書痴肉林・蟄居汎読記

佐野白羚の古い雑文の一部を(たぶん)定期的にひっそり掲載します

小田垣雅也『キリスト教の歴史』(講談社)

 

 

キリスト教」とは何か、という問題に直面した素朴な日本人は、まず何を読めばいいのか。何でもいいのだ、きっと。概説本でも学術論文でもパウロ書簡でも「聖書物語」でも内村鑑三でも遠藤周作でも佐藤優でも何でもいいのだ。マグダラのマリアが西洋美術ではどう表象されて来たのかみたいなやや渋い切り口の論考から入るのも乙だね(岡田温司マグダラのマリア中央公論社)。
日本で偶像視されているアルベルト・シュバイツァーの思想や行動力も、最近人気の高い『カラマーゾフの兄弟』も、マタイ・ヨハネ受難曲も、キリスト教や聖書の知識なしには深く理解できない(はずだ)。
 
身も蓋もないけれども、キリスト教を知るための最短ルート(昔は捷径という良い言葉があった)は、共同訳聖書を直接読むことなのかもしれない。周知の通り共同訳聖書は二十世紀初頭に始まったエキュメニズム運動(教会一致運動)の流れを受けて作られたもので、その翻訳活動にはカトリックプロテスタント諸派も同じ程度参与している(そう言わない人もいるけれど)。日本で共同訳聖書と呼ぶときはふつう一九七八年に日本聖書協会から発行されたものを指します。
 
何を読んでも宗派的偏向や語義解釈問題は避けられないけれども、どうせ避けられないなら出来るだけ一般化した読み物の方がいい。それだけ多くの眼差しや批判にさらされているのだから、信用面でも何かしらの価値はある。「功利的読書」とは、たとえばこういうことを指すのだ。
 
ところで、語彙に乏しいくせに批評じみたことをやたら言いたがる人間が他人の本を褒めるときによく使う紋切型が二つある。ひとつは「簡潔にして分りやすい」、もうひとつは「今までになかった新鮮さ」。今回たまたま読んでみた本書はまさしく前者、簡潔にして分りやすい。それによくありがちな神学的瑣末主義とも縁遠い。誰だって最初から延々たる神学談義に巻き込まれたくないのだ。それにあまり布教精神旺盛でファナティックなのも閉口だし、キリスト教に対して最初から敵対的で啓蒙風を吹かせまくるのも困る。著者の信条にかかわらぬ何かしらの「距離感」が、この際ずいぶんありがたい。ものを書く人間にとって大事なのは、対象との距離感なのだ。
 
最近の素人はとかく我が儘なので、読みやすいうえに内容の濃い本をいつも求めている。文庫本で二六〇頁くらいなら我慢できるでしょう。関連の固有名詞が次々飛び出してくる。イグナティウス・デ・ロヨラトマス・アクィナスモラビア兄弟団、ジョン・ウィクリフ、トレルチ。ブリタニカ国際百科事典なんかと首っ引きで熟読してみると、この分野の歴史的深みが自ずと察せられるのだ。一言にキリスト教といっても、これだけ多くの使徒や聖人、学者や芸術家、世俗権力や「異教徒」が関わっているのだ。複雑多岐にして亡羊の嘆あり。
 
これ一冊でも精読すれば、聖書を知らない誰かにひとくさりの簡便な講義くらいは出来るようになる。きっと保証しますよ。出来なかったらあなたのオツムか読み方が悪いのです。
 
大きな宗教には大抵いろいろの分派がある。歴史をみれば誰でも分かるけれど、組織も帝国も必ずいつか分裂するのだ。生物の細胞やジャニーズ事務所同じ。これ人の世の常。覚えておこう。そしてこの分裂が往々にして騒擾対立のもとになる。歌謡曲なら人生色々で誤魔化せるけれども、宗教は宗教色々とはいかない。色々の宗教の間での論争や対立は誠に根深い。キリスト教ももちろん例外ではない、というよりも最もダイナミックかつ複雑に分裂したのがキリスト教ではあるまいか。
 
「異端」もある。腐敗もある。通俗化もする。神秘思想も生まれる。科学との和解も強いられる。キリスト教ほど断面の多い問題も少ない。
けれどもその中核にある歴史的な信仰理念を辿ることは、我々のような素人にもそう無理なことではないようだ。本はありがたいものだ。この分野については沢山本が書かれている。知らないと思えば目一杯読んでみることです。何も知らないやあへへとか馬鹿面して許されるのは目一杯読んでからです。ローマ時代では迫害も激しかった。古代ペルシア起源のミトラ教との接触もあった。
 
「原罪説」や人間の自由意思をめぐっての論争も激しかった(ペラギウス派とアウグスティヌスの論争が有名)。
そもそもカトリックとは何か。語源はギリシア語で、普遍的とか世界的の意。アンチオキアの教父イグナチオスが『スミュルナ人への手紙』のなかではじめてこの語を使用する。ことわりがなければふつうローマ・カトリックを指すわけだけれど、ギリシア正教会も一部のプロテスタント教会カトリック教会を自負していることも覚えておきたい。
 
十六世紀頃の西ヨーロッパではいわゆる宗教改革が盛んになった。彼らは既存宗教の何に不満で、あのようなプロテストを行ったのか。どんな信念、目論見が背後にあったのか。ルターとカルバンの思想の違い。英国国教会とは何か。おおむかしに処刑されたらしいイエスとは、どんな人物だったのか(これについては田川健三の書いた『イエスという男(逆説的反抗者の生と死)』が面白い)。新旧の「聖書」はいつごろ誰によってどんな事情で記されたのか(聖書考古学という分野がある)。近現代の哲学者や神学者たちは概ね何を考えていたのか(フォイエルバッハの『キリスト教の本質』は一読の価値ある)。ついでに十六世紀以来の日本人によるキリスト教(耶蘇教)経験はどの程度のものであったのか(唐突だけれど石川淳に『焼け跡のイエス』という佳作がありました)。
 
ともかくキリスト教のおさらいという気構えで読んでみるといいですね。こんな入門書が本当は一番大事なのだと思います。

 

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アーメンがヘブライ語で「まことに」とか「たしかに」という意味だということも分かった。あれは日本人のコメディアンが牧師なんかの真似をするときに使うだけの紋切り型ギャグだと思っていた。

 

キリスト教の歴史 (講談社学術文庫)