小田垣雅也『キリスト教の歴史』(講談社)
何を読んでも宗派的偏向や語義解釈問題は避けられないけれども、どうせ避けられないなら出来るだけ一般化した読み物の方がいい。それだけ多くの眼差しや批判にさらされているのだから、信用面でも何かしらの価値はある。「功利的読書」とは、たとえばこういうことを指すのだ。
ところで、語彙に乏しいくせに批評じみたことをやたら言いたがる人間が他人の本を褒めるときによく使う紋切型が二つある。ひとつは「簡潔にして分りやすい」、もうひとつは「今までになかった新鮮さ」。今回たまたま読んでみた本書はまさしく前者、簡潔にして分りやすい。それによくありがちな神学的瑣末主義とも縁遠い。誰だって最初から延々たる神学談義に巻き込まれたくないのだ。それにあまり布教精神旺盛でファナティックなのも閉口だし、キリスト教に対して最初から敵対的で啓蒙風を吹かせまくるのも困る。著者の信条にかかわらぬ何かしらの「距離感」が、この際ずいぶんありがたい。ものを書く人間にとって大事なのは、対象との距離感なのだ。
これ一冊でも精読すれば、聖書を知らない誰かにひとくさりの簡便な講義くらいは出来るようになる。きっと保証しますよ。出来なかったらあなたのオツムか読み方が悪いのです。
「異端」もある。腐敗もある。通俗化もする。神秘思想も生まれる。科学との和解も強いられる。キリスト教ほど断面の多い問題も少ない。
けれどもその中核にある歴史的な信仰理念を辿ることは、我々のような素人にもそう無理なことではないようだ。本はありがたいものだ。この分野については沢山本が書かれている。知らないと思えば目一杯読んでみることです。何も知らないやあへへとか馬鹿面して許されるのは目一杯読んでからです。ローマ時代では迫害も激しかった。古代ペルシア起源のミトラ教との接触もあった。
「原罪説」や人間の自由意思をめぐっての論争も激しかった(ペラギウス派とアウグスティヌスの論争が有名)。
十六世紀頃の西ヨーロッパではいわゆる宗教改革が盛んになった。彼らは既存宗教の何に不満で、あのようなプロテストを行ったのか。どんな信念、目論見が背後にあったのか。ルターとカルバンの思想の違い。英国国教会とは何か。おおむかしに処刑されたらしいイエスとは、どんな人物だったのか(これについては田川健三の書いた『イエスという男(逆説的反抗者の生と死)』が面白い)。新旧の「聖書」はいつごろ誰によってどんな事情で記されたのか(聖書考古学という分野がある)。近現代の哲学者や神学者たちは概ね何を考えていたのか(フォイエルバッハの『キリスト教の本質』は一読の価値ある)。ついでに十六世紀以来の日本人によるキリスト教(耶蘇教)経験はどの程度のものであったのか(唐突だけれど石川淳に『焼け跡のイエス』という佳作がありました)。
ともかくキリスト教のおさらいという気構えで読んでみるといいですね。こんな入門書が本当は一番大事なのだと思います。
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アーメンがヘブライ語で「まことに」とか「たしかに」という意味だということも分かった。あれは日本人のコメディアンが牧師なんかの真似をするときに使うだけの紋切り型ギャグだと思っていた。