佐野白羚の文筆武者修行

佐野白羚による随想ならびに読後録(「蟄居汎読記」「書脈録」)を不定期掲載

山本夏彦『完本 文語文』(文藝春秋)

入力しながら、毎回思うことは、「藝」という字のアラベスク文様みたいな錯綜感。この守旧精神、歴史ある出版社の気負いを見ないでもないし、私も嫌いではない。「文芸春秋」なんて書くと何だか気の抜けたサイダーみたいになって急に安っぽくなる。澁澤龍彦も「渋沢龍彦」と書くと急に凡庸化してあのディレッタンティズムの神秘性が希薄化してしまう。森鴎外の鴎も「鷗」の字でないと駄目みたいだ。内田百閒の「閒」の字に至っては、ときどき「間」と書かれている。これはきちんと活字化された本のなかにもある。月と日は全然違う。パソコン入力は漢字の異形性と多様性を奪い取る傾向があると言えば、それまでだけれど。

 
漢字の形状から受ける印象は存外に根深い。漢字心理学とか漢字印象学なんてあってもいいような気もする。白川静の漢字の本を見ていると、ことにそう思う。起源前十五世紀頃の甲骨文字以来の視覚的迫力、「不合理」な刻印性。
 
漢字の奇妙な心理効果といえば、他にもいろいろ事例がある。医院を「醫院」と書いたあの看板。そんなのを見ると、この病院は随分むかしからあるんだなあ、とか思ってしまって、人はむやみやたらに権威を感じ取る。もともと中国の昔の医者は酒壺に薬草を封じ込み薬酒をこしらえていた。それに医者は呪術や祈祷とは切り離せなかった。そんな次第が漢字の形からぼんやり暗示される。
 
おしなべて権威感情というものには根拠などない。トルストイの晩年の肖像画に読者が圧倒されてしまうのは、あの量感のある鬚と思索的厭世的な眼差しのせいであって、そうでなければ彼に対する権威感情は半減すると思う。文豪も家庭では恐妻家であったり小市民的な生活者であるからだ。
 
それだから、画数の多い漢字は多分に形式的で、男性的思想色を帯びてしまうのだ。有無を言わせぬ形而上的説得性と言ってもいい。一九四九年内閣告示の「当用漢字字体表」が提示した「新字体」以前の字を私どもは「旧字体」と呼ぶ。この旧字体と併せて「歴史的仮名遣い」と呼ばれるものがある。これはなかなか入り組んだ話だから雑にはくくれないのだけれど、たとえば福田恆存とか丸谷才一が生涯使いつづけていた仮名づかいのことで、もちろん現代から見ればこれはずいぶん馴染みの薄いものになっている。言う、を、言ふ、などと書くあれだな。この国語観は結局、どの時代に国語教育を受けたかで決まる。戦後に生まれ戦後の教育を受けた現代日本人たちが歴史的仮名遣いに郷愁を覚えることは、まずないと言っていい。母国語ほど教育の影響をもろに受けるものはないからだ。かりに「現代仮名遣い」がどれほど粗雑で醜いものであろうとも、幼少時より使い慣れた言葉を合理的理由から手放すはずがない。良かれ悪しかれ、「現代仮名遣い」(一九四六年)はあまねく国民の間に浸透している。「歴史的仮名遣い」で文章を書き続ける人間が時代錯誤な好事家にしか見えないくらいに。福田恆存がいくら『私の國語教室』のなかで歴史的仮名遣いの魅力を力説しても、多勢に無勢といった観が余りある。私の気持ちだって、いまさら昔に戻れないのだからこのまま行きましょうよ、という具合なので、歴史的仮名遣い論者の熱い気持ちをどうにも汲み取れないのだ。祖国とは国語であると偉い人たちはいうけれど、いい加減な日本語も高級な日本語も同じくらい祖国なのですよ。近頃とみに増えて来た「これ~じゃね?」とか「~っすね」なんて言い方を私は嫌いだけれど、これも立派な国語なのだ。 自身をかえりみれば私もろくなを日本語を使っていない。
 
そんなわけで、戦後、国家主導によって、漢字も仮名遣いもずいぶん変わったわけだけれど、それでも言葉の中にはいまでも「古風」な残滓がなくもない。「文語文」がそれだ。錚々たる顔ぶれ、燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや、欣快の到り、肝胆相照らす仲、感に堪えない、いまでもこんな慣用字句を持ち出すでしょう。「我が身の不遇を悲憤慷慨し」と書くのと「自分の不遇を悲しみ怒った」と書くのとでは、かなり印象が違う。多少の過大表現は読み手が勝手に割り引いてくれるから、思い切って古風大仰大時代な字句を使ってみよう、というのが現代の文語文なのかもしれない。
 
山本夏彦という、この煮ても焼いても食えぬコラムニストは、毎回同じことばかりを繰り返すのでいい加減食傷してしまうのだけれど、文語文に対する見識と思い入れだけは相当確かなものなので、本書は一読に値する。
 
日本における文語文は、言文一致運動以前に用いられていた平安時代の文法に基づくもので、それに対するものを口語文と呼ぶ。言文一致運動は明治から大正にかけての現象で、ざっくりいうと、書き言葉と話し言葉の間の隔たりをなくしていこうよ、というものだ。概して、文字を使用する言語では、書き言葉は古い形式をとどめやすい。日本も例外でなく、明治に入り識字階層の広がりにともなって、両者の異質性が痛感されるようになった。一番古い事例のひとつとして、一八六六年(慶応二年)に前島密の『漢字御廃止之儀』に言文一致の主張があって、その二十年後に物集高見(もずめたかみ)という国学者が「言文一致」の語をはじめて使う。小説家の存在は、言文一致運動の流れのなかで極めて重大な位置を占めている。山田美妙の「です調」、二葉亭四迷の「だ調」、尾崎紅葉の「である調」なんかは、よく知られている。落語家の三遊亭円朝(一八三九~一九〇〇)による速記本出版がこの運動に与えた影響も無視できない。いろいろな人間の間ですったもんだがあった末、一九〇〇年から一九一〇年の間には、言文一致運動は一応の完了をみる。今現在私どもの使っている口語文は、この言文一致運動なくしてありえかった。そうでなければいまでも「あゝ玉杯に花うけて」とか「昨晩は怏々として眠れず」みたいな文章を普通に書いていたかもしれない。いやギャグではなくて本当に。
 
山本夏彦二葉亭四迷の崇拝者を自認している。彼自身、稀代の文章家だった。陸羯南から坪内逍遥まで自在に引用しつつ、明治の語彙を自家薬籠中のように語り、岩波書店の批判も執拗に繰り返す。そのお家芸とさえ言える偏見ならびに愚痴を痛快に読んでいると、こういう面倒くさい古風なジジイも既に絶滅危惧種なのだろうなという感慨を禁じ得なくなって、すこし文語文を見直してみたくもなる。
 
ともあれ、この本、文語文の手引書としては最良のものに当たるではないかな。大事なのは著者が決して文語文復活論者などではないことだ。そんな現実離れした空論を振りかざすほど惚けてはいない。こんな時代もあったと懐かしみながら書き綴っているだけだ。

文語文については言いたいことも沢山あるけれども、長いのは嫌だからこのへんで。

 

完本・文語文 (文春文庫)