蓄財に成功した人間が死に際になって急に改心したように莫大の寄付を行うのは、さして珍しいことではない。中世的観念においては、過度な蓄財は合法ではあっても、決して「好ましいこと」ではなかった。なにかしらの「疚しさ」を伴うものだったのである。 ここまで見て来た「呪い」に対する漠たる不安と、今わの際での大型寄進は、無関係ではない。突き詰めていえば、どんな規模のものであれ、寄進や告解や禊や断食や鎮魂祭の背後には、「生きているという巨大な疚しさ」があって、人間はこの「疚しさ」を種々の文化的システムを通して代々解消しているのである。

繰り返すけれども、この社会ではいっぱんに、地位の高い人ほど他者の恨みを買っている。偉くなればなるだけ、一身に受ける呪いと憎悪の総量が増すのである。だから柔ではいけない。神経質ではいけない。いちいち弱者の痛みや叫びにオロオロしているようではいけない。 リーダーというものが自然と厚かましい面構えになるのは、偶然ではないのだ。毛沢東とかカルロス・ゴーンとか中曽根康弘の顔をみればよく分かる。上に立つ人間は「面の皮の千枚張り」でなければならないのだ。こうした人物がある地位を得るために一体どれだけの人物が涙を飲み、どれほどの人物が蹴落とされてきたのだろう。どれだけの呪いを背負ってるいるのだろう。考えてみたことはありますか。

あらためて「呪い」とは何か。

「呪い」を論じるうえで、著者はさしあたり、「呪い心」と「呪いのパフォーマンス」に分けて考えている。

「呪い心」は、情緒的側面だ。怨念とか憎悪と言ってもいい。それ自体としては誰もが日常的に抱いている。「あいつが死ねば」とか「こいつが病気になれば」と思ったことのない人はない。

呪いの本質は、それが必ずしも成就しないという点にある。

もし人間個々の呪詛願望がすべて成就しているとしたら、人類など一日で滅亡してしまう、それだけ人間は互いに深く憎み合ってきたのだから、とフロイトはどこかの論文で書いている。

「呪いのパフォーマンス」は、この「呪い心」の延長として、ある人間に危害を与えるために呪文をとなえたり、道具をつかった特殊な呪術的手続きを踏むなどして、呪詛の成就を企図することだ。呪術的思考様式が色濃くあった大昔の日本人はともかく、現代にあっては、よほどのことが無い限り、呪いのパフォーマンスにまでは行かないのではないか。少なくとも私は、呪い殺したい人間のために古代の呪術書を紐解いたりする根気はない。近頃は呪いの代理業も一部にあるけれど、利用する気にならない。どうしてだろう。たぶん死ぬほど憎悪している人間などいないからで、そもそも呪詛全般の効力に最初から懐疑的だからだろう。少なくとも気軽な感覚での呪いは何事をも引き起こさないという確信はある。けれども呪詛一般を反証することはできない。これは単なる直観の問題らしい。 やはりもし呪詛の力学が現実世界に食い込んでいたとすれば、人間という種はどこかで断絶していたはずだ。人間はそれほど互いに憎み合っているし呪い合っているからだ(冗談なものから真剣なものまで全部含めて)。

こうなってくると、なんだか呪いに親近感が湧いてくるから不思議ですね。 自分の周囲から今直ぐ消えてほしいなと思った人間を三十人以上数えることは容易かもしれない。記憶が霞んでいるのだけれど、むかしドラえもんのちょっと怖い話で、「どくさいスイッチ」というのがありましたね。子ども心に、というよりも、子ども心ゆえに、この道具の話は怖いと思った。最終的に教訓臭いお涙ちょうだいで締められるその話の筋はともかく、この「どくさいスイッチ」なるものは、消えてほしい人の名前を言って押せば、その人間が消えることになっている。 こんな道具があれば僕もきっと、と日本中すべての少年にマッドサイエンティスト的興奮を与えられたドラえもんもなかなか隅におけない国民漫画である。時代の無意識的フラストレーションがなければ、こんなアニメーションも作られなかったはずです。この話には日本人の感性のみならず世界中の人間感性を動揺させる陰鬱な成分が含まれている気がする。

とどのつまり、呪いというのは所詮精神的な負のヴォルテージに過ぎず、それだから、呪いで人を病気にさせたり早漏にさせたり不妊にさせたり貧乏のどん底に引きずりおとすことは出来ない。すくなくとも私のこれまでの呪い願望は、偶然は別にして、たぶん直接の効果を発揮しなかった。死んでしまえとか消えてしまえの願望は、それを願望する限りでは何の力もないのである。だから法律でも呪詛は処罰対象ではない。

それだからもっと思い切って沢山呪詛しましょう。色々な場面で色々な人を呪いましょう。一億総呪詛社会は生きやすい社会と思います。第一、呪詛は誰もがノーコストで遂行できる。カラオケで味噌のくさりそうな歌を無理やり聞かせて呪われるよりは百倍も素敵なことです。 それに偶然対象人物を呪い殺せたら儲けものだろう。私はげんざい近隣に住んでいる騒音の主を激しく呪詛しているわけだけれど、そのおかげで少しは胃腸の負担が軽い。

日本の呪い―「闇の心性」が生み出す文化とは (カッパ・サイエンス)

山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋)

日本人論は戦後色々書かれてきて、下らないものから秀逸なものまで玉石混交の観を激しく呈し続けているけれど、本試論はその中でもかなり長く熱心に読み継がれ厳しい批評の洗礼を潜りぬけてきたものの一つで、今でも一読に値すると私は思っている。

そもそも、この「場の空気」とは何なのだろう。誰がつくり、なぜ醸成されてしまうのか。そしてその「空気」支配に敢えて疑念を混入させる「水を差す」という行為とは。山本書店の主は問い掛ける。

民衆による「現人神」認識や、日本軍敗退の背景には、何かしらの悪しき空気支配があったと著者は語る。

そもそも当時の日本軍がアメリカ軍を相手にして勝てる見込みなど最初からなかった。まともなオツムを持った幹部であれば戦争突入に際してブレーキを利かせることもできたはずだ。軍事力の違いや敵国の聯合力を思えば、早めの降伏が最良の判断であったことは、今の中学生くらいでも分りそうだ。 けれどもそうはならなかった。 「今更引き下がれない」という場の空気があったのか、あるいは本当に勝てると確信していた参謀側の思惑があったのか、詳しいことは知らない(この辺のことを知りたい人は日本軍研究をみっちりやって下さい)。 いずれにしても一九四一年の十二月に太平洋戦争に突入して、内外合わせて夥しい数の死者が出たわけだから大変なことだ。誰にとっても大抵無害な日々の意思決定とはわけが違う。事実上戦争遂行命令を出せる指導者や参謀本部の「責任」は途方も無く重い。

今の日本にも「場の空気」という言い方があって、たとえばある重要事項を話し合う合などでどうしても否定意見を言いにくい場面がある。その否定意見が如何に合理的であるにも拘わらず、だ。こういうとき、人は「空気」の権威を無意識敏感に感じ取っている。少なくともその辺にいる日本人にとって、「場の空気」には中々逆らい難い。 終わりかけた定例のミーティング(こんなの下らないものばかりだ)でみんなが帰る支度をごそごそ始めているときに、誰かが長大な質問を放ったり演説をぶったりすれば、それは「空気」の不文律に反する行為だ。このときミーティングの温度は既に冷めていて、「もう終わりだな」という総合意思の空気が充分醸し出されている。このタイミングでミーティングを長引かせるような振る舞いは、今風にいえば「KY」なのである。 空気(Kuki)を読めない(Yomenai)人間は、仮にどれだけクレバーで合理的で博識であっても、惰性が支配しているある種の日本的合議体からはひどく疎外されてしまう。 KY的はどこの社会のどこの組織にも存在している。好んでKYを演じるKYもいれば(日本には「天邪鬼」という古い言葉がある)、その意思決定の及ぼす悪影響を見越して敢えて「水を差す」正義のKYもいる。 だからKY的な人間をもう少し寛容に受け入れる精神風土が、もう少し育ってもいい。

一般や組織レベルでの「KY受容風土」が少しでも育っていればホロコーストや太平洋戦争が避けられた、というふうな極端な歴史的「もしも論」を言いたいのではない。そんことをいくら展開していても到底思考実験の域を出ない。

賛成多数の空気のなかで明らかに場違いな意見を表明する人物を前にして、せめてその腹の内を探るくらいの労をとって欲しいと思うのだ。賛成多数は結局多数派の独裁で「民主主義」などとは何の関係もないのだから、少数派の異質な反対意見にも何かしらの興味を持ったほうが、少なくとも議論の次元はずっと高くなる(ただ「緊急事態」という厄介な場面ではこの限りではない)。 世の中というのは畢竟、感性や思考様式の違う人間が死ぬまで和解を求めながら何も解決しない場なのだ。自分の結論は他人の結論と常にズレている。このことは何百回繰り返しても満足しないけれど、人間の個体差は他の生物の個体差の比ではない。個々の受容様式には途轍もない違いがある。雑音に対する敏感性であれ色についての好みであれ思想に関する感性であれ、一人一人みな違う。共通する部分よりもむしろ異質な部分が人間の本質をよく表している。このことを忘れてしまうと、どうしても諍いの原因が絶えなくなる(覚えていても諍いだらけなのだから)。異質な他人を受容することは、口でいうほど容易いことではない。けれども何とか他者を受容して理解し合える点に、私は、人間精神の柔軟性と救いを見るのだ(こんな臭い文章は二度と書きたくない)。

著者は、「空気」とは何かを調べるのに最も適切な方法は、「空気発生状態」を調べて、その基本的図式を描いてみることだという。そして発掘現場での随想を引用しながら、「臨在感的把握」という言葉を使い、空気の本質を探る。

臨在感的把握とは何か。面倒なので著者の口を借りてそのまま言うと、「物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態」がそれ。

夕暮れ時の神社とかを想像してみるといいよ。鬱蒼たる山でもいい。よほど鈍感でない限り「そこに何かある」と慄くものだ。臨在感的把握はこの「何かある」という、ほとんど反射的といってもいい心理的受容に他ならない。この受容は多分に文化的規定を受けている。福沢諭吉の『福翁自伝』には、お札を踏んで古い迷信を笑い飛ばすくだりがあるが、これは、当時の人びとがお札に対して如何に強く臨在感を持っていたかをよく語っている。これは当時最大の啓蒙思想家としての面目躍如たる逸話である以前に、日本の伝統的な臨在感覚がどこにあったのかをはっきり浮き彫りにするものなのだ。

「場の空気」はこのような非合理な超常感覚にも由来している著者の論法は、なかなか迫力がある。この論法そのものに臨在感がある。 たとえば著者は「天皇制」を、「偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる空気的支配体制」と短く定義する。自分から自身が神であると宣言したわけではない天皇がいつの間にか「現人神」として崇拝されていた事実は、確かに興味深い心理現象だな。天皇制は空気の支配であり、従って、「空気の支配をそのままにした天皇制批判や空気に支配された天皇制批判は、その批判自体が天皇制の基盤だという意味で、はじめからナンセンス」なのだ。

とまれ、気になる人は読んでみてください。

疲れたので、もうこの辺りで一応の区切りとしましょう。

「空気」の研究

R.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏』(入江曜子・春名徹・訳 岩波書店)

イギリスの官僚で、宣統帝溥儀の家庭教師として紫禁城に迎えられることになったR.F.ジョンストン(1874~1938)の書いたこの名高い記録本を読む前に、清朝の簡単な系図や辛亥革命以後の政治動静を、あらまし確認しておいた方がいいかもしれない。

 私などは、中国の近現代史にとても疎かったので、段祺瑞(だんきずい)とか張勲(ちょうくん)とかいったような軍閥関連の人名がなんの説明もなしに頻出すると、ちょっと頭が痛くなった。派閥の力関係や辛亥革命の内実をそれなりに知っていないと、読み進めるのは苦しい(尤もこの苦労が読む快楽でもあるのだけれど。読書マゾヒズム)。  この手の記録本に当たるとき、そうした「予習」を欠くと、固有名詞のゲリラ豪雨にしばしば辟易して、最悪の場合、頓挫をきたす。    たとえば、冒頭から、戊戌変法(ぼじゅつへんぽう)という言葉が出てくる。これは、「変法自強」という当時の一連の政策傾向のなかの一部面で、末期の清朝を語る上で絶対に欠かせないキーワードだ。  清朝末期、日本の明治維新にならって、康有為や梁啓超という人たちが中心となっって、国政改革運動をはじめた。法、すなわち古い制度を変えて、自らを強くしていこうという意味だ。そのなかには憲法制定や国会開設、学制改革があり、当時としては本当にラジカルなものだった。光緒帝(清朝第11代の帝)がその方針を採用して、清国を立憲君主国にするための改革を本格的に始めたけれど(これを通常、戊戌変法と呼ぶ)、西太后(1835~1908)という権力欲に憑かれた女帝が守旧派の反動をうまく利用してクーデターを起こし(戊戌の政変)、改革組は処刑されたり追放されたりして、帝はというと幽閉の憂き身をみることになった。結局、このようにして、国政改革は三か月余りで挫折した(俗に百日維新)。  当時のこうした不穏な気運のなかで、以降、義和団事件辛亥革命、五・四運動、張作霖爆殺事件と、中国近近現代史をそのまま織りなすような様々の重大事が沢山起こるのだけれど、もちろん著者はそうした基本事項を丁寧に解説してくれないので、本書を批判的に精読する場合でも素朴に読み進める場合でも、相応の参照図書は近傍に欠かせない。

 この類の回顧録には往々してあることだけれど、宣統帝(溥儀、在位1908~1912)への個人としての思いれが強すぎて、著者の筆がともすれば感情的に昂ぶってしまい、史実に照らせば大分偏向してしまっている箇所が散見される点も、予め知っておくことが重要だ。

 ともあれ、大いに眉に唾を塗りながらも、王朝の衰滅過程をその肉眼で見届けた著者によるこの生々しい記録を、固唾をのみながら愉しめた。

 なお、ジョンストンによってものされた本書は、ラストエンペラー溥儀自身の書いた(とされる)長大な自伝『わが半生』(我的前半生、1964年)の、基礎的な資料にもなった。このことを巡っては色々な逸話や議論や指摘もあるけれど、とにかく興味のある人は、関連文献に当たってほしい。   (私としては、著者が溥儀の近眼に気が付き、外国から眼科医を呼び寄せようという段で、内務府の役人や他の教師たちと一悶着あったという件りが、一番記憶に残ってる。「これまでの皇帝が眼鏡をおかけになった前例など、一度たりともない」ということらしい。  また当時も宮廷内に「腹に一物ある」宦官が多くあったようで、彼らのこととなると著者の筆鋒は俄に鋭くなる。写真や映像で見る限り線の細い印象を与える溥儀が思いほか反抗的な気概を見せて事毎に気炎を吐いているの面白い)

紫禁城の黄昏 (岩波文庫)