書痴肉林・蟄居汎読記

佐野白羚の古い雑文の一部を(たぶん)定期的にひっそり掲載します

ブライアン・スウィーテク『移行化石の発見』(野中香方子・訳 文藝春秋)

為事空間と生活空間が八割がた同じだと、一年に二度くらいは熱心なキリスト教系の布教者が訪れてくる。大抵は人の良さそうな二人組の中年女性で、毎回カラフルな紋切り型のイエスが描かれた退屈なパンフレットを携えてくる。私は物好きというか赤の他人との遠慮のない雑談を趣味にしているので、そういうときは息抜きかたがた数十分ほどお喋りに熱中することにしている。そうしているうちに目の疲れも幾分かはとれるし、様々な異質な思考内容をみることも出来て一挙両得というわけだ。 五年ほど前の一月ごろ、底冷えのする雪のなかだったけれども、例によって二人の布教者が夕方ごろに尋ねて来た。ぱっとみて、アメリカ起源で聖書の記述にかなり忠実な宗教組織に属する人らしいと判断した。そして、一人のリーダー格の老婆が細々とした調子で「神の世界創造」について一くさりの講義をしていった。「エホバの証人」の存在をはじめて知ったのだ。

ここで素朴に驚いたのは、彼女らが心から「神の創造」を信じていることだった。相手が「正しい」とか「正しくない」とかいう判断を下しているわけではない。けれども、日本の中流家庭で特段「聖書」とも関わらずに育った一人の青年にとって、その信仰内容はかなり「ぶっとんだ」ものに映った。私が、「ユダヤ教」以来のセム一神教の思想や歴史を確認しなけれなならないと思い立ったのは、だいたいそのあたりからだ。そのころには私は、どれほど歴史の重みを持った「信仰体系」に対しても、相対的に眺めることしかできなかった。けれども、かたちを変えながらもヨーロッパ史のみならず世界史上に多大な影響をふるい続け、いまもそれなりにふるい続けているこの宗教系列を理解しないでは、現在の世界情勢や思想史を俯瞰することは出来ないということだけは、確信していた。一部の民族紛争の絶えない地域では、宗教と政治勢力はしばしば不可分でさえあるからだ。

            *

通常『創世記』と呼ばれている資料では、「神」は、一日目に「光あれ」と絶叫して光をつくり、二日目に「水のなかに大空あれ、そして水と水とを分けよ」と言い放って空をなし、その調子のまま五日目に鳥や魚をつくり、六日目に「地を這うものすべて」を(類ごとに)つくり人(男と女)をつくったと記されてある。 当時私は、アダムとイブが楽園を追放される一連の神話については、国内外のどれほど敬虔な信者たちもおよそ「比喩」以上には捉えていないのだろうと即断していた。しかし色々の調査をみてみると、福音派の「キリスト教原理主義者」の多いアメリカでは、いまでも聖書の語る「種ごとの創造」を字義通り信じている人は、かなり多数にのぼるらしい。二〇〇九年のある調査によると、「進化論を信じるか」という質問に対して「信じる」と答えた人は、だいたい四〇パーセントほどだった(もし実際になされた質問がこの通りなのだったとしたら、それはかなり漠然としたもので即座に信用できるものではないとは思うが)。

宗教的世界観の根本に直結するこうした問題を、大部分の日本人はなかなか理解しえないだろう。セム系啓示宗教の諸々の観念は、当然ながら、日本の生活世界には殆ど食い込んでいない。勿論日本にも「人知を超える」何ものかへの畏怖はあるし、信心もある。念仏踊りも加持祈祷も、何かしらの信仰心をその背景にみなければ、説明がつかない。けれども、(正統派の)ユダヤ教イスラム教やキリスト教に見られるような厳格な「唯一神」や、「創造説」に相当するものは、古代の日本(その周辺地域)には多分なかった(*)。 とはいえ、ユダヤ教の「メシア」待望によく似た発想が、あの弥勒菩薩信仰のなかにはあることだけは、軽く指摘しておきたい。何でもこの菩薩は釈迦入滅から五六億七千万年後に仏となってこの世に出現するそうだ(『弥勒下生経』)。この具体的で気の遠くなる古代インド的年数設定が、「科学的」に啓蒙されていない衆生の耳に生々しく響いた時代が確かにあったのだろう。

*【古今東西のあらゆる成熟文明・文化圏には必ずといっていいほど「民族神話」や「建国神話」といったものが見つかる。ローマ帝国からマヤ文明ネイティブアメリカンからエスキモーまで、自分たちやこの国が「どうして出来たのか」を説明する大枠のフィクションが見つからない場所は殆どない。 これはつまり、ごく荒っぽく考えるなら、当時の権力当事者が、統括する共同体の自己同一性を確実ならしめるために行った、何ともあっぱれな「起源」創作だ。『古事記』上巻の神代の物語も典型的な建国神話となっていて、「気象未だあらわれず」という混沌具合の記述などは『創世記』の冒頭に似ていなくもないけれど、素人目にも決定的に異なっていると見えるのは、日本の古代神話の場合では、そこに絶対的な何ものか(神)の意志が介入しないで、自ずから「乾坤初めて別れ」た点だろう。それだから、古来西欧や東欧で発達したような体系的組織的な「神学」のような試みは、当然、「日本」には生まれなかった。「日本」では、宇宙創成の原点に「神の意志」など微塵もありはしないからだ。】

             *

「聖書」と「科学」の確執については主題が尽きないのだが、やがて本の話にはいろう。ともかくいま念頭に置いておきたいことは、聖書の記述に全実存を投入しているような人々にとっては、近代以来の「科学的知見」などは、邪で騒々しい新参者でしかないということだ。科学・哲学と宗教権威の不調和は、何も進化学説において最初に表面化したわけではない。 ガリレオ・ガリレイが宗教裁判にかけられて地動説の放棄を迫られた例や、自然哲学の説に接近しすぎて「異端」扱いを被ったジョルダーノ・ブルーノの例は、氷山の一角に過ぎないのだろう。組織化された伝統ある巨大宗教(この場合はカトリック)というのは、既に守りの姿勢にはいって久しいので、大抵の場合、新しく提出された宇宙観に対しては警戒を怠らない。自分たちの同一性の確信や盤古たる権威を揺るがしかねないような新奇性は、そこでは歓迎されない。もはや正しいとか間違っているとかいう話ではないのだ。宗教的共同体であれ政治体制であれ、組織は例外なく腐敗するものだが、その腐敗の第一段階は、ある「不都合な真実」への意図的な盲目化から始まる。これは科学実験の領域でも疾うに指摘されていることだけれど、人間の認知機構というのは大変奇妙なもので、たとえば、自分が長年構築してきた学説や思想に都合の悪いデータがみつかると、殆ど無意識のうちにそれを排除してしまう。心理面でも、人間は大概自分の劣等感情の根にあるものを自分にさえ打ち明けられないし(私はこれを「根源欺瞞」と呼んでいる)、打ち明ける準備にさえ普通は耐えられない。

そうした「不都合」な観念が人間の最も内的な信仰領域に食い込んでくるなら、どうなるだろう。推して知るべしだ。 原初の単純な形態から次第に現在の生命に変化したという「進化論」の大枠の考え方は、神によって現在の姿のまま生物が創造されたと考える原理主義傾向のキリスト教徒の「常識」に、真っ向から逆らった。ルネサンス以降から近代初期にかけて非常な影響力を持った、「存在の大いなる連鎖」という宇宙観が、まだ人びとの心の奥に根強く残っていたのだ。この宇宙観は、万物は壮大なヒエラルキーに組み込まれていて、それらは連続してやがて完全な何ものか(あるいは神)に至るというものだ。これは、古代ギリシャプラトン的世界観を新解釈することを通して徐々に形成された、極めてヨーロッパ的な思考様式なのだ。

一時期支配的だったこの世界観を通してみれば、個々の生物や植物は、そのかたちのまま神によって創造されたことになる。『創世記』をもう一度みてみると、「ノアの箱舟」に避難するくだりにおいても、一つがいの動物たちは「類」ごとに持ち込まれている(7・21)。この「類」は不変の類であって、変化する類ではない。海から這い上がって鳥になったり巨大な蜥蜴になって暴れ回ったりするような「類」ではない。ナックル歩行していたサルが直立歩行をはじめる「類」ではない。このように、伝統的なキリスト教宇宙観では、個々の生物は初めから本質規定されていた。キリンはキリンだし、象は象。オランウータンはどこまで言ってもオランウータンで、人間はあくまで人間だ。めいめいはそれ以上でもそれ以下でもない。福音派などに根強いこうした認識枠を掴み損なうと、二〇世紀中ごろになっても米国の一部の地域で「進化論」を教えられなかった(教えにくかった)理由を、その実情に即して汲み取ることが困難になる。

著者のブライアン・スウィーテクが本書を書くことを思い立った背景にも、「宗教的無思想」の大方の日本人にはおよそ解し難いある経緯があった。ラトガーズ大学に所属していた頃に小学校五年生の教育実習をすることになって、クジラの進化について教える準備をととのえていたところ、そこの校長から「面倒を起こすようなことはやめてほしい」と横やりが入ったらしい。我々なら、これを時代錯誤の極みとして一笑に済ませられようが、例の聖書原理主義がかなり濃厚に残存しているアメリカのなかでは、「進化論の教育」は法廷沙汰に発展するほどデリケートな問題なのである。生物種は一個一個神が創造したものだし、ヒトとサルの間に系統的な関係など絶対にありえない(中世のキリスト教徒にとって、サルは「罪深き人間」の成れの果ての象徴だった)。

「移行化石」というのは、端的にいうと、古代の動物と現生動物の移行期を示す化石のこと。ダーウィンは『種の起源』(一八五九年 *)のなかで、生物の変異性や適応、生存競争、自然選択、適者生存といった、以後の科学進路を決定付けるような着想や概念を、膨大なデータを引き合いにだしながら仔細に論述したわけだけど、この「進化」仮説を証拠づけることには成功していなかった(ちなみに『種の起源』のなかでは、進化evolutionという言葉は使用されておらず、変形による派生Descent with modificationと表現されている)。

*【知の系譜に関心のある私として大変に興味深いのは、このなかで展開されているダーウィンの主要な学説は、同国の経済学者T・マルサスの『人口論』(一七八九年刊)から相当強い影響を受けていることだ。マルサスはこの本のなかで、人口増加は幾何級数的であるのに必要物資は算術級数的にしか増加しないから、過剰人口のための貧困は不可避であるというふうな悲観論を展開したことで記憶されている(いまではすっかり時勢遅れで殆ど参照されることはないけれど)。 あと、公正を期するために忘れてはならぬことは、当時、生物の進化機構に気がついたのはダーウィンだけではないということだ。科学史上ではダーウィンの名前の影に隠れてしまったが、A・ウォレスという優れた博物学者がいる。二人はあらかじめ互いの着想の共通点を確認し合い、一八五八年、リンネ学会で連名でその論を発表した。もしウォレスに先駆けてにダーウィンが学会で自説を発表していたら、彼は今ごろ相当悪名高くなっていただろう。科学史では同時期に「偉大」な発見したせいで確執関係を深めた例が少なくない。私などは、微分積分をめぐってライプニッツニュートンとの間で起こった大人げない喧嘩をすぐに思い浮かべてしまう。】

  何しろ著者渾身の大著であるから、私の読後感も大きく書きたいことは山ほどあるけれども、あまり長くなるのも嫌なので、もうそろそろ締めくくろう。結局のところ本を読むのが一番早いのだから、せいぜい私は、基本的な予備知識を冗長で要領を得ない調子で述べ立てることに甘んじたほうがいいのだ。

序章では、二〇〇九年に発見され、「ヒトとサルとをつなぐ最古の化石」としてジャーリズムの世界を賑わせた四七〇〇万年前の霊長類の化石が、実はキツネザルの近縁種に過ぎなかったという最新事情(二〇一〇年当時)を紹介しながら、メディア時代の科学の浅はかさを批判する。いわゆる「ミッシングリング」という言葉の背景にある「存在の大いなる連鎖」についてもある程度詳述されている。私は、この章からだけでも得るものが随分あった。 科学であれ哲学であれ、学問というものの極まるところには「我々は何処から来て、いったい何者なのか」という問いがある。自分の祖先を遡っていけば何ものに行き着くのかを知りたがらない木偶の坊など、私はいないと思う(そう信じたい)。

一章「化石と聖書」には、「ダーウィン以前」の時代では「化石」がどのように見られていたのかが書かれている。面白いのは、鮫の歯のくだりだ。当時はこれを、月のない夜に空から落ちてきたものだと説明されていたらしい。化石が死滅した生物の痕跡であるという認識が定着しはじめた後も、それらを洪水の遺物とみなす考え方が学会の主流であったらしい。それほどまでに、その時代の観念は聖書と切り離せなかったのだ。

二章では、現生種や化石を入念に観察したうえでダーウィンは、生物が世界(環境)への適応か不適応によって「進化」するという説を、自信満々に提示した。けれどもその説にはいまひとつの証拠が欠けていた。「移行化石」である。たとえばキリンであれば、現生種のそれよりもちょっぴり首の短い種類の化石が見つかっていいだろう、という話だ。ダーウィンが『種の起源』を出版した一九世紀後半では、まだ「移行化石」は現在ほど多く発見されていなかった。決定打となる物的証拠が不足していたのである。 この章ではヴィーグル号(英海軍の測量船)で世界を巡っていたころのダーウィンの姿が生々しく描写されている。「日曜だけ仕事をしてほかの日は好きなだけ鳥を狩ったりナマコの研究をしたりできるから」という理由で司祭になることも考えていたようだから、思えば呑気な話だ。私も財産家に生まれれば純粋な思索と著述活動にのみ専心できたのだから、やはり持つべきものは豊かな「家」であって断じて他のものではない。

この調子で逐一概要を書き連ねるつもりはない。後は読んでもらいたい。 三章から九章までは、主として、ヒレから指への移行、哺乳類の起源、クジラ、羽毛を生やした恐竜、ゾウ、ウマ、ネアンデルタール人などについて紙数が当てられている。図も豊富で、文献もしっかり提示されている。全体を通じて、進化は一直線ではなく、多様に分岐した系統をなしているということが再三説かれている。

              *

こうして絶滅した古代生物の記録を立て続けてよんでいると、どうにも底なしの感傷に沈んでしまう。絶滅しない生物などは、およそありえないのだから、せめて人間は最大限の快楽を生活の中から得続けるべきなのだろう。私は割合早くから反₋世代生産を標榜してきた人間の一人だから、原則として「人間は(意識者として)生まれてこないのが最良で、生まれてしまったからには出来るだけ早く死ぬか、生涯に被る苦痛を最小限に抑えるように生きるのが次善」だと信じて疑っていない。数万年後か数百万年後に「現生のホモサピエンス」の骨や化石を拾い集めている「生物X」の姿を、私は容易に思い浮かべることが出来ないけれども、その「生物X」が現生のホモサピエンスよりは愚鈍ではない何ものかではあってもらいたい。哲学の全ての問題は片づけられているかもしれない。宗教は科学に吸収されているのかもしれない。意識と肉体の分離が克服されているかもしれない。あらゆる苦痛の根が葬られた存在形態に到達しているのかもしれない。 人間は偶然、「苦しみ」の意識を発達させすぎた。複雑な感性や文明装置を得るために、人間は途轍もない代償を支払って来た。そのせいで一部の人間は、自らの手で自分を殺めるくらいにまでなった。「人生は涙の谷」だと、厭世家は昔から飽きもせずに言い続けて来た。この文句ほど「人間的」なものはないし、普遍的な自己規定はない。どれほど割り引いてみても、人間が苦しみの塊であることを否定する人はないだろう。人間という種は、あとどれくらい地上に残るのか、そんなことはどうでもいい。私の気まぐれな見積もりでは、あと五百年くらいが精々のところだ。逆立ちして腕立て伏せをしてみても、この窮屈さが何百年も持続するとは思えない。自分たちの拵えた装置に呑み込まれるかもしれない。 ともあれ、いずれ自分たちも絶滅して化石になるだろうと言うこうした淡い未来空想は、現生の人間に妙な活力を与えうるものだ。人間も、やはり、過渡的な何ものかでしかない。完全でもなければ不完全でもない奇妙な何物か。考える葦。裸の猿。

書物というものは、こうやって浮き世の問題を無限に相対化してしまうので、やはり到底手放すことはできない。 移行化石の話から随分遠くに来たものだ。

移行化石の発見 (文春文庫)