書痴肉林・蟄居汎読記

佐野白羚の古い雑文の一部を(たぶん)定期的にひっそり掲載します

谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社)

ある教師によると、口は達者で愉快な人物なのに、作文となるとたちまち軽度の緘黙状態に陥る生徒が、一クラス(あるいは一学年)に必ず二三人はいるということだ。今昔を思い返してみると、作文の居残り組というのは毎回決まっていた。統計をとったのではないけれど、圧倒的に男子が多いようだ。彼らは何かを大きく羞じているようだった。名前だけ書いて、あとは何も書かない。ちょっと前の元気はどこへ行ったという気にさせる。漢字を知らないのではない。それに原稿料がかかっているのでもないし、虚名のへぼ作家のようにアイディアに窮したわけでもない。それなのに、自分の文章を書き綴ることに、平均以上の重圧を覚えているようなのだ。こうした身近な事例は、文章表現と発話表現の違いを雄弁に語っている。

文章を書くことは恥をかくことだ、という風な、下手な韻を含んだ箴言があった。宿題の作文から大学の修士論文まで、また、文芸誌の小説作品から研究をまとめた出版物まで、一度でも書かれて公にされたものは容赦なく衆目にさらされる。なかには「高等」な批評もあれば重箱の隅をほじくるような粗捜しもある。作者の眼からみて途方もなくとんちんかんな受容もある。プラトンが『パイドロス』の後半で熱心に論じているように、「言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人びとのところであろうとおかまいなしに、転々とめぐり歩く」(藤沢令夫・訳)。書き手から独立した文章が書き手に反逆することも少なくない。 クラスに一定数はある作文恐怖症の子どもは、直感的に、文章のそうした反逆を恐れているのかもしれない。「私」や「僕」と書いたときの軽い分裂感覚に謂れのない羞恥心を覚えるのだ(文章家とナルシシズムは切り離せないと私が確信している理由はこの辺りにある)。

「話すこと」と「書くこと」の間にある隔たりは、無視しようにも無視できない。文章化された漫才や落語はちっとも面白くないし、幸田露伴作品の朗読が耳に馴染みやすいわけでもない(所々理解困難でさえある)。文章には文章特有の言句運用があるし、それに、話すときには、周囲世界を共有している相手が眼の前にいる。言葉が浮かばなければ指さしでも一応の疎通がはかれるし、表情や身振りの補助言語も許されている。 書き言葉となると、一切の指示関係をより具体的にしなければならない。誰が、何に対して、どのように、いつ。事の細部を正確に伝えるのは容易なことではない。生の会話であれば、冗長な繰り返しや気まぐれな前言修正もある程度許容されるけれども、文章ではそうはいかない。書くとなると、話すような調子では間に合わないことが多くある。 誰もがそれなりに話すことは出来ても、誰もがそれなりに書くことはできない。書くことは、通常思われている以上に<難しい>。ある種の事を論ずることは、ほとんど人間の生理的限界を超えているといってもいい。この痛感はどこから来るのだろう。

こうした痛ましい気づきは、中学生以来、本質的には何も変わっていない。これまで私は人と話すように文章を書いたことなど殆どなかったし、これからもないと思う。 たしかに文章作法を説いた俗書の四割方は、文は話すように書けと繰り返している。事実文豪や名文家と称されている人たちの多くも似たようなことを言っている。けれどもそうした助言を額面通りに受け取って文を作ってみると、甚だ不細工で要領を得ないものが出来上がる。話すように書かれた文章が必ずしも読みやすい文章であるわけではないし、ましてそれが「好文章」になるわけでもない。

「話す通りに書く」ことと「話すように書く」ことは、互いに似て非なるものだ。 国会の速記議事録や三文小説の無神経な会話文であればジャーゴンでもスラングでもそのまま文字にすればいいかもしれないけれども(「藤川打たれて負けちったなぁ」)、谷崎のいう「音楽的効果」や「視覚的効果」を少しでも重んじる書き手なら、そう安直な書き方はなかなかできない(してはならない、とは言っていない)。人と話すような調子で多層的な事実や思考内容を表現するのには、どうしても限界がある。小説にしても、一部の書き手は、方言や若者言葉をどんどん盛り込んで時代を写しとったつもりでいるけれども、ことはそう単純なものではない。こうした思い違いの根には、例の「話すように書け」の俗論が潜んでいる。 勝手な趣味判断かもしれないが、私は、これ見よがしに「方言」が散りばめられている文章には、うんざり感を隠しきれない。大分まえに長塚節の『土』を五分の三くらいまで読んだところで急に嫌になったのを覚えている。肌に合わない何かがあった。文字で起こしただけの「方言」は、博物館の日本狼の剥製や縄文土器と同じで、およそそこから生き生きした生活臭を汲み取ることは難しい。ネイティブな話者が音読するのでもない限り、その抑揚や語調まではとても再現できないのだから、小説作品の「方言」など中途半端なパフォーマンスでしかない。方言での見世物的な露出趣味は安っぽいテレビ企画か同郷コミュニティだけに限ってほしい。

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谷崎潤一郎による文章読本は、書かれてから八十年近く経ついまも広く読み継がれている(三島由紀夫川端康成丸谷才一井上ひさしなどと、いろいろな人がいろいろな調子で書いているけれども)。これは今でいう一般向け実用書の性格をもったものなので、それを考え合わせれば実に大変なことだ。大抵の実用本は一年以上書店に並べば成功したものと言えるけれども、本書は改版を重ねながら半世紀以上も書棚に座を占めている。一時期だけ世の話題に挙がる本には偶然の要素も絡んでくるが、何十年も読まれている本となるとそうはいかない。当然、受容するに足る何かを含んでいるから読まれるのだ。

なんどか通読してみて先ず気にならないではいられないのは、彼の大胆ながら淡白な国語観だ。いくら文筆の同業者や専門家を読者に想定していないとはいえ、よくそこまで言い切るなと思わせる箇所がそこら辺にある。

たとえば彼は、日本語の語彙は貧弱で文法も不完全だが、それを補って余りある長所も多くあり、日本語の書き手はそれを活かすようにしていかねばならない、と概ねこんなことを一章のなかで書いている。地球上の何千ともいえる言語のなかで、私が最も不自由なく使いこなせる言語は日本語だけなので、語彙や文法構造にまつわる小難しい議論に介入することはできないけれども、日本語の表現の弱点を語彙や文法のなかに見出そうなどとは、これまで夢にも思ったことがない。谷崎国語観の代表的規則ともいえる「文法に囚われないこと」にしても、現代の感覚から見ればかなりずれている。日本語が西欧語に比べて非論理的だとか正確ではないという彼の達観は、一部の文芸世界には適応できても、一般化するとお粗末な自虐趣味でしかない。彼の(あるいは当時の教養層)の西欧諸語に対する過剰な意識がその背景にあることを割り引いたとしても、一連の文法軽視の作法はどうにも受け入れがたい(外国語に関しては、谷崎は英文をある程度嗜む程度だったから、彼の素人じみた比較言語観など信頼するには及ばない)。充分な工夫と注意さえあれば、どんな言語でも、それなりに「論理的」な文章はつくることはできる。ベンガル語で法律文書を作成できるし、フィリピノ語で壮大な形而上学も展開することもできる。曖昧さや不正確さを単に「国語」の構造だけに帰するのは、頭脳の怠慢というべきだろう。いったい世の中には、自国の言語や文化を特殊化しないではいられない井蛙が多くある。たわむれで言っているうちはいいけれども、なかには青筋を立てて主張するのもあるので、注意が必要だ。それは概して、自分たちの言語は他に比べて優れているという夜郎自大の極と、他に比べて欠陥だらけだという卑下の極に分かれる。後者の卑下傾向は、思想や技術面で膨大な知識を外国から輸入した日本では特に顕著とされているけれども、一方で、その反動的な再認識も無視できないほど大きい(志賀重昴から「クールジャパン」)。「個性」とか「伝統」というものを年々信用できなくなってきた私は、当然、言語のなかに特殊なものなどないと見込んでいる。

このように些か問題含みの谷崎国語観だけれども、「朦朧派」「平明派」や「漢文脈派」「和文脈派」といった分類は素直に面白かった。源氏物語西鶴からの引用解説も、国文学に相当通じていないと出来ないことで、このところはさすがに文豪の貫録を示してあまりある。 あと、送り仮名やルビや引用符についての著者の見解も随分細かいので感心した。作者が想定していない読み方を防ぐための工夫などは、実際に著述で身を立てている人間にとっては、どうでもよいことではない。

蛇足をひとつ。 いつか私は、「色々な人」と「色々の人」の間のちょっとした差異について考えたことがある。格助詞の「な」と「の」。これらは特段使い分けられているものではないけれども、漱石あたりの頃には、この二つの用法は同じくらい多く見られる。今は自然と「な」に統一されているようなので、「の」の好きな私としては残念ではある。一つよりも二つあったほうが豊かな感じになるので、私は好きだ。あんまり無軌道では困るけれども、言語表現はやはり、様々の使い方があったほうがいい。

文章読本 (中公文庫)