書痴肉林・蟄居汎読記

佐野白羚の古い雑文の一部を(たぶん)定期的にひっそり掲載します

岩田重則『「お墓」の誕生(死者祭祀の民俗誌)』(岩波書店)

「見渡す限り、お墓が続いています。一体この霊園には何千、何万の人が眠っているのだろう。ただ何々家の墓、とだけ刻まれたお墓はもちろん、生前どんな人だったのか和歌が刻まれたものもあり、思わず立ち止まってしまったけれど、夢という一文字が大きく彫られているお墓もあった。空地になっている一隅は、家名の書かれた木札が並んでいて、まるで宅地予定地のように整然と仕切られている。」

 

墓の本の話だから、唐突墓の引用から切り出したのだけど、古今東西、引用から文を書き起こす奴にロクなのがいない。ちょうど巻頭にやたらエピグラフを並べまくる作家にロクなのがいないのと同じ。これはいわば禁じ手なのだ。断わりもなく長々と人のフンドシで一人相撲しやがって、この野郎。まあいいんですよ、これは李良枝の短編「あにごぜ」の一節ですよ。もう忘れ去られている人です。このくだり、秀逸無類の名文というほどではないにしろ、シンプルながら薄味の利いた好文章ではあると思う。それにしても「宅地予定地」、整然と区分けされた霊園を喩えるのに何と適切だろうかね。そう言われると、現代のお墓は秩序度が高い。じゃあいつ時代に比べて、なのか。問題の所在はここにある気がする。

 

ざっくりと根源的に、墓とは何か。遺骸や遺骨を葬り、その人の霊を祀るところ。grave、tomb、墓所、塚、墳墓、いくらでも続けられる。墓についてはその形態の変遷や文化的な位置づけについて、案外知るところが少ない。というよりもがんらい知ろうとする情熱が起らない。いったいに墓というのは地味で詰まらないものなのだ。こんな妙なものが存在しているのにはそれなりの心情的合理的共同体的歴史的理由があるのかもしれない。毎年の家族での慣例の墓参りのたびに、じぶんがいま何に対して手を合わせているのかが分からなくなって、止め処もない思索に耽ってしまう。墓自体は加工された物質に過ぎない。花崗岩か何か知らないけれども。遺骨に対してか。それも物質に過ぎない。ここで墓参者は何を感じるべきなのか。「何を」拝んでいるのか。

かりに死者を思いだすだけなら他にいろいろ簡便な方法があるだろうし、迎え火によって先祖の霊が到来しているのであれば、わざわざこんな無粋な墓石などに手を合わせる必要もない気もする。仏壇にも、あるいは盆棚と呼ばれているものにも(僕は直接見たことがない)、何かしらの起源があり、その歴史があるはずだ。この新書は一応そこんとこあらあらと書いてくれているから、勉強になるよ。

 

無知まるだしの素人考えに違いないのだろうけれど、古来からの先祖崇拝云々とかいう民俗学的理由の前に、年に二回、正月と盂蘭盆会の時くらいは実家に帰省しなさいよという、なんらかの配慮機能の方が今日では大きな意味を持っているのではあるまいか。こんな国民的行事というか風習でもなければ実家に帰りにくい人びとがたくさんいる。すごくいる。特に会社や連勤自慢の大好きな野暮な男たちのなかに多い。

そういうなかで、盆と正月だけは、数百万人単位の民族内大移動を無理やり促す「大いなる助け舟」になっている。

そうでなかったら大都会の生産人口の大半は「故郷」に帰る口実をついに失ってしまう。慶事や弔事でもない限り。

それでもいいよという乾いた人も当然あるだろうけれど、ときどきは故郷に帰りたくなるのが地方出身者というものだ。くさっても故郷、むしろ愛憎相半ばする場所であればこそ、故郷といえるのかもしれない。みずからすすんで帰る場所ではないけれども、たまには帰ってきなさいと言われれば帰ってみたくなる故郷。「忙しいのに面倒くせえな」とかぶつぶつ言いながらも人々は存外素直に帰る。まだ待つ人がいる故郷に帰る。渋滞という鉄の大河を乗り越えて。いやちょっとポエムに走りすぎでしょうあなた、気味が悪い。誰だったかな、ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの、なんて歌った哀れな助平作家がいた気がする。

現代は通信インフラにも送金にも不自由しない。スグカエレチチキトクの時代はまだ人間同士のフィジカルな隔たりが即ち心の隔たりだった。いまは違う。車はほとんど一人が一台持っているし、東京から金沢まで新幹線なら半日を要さない。

電子メールもあるしスカイプもある。FacebookTwitterもLINEもある。人びとにとっては、死別以外は離別のうちに入らない。

ジョン・レノンの流儀でもってイマジンしてみる。近い将来マーク・ザッカーバーグ的野心が完璧に達成されて交通網が数倍拡大向上したならば、世界中の人間同士の物理的隔たりがある面においては無くなる。これはものすごいことだ。もう「北国の春」の情緒なんか誰も理解できなくなる。駅で泣きながら抱擁しているアベックなど昭和の記憶に遠のてしまう。各自のデバイスを通して常に遠隔対面可能ならば、一時的別離の哀感などあってないようなものだ。そういえばここ十年、ホームシックという言葉をあまり耳にしなくなった。

 

こうした空間極小化の潮流が盂蘭盆会特有の「日本的霊性感覚」を希薄化させている、という見方もできなくはない。僕自身にしてみても、毎年盂蘭盆会の期間は一応実家に帰るけれども、いま先祖が到来しているなという臨在感覚は持てない。どうしても。こればかりは個人の気質にも依るのかもしれないけれど、大部分の人が漫然とある種の社会的惰性によって、とりあえず帰省しているに過ぎない気がする。つまり特別な感傷に耽るための精神的条件が欠けている。ハレの日とケの日の区別も殆ど無意味になっているから、日常はおわりなき「客観的時間経過」以上ではなくなっている。宇宙はこのまま乾いた時間を永久に刻み続けるだけなのか。

 

そういえば、都会のなかで故郷へのノスタルジーに浸る趣味は現代にもありふれている。やたらに故郷を恋しがる奴もまだ結構いる。

北国の春」タイプの望郷歌謡はきっと、どこか人々の琴線にふれる何か普遍的な成分があるからこそ名曲化したのだ(さらに中国大陸にまで渡って)。ところで別の種類の甘酸っぱいノスタルジーもある。田舎と大都会に別離した恋人同士が互いへの想いを馳せる、「木綿のハンカチーフ」型だ。僕はかねがね、戦後のノスタルジー歌謡はごく大づかみに言って、「北国の春」タイプと「木綿のハンカチーフ」タイプに類別できるのではないかと考えている。これに関しては閑なときにもうすこし掘削したいですね。

 

閑話休題、ともあれですね、きょうびにあっては、墓も墓参りもあまり重大特殊な「精神性」を含ませていないのだ。これだけは間違いない。すくなくとも僕の見るところでは。あるいは最初から墓などその程度のものだったのかもしれない。

日常どこにでも存在している墓は、謎に満ちている。ちょっとした墓学に手を染めても損はない。どうせ誰もがやがて死んで焼かれて遺骨になるのだから。死を忘れるな、ですね。生きていることは無限に虚しい。死ぬことも虚しい。こんなことを考えていることも虚しい。

 

日本の、それも現代の墓事情を見てみると、その大部分が、いわゆるカロート式石塔となっている。近代の行政努力で「火葬」が一般化したので、死んだ人がそのまま埋葬されている墓は日本には殆ど存在しない(法律上、「土葬」の制度はある。ただし地域別に種々細かい条件がある。興味あれば「墓地、埋葬等に関する法律」参照。僕は難しいこと知りません)。

カロート式、聞きなれないけれども、現代の墓学においては極めて重大の用語なのだ。ようするに死者の遺骨を納める石室だな。我々の平生見慣れているタイプの、あの頭部の平坦な角柱型石塔の下部には、たいていのこのカロート(屍櫃)が備わっている。この様式は思いのほか時代が浅い。だいたいこうした石塔そのものも古くてたかだか四〇〇年を遡れるに過ぎない。それにむかしは個人の戒名を個々の墓に刻んでいたのだけれど、しだいに現代風の「先祖代々墓」に移行していった。著者は石塔の本格的な浸透は近世後期以降だと踏んでいる。

ともすれば人は錯覚する。すごく大昔から今と同じ風なお墓が存在していたのだとつい考えてしまいがちだけれど、墓の推移は常に現在進行形なのだ。百年以上の前の墓様式と平成現在の墓様式はだいぶん違う。現在ではお墓の大半は石材産業によって供給されている。そして一九九〇年代移行、その生産拠点は中国に移行しており、中国産製品のシェアが著しく増大している。商品としての「お墓」事情は日々時代の様々な要因によって変動を余儀なくされている。

いずれにしても、古来からの民俗的墓制は明らかに解体しつつあって、味気ない角柱型石塔による先祖代々墓として、現代の「お墓」は要領よく画一化されている。このことは、市場原理で「お墓」商品が生産・供給され続けていることと切り離しては考えられない。

 

私見だけれども、人生いろいろなのだからお墓もいろいろあっていいと思うのだ。もちろん墓参りの方式もいろいろあっていいです。

近世幕藩体制によるキリシタン禁圧の産物ともいえる寺檀制度は、現代にも様々の面で色濃く残っているのだけど、これなんかもよく思うとイビツです。墓や墓参りが詰まらない理由は、ひとつやふたつではないみたいだな。

そもそも墓とは何か、根本から考えて出直してみたいものです。

「お墓」の誕生―死者祭祀の民俗誌 (岩波新書)