書痴肉林・蟄居汎読記

佐野白羚の古い雑文の一部を(たぶん)定期的にひっそり掲載します

中村計『甲子園が割れた日』(新潮社)

松井秀喜はほとんど毎年金沢市に来て、様々な恒例イベントを真面目にこなしている。星陵高校(松井の出身校)の山下さん(もと監督にして松井の「恩師」(引用符なしでは使いたくない言葉だ)と面会するシーンはローカル放送の定番といってもよく、石川県人には説明不要の風物詩だ。

松井ファンではないが野球愛好者の一人である私も、割合近くからその姿を「拝見」して、満足したことがある。当時既にヤンキースに在籍していた彼をナマでみたのは初めてだったので、現実感がなかった。スーパースターの周りにはとかく人が金魚の糞の様について回るもので、サインペンと色紙をもった野球少年がキャッキャッと小猿のように騒いでいた。 一昔前、石川県出身で「誰にでも」通用するビッグネームは二つしかない、と友人が自嘲気味にいっていた。 森喜朗松井秀喜だ(根上町というところも同じ)。 石川県では「喜」という字を子供に付けると大物になるのかもしれない。 そんなことは、どうでもいい。

九二年の高校野球での「松井五打席連続敬遠」はひとつの「事件」、というより、ある問題提起を促した。 意見は二分三分した。 「事件」というのは、星陵の唯一の主砲である松井秀喜が全打席で歩かせられたというものだ。 五打席目の敬遠中には観客席からは野次が響き渡り、レフト席からは「くそくらえ」というようなメガホンも投げ入れられた。勝利した明徳義塾の校歌斉唱中に帰れコールが沸き上がった(当の松井はほとんど意に介さぬ風を装っていた)。 高校野球に残酷な悲劇は付き物だけれど、この種の「事件」はそう多くはない。

「高校球児たるもの正々堂々と勝負すべきだ」式の観客側の「野球美学」に立った単純な否定論もあれば、「ルール違反ではないのだから騒ぐようなんことではない、試合は勝たなければ意味がない」というクールな観点もあった。 高校生離れした松井を敬遠するのは理に適っているが、四打席目くらいは勝負してもよかったという折衷論のようなのもあった。

こうした意見は全て、「当事者」の置かれた立場を度外視しては語れない。評論家も新旧のOBも、めいめいが自分の「野球観」に則って安易な判断を下す。

松井の打撃を見たかっただけの中立的な観客はこの「敬遠」策を美学的に好まないだろうし、メガホンを球場に投げ入れて「否」を表明した星陵サイドも当然その戦略をよくは受け止めない。

明徳義塾の監督・馬淵史朗は名将として知られていたが、この試合のために一時期高校球界のヒールを演ずることになった。高校には抗議の電話が殺到し、脅迫まがいの手紙も届いた。明徳側の投手がベンチ上の変な観客から金網越しに「殺すぞ」と野次られることもあった。

それにしてもあの連続敬遠のために松井秀喜は伝説のスラッガーとなった。松井の存在そのものがひとつの脅威だったのは確からしい。当時の映像を見ても、体格などでは説明の出来ない威圧感がある。 あの敬遠に反発した人々は往々にして、「そこまでして勝ちたいか」といった類の決め台詞で明徳義塾を批判する。「美しい負けなどはない」といわんばかりに、明徳側は切り返す。

この議論はいまどうなっているのか。 どうしてあれほど話題をさらったのか。 五度も歩かせられた松井をホームに返すことの出来なかった五番打者の苦悩。 監督の敬遠命令を忠実に守った投手(とはいえ彼もこの策を当然のものだと思っていたそうで、特段傷を負っている様子もない)のその後。 どうしても松井にバットを振らせたかった山下監督の声。 明徳義塾高校の練習風景。意外と我が儘だった高校時代の松井

イチロー清原和博長嶋茂雄王貞治以外の野球選手を知らない様な人には、あまり面白くないトピックかもしれないが、すこしでも野球戦術や心理に関心のある人にはなかなかお奨めの一冊だ。

甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実 (新潮文庫)