書痴肉林・蟄居汎読記

佐野白羚の古い雑文の一部を(たぶん)定期的にひっそり掲載します

R.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏』(入江曜子・春名徹・訳 岩波書店)

イギリスの官僚で、宣統帝溥儀の家庭教師として紫禁城に迎えられることになったR.F.ジョンストン(1874~1938)の書いたこの名高い記録本を読む前に、清朝の簡単な系図や辛亥革命以後の政治動静を、あらまし確認しておいた方がいいかもしれない。

 私などは、中国の近現代史にとても疎かったので、段祺瑞(だんきずい)とか張勲(ちょうくん)とかいったような軍閥関連の人名がなんの説明もなしに頻出すると、ちょっと頭が痛くなった。派閥の力関係や辛亥革命の内実をそれなりに知っていないと、読み進めるのは苦しい(尤もこの苦労が読む快楽でもあるのだけれど。読書マゾヒズム)。  この手の記録本に当たるとき、そうした「予習」を欠くと、固有名詞のゲリラ豪雨にしばしば辟易して、最悪の場合、頓挫をきたす。    たとえば、冒頭から、戊戌変法(ぼじゅつへんぽう)という言葉が出てくる。これは、「変法自強」という当時の一連の政策傾向のなかの一部面で、末期の清朝を語る上で絶対に欠かせないキーワードだ。  清朝末期、日本の明治維新にならって、康有為や梁啓超という人たちが中心となっって、国政改革運動をはじめた。法、すなわち古い制度を変えて、自らを強くしていこうという意味だ。そのなかには憲法制定や国会開設、学制改革があり、当時としては本当にラジカルなものだった。光緒帝(清朝第11代の帝)がその方針を採用して、清国を立憲君主国にするための改革を本格的に始めたけれど(これを通常、戊戌変法と呼ぶ)、西太后(1835~1908)という権力欲に憑かれた女帝が守旧派の反動をうまく利用してクーデターを起こし(戊戌の政変)、改革組は処刑されたり追放されたりして、帝はというと幽閉の憂き身をみることになった。結局、このようにして、国政改革は三か月余りで挫折した(俗に百日維新)。  当時のこうした不穏な気運のなかで、以降、義和団事件辛亥革命、五・四運動、張作霖爆殺事件と、中国近近現代史をそのまま織りなすような様々の重大事が沢山起こるのだけれど、もちろん著者はそうした基本事項を丁寧に解説してくれないので、本書を批判的に精読する場合でも素朴に読み進める場合でも、相応の参照図書は近傍に欠かせない。

 この類の回顧録には往々してあることだけれど、宣統帝(溥儀、在位1908~1912)への個人としての思いれが強すぎて、著者の筆がともすれば感情的に昂ぶってしまい、史実に照らせば大分偏向してしまっている箇所が散見される点も、予め知っておくことが重要だ。

 ともあれ、大いに眉に唾を塗りながらも、王朝の衰滅過程をその肉眼で見届けた著者によるこの生々しい記録を、固唾をのみながら愉しめた。

 なお、ジョンストンによってものされた本書は、ラストエンペラー溥儀自身の書いた(とされる)長大な自伝『わが半生』(我的前半生、1964年)の、基礎的な資料にもなった。このことを巡っては色々な逸話や議論や指摘もあるけれど、とにかく興味のある人は、関連文献に当たってほしい。   (私としては、著者が溥儀の近眼に気が付き、外国から眼科医を呼び寄せようという段で、内務府の役人や他の教師たちと一悶着あったという件りが、一番記憶に残ってる。「これまでの皇帝が眼鏡をおかけになった前例など、一度たりともない」ということらしい。  また当時も宮廷内に「腹に一物ある」宦官が多くあったようで、彼らのこととなると著者の筆鋒は俄に鋭くなる。写真や映像で見る限り線の細い印象を与える溥儀が思いほか反抗的な気概を見せて事毎に気炎を吐いているの面白い)

紫禁城の黄昏 (岩波文庫)