書痴肉林・蟄居汎読記

佐野白羚の古い雑文の一部を(たぶん)定期的にひっそり掲載します

エーファ・マリア・クレ―マー『世界の犬種図鑑』(古谷沙梨・訳 誠文堂新光社)

先週酒の席で盛り上がった話題のひとつに「犬」があった。たとえばそれは、犬にまつわる「美談」が枚挙しえないほど報告されているのに対して、猫のそれについては極めて微々たるものだというもので、穏やかだった酒の場はすぐさま談論風発に及んだ。 たしかに、樺太犬のタロー・ジローや忠犬ハチ公みたいな大衆好みの物語には鼻持ちならない美化と創作が混入しすぎていて、私などは、そうしたものはただ失笑するためにのみあるような気さえするのだが、いずれにしても伝統的に人々がそうした「犬美談」に馴染んできたということだけは疑えない。世界中にはこの手の逸話や伝説がありふれていて、犬が家畜化されている圏域でこういうのはいくらでも見つかるはずだ。ゆうに一書を成すにあまりあるほどだろう

ところで、ある男が、ダンディの「反民主主義」的姿勢を示す特徴のひとつに「猫好き」があると、大体こんな趣旨のことを言っていた。猫はわがままで労働を嫌い個人主義者で美を好み隷属を嫌がり貴族的でどこか神秘的でもあるというのが、当時の世紀末パリの一般的な見方だったようだ。 実家にもむかし平凡な犬が暮らしていたけれども、もう死んで十年近く経っていて、いまは老いた猫が一匹いるだけだ。家には盆と暮れにしか帰らないが、なるほど犬と猫は大分違う。あつくるしいほど舌を出して尻尾を振って駆け寄ってくるあの犬特有の愛嬌が、猫にはない。概して猫は自分が構ってほしいときにしか近づいてこないのだ。その点では「貴族的」なのかもしれない。 いろいろ調べてみると、いまのイエネコはリビアネコというのを飼いならしたものとされている。古代エジプトには既にネコの家畜化があったというけれど、多く使役犬とは違って直接人間にこき使われる存在ではなかったみたいだ。これは勝手な想像だけれども、ネコは鼠をとったりするから、大人しいのを何匹か放し飼いにしていた程度のことだったのだろう。それがやがて愛玩種となり、シャムネコとかペルシャネコと呼ばれるようになった。

こうしてみると猫の一般化的な「特性」は、犬のそれとは鮮やかな対照をなしている。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』(草思社)の第九章「なぜシマウマは家畜にならなかったのか」のなかでは、ユーラシア大陸と北米で飼育化されたオオカミが犬の祖先であるとして、飼育種化によって「家畜犬」が本来のオオカミからどのようにかけ離れていったのかを確認している。グレートデンのように元のオオカミよりも体が大きくなった犬種もあれば、ペキニーズといった「愛玩種」にみられるような、はるかに小型化(弱小化)した種もある。短足化したダックスフントも家畜化の結果(ドッグレースではおそろしく不利だ)だし、大胆にも無毛化した犬もいる。人間が白テリアとブルテリアを交配作出したブル・テリア(イギリス)に及んでは、容貌が醜悪過ぎて、もはやそのなかにオオカミの面影は見ることが出来ない。

             *

家畜犬と言っても、その活動分野によっていろいろの呼び名がある。 猟犬では、セッターやコッカ-スパニエル(主に鳥猟)、テリアやビーグル(獣猟)がいる。コリーやシェパードのような牧羊犬・護羊犬もいれば、今回の地震でも出動したはずの災害救助犬(バーニーズマウンテンドッグなど)もいる。暖かい室内で人間嫌いの主人の溺愛を受けるためだけに生育される役立たずの「愛玩犬」(コンパニオン・ドッグ)もいれば、麻薬探知犬と呼ばれる選り抜きの職業犬もいる。

人間(すくなくとも日本人)にとって、犬は異質な者ではない、生活圏を何百年も共にしている伴侶といってもいい。そのことはイヌという字を含んだ言葉の数からもわかる。植物名などの接頭辞によくある「イヌ」は、似て非なるものであることを示すものだし(イヌ蓼、イヌ山椒)、犬侍とか犬死に、犬の川端歩き、警察の犬(まわし者)、犬の糞なんていう罵倒表現はいくらでもある。こういうのは、犬の人間に対する寄与を思えばなかなか不当のものと言えそうだけれども、見方を変えれば、それだけ身近な存在であるということでもある。そういえば江戸時代には白犬は次回人間に生まれ変わるという俗信があったようだ。

犬の図鑑をこうやって眺めてみると、人間がますます嫌な動物に見えてくる。でも犬にはなりたくないよ。

世界の犬種図鑑

藤原新也『僕のいた場所』(文藝春秋)

もともと私は他人の写真というものを好きではなくて、素人の旅行写真など重度の不眠症患者にアクビを促すためにのみ存在しているものと思っていたくらいだから、当然、旅に際してカメラを持つことも殆どない。どこに行っても写真を撮るに値する光景などなかったというのもあるけれど、それよりも、カメラが一般に普及して何十年も経った現在、カメラを首からぶら下げて「観光地」(思い出商品)に犇めいている人間たちが虚ろな動物に見えてきて、いきおいカメラそのものが俗悪なものに思えてきたのだ。カメラにはなんの責任もない。 ところでカメラをもったサルたちは、近頃では、飲食店でこれから食う料理を写真に収めている。自分の口に入れるよりも先にレンズに食わせるのだ。このサルたちは、どうせ料金を払うのだから、ついでにイメージとしても取り込んでおきたいのである。しかし、この興味深い現象については、ここで掘り下げる余裕がない。

             

日本にカメラが舶来して間もないころの写真を通して見ていると、総じて面白い観察が得られる。下級武士であれ丁稚であれ花魁であれ、ほとんど笑顔をつくっていない。おそろしく表情に乏しいのである。これは通夜で撮った写真だと言われても疑うことができないくらいだ。私などは、太宰治が『人間失格』の冒頭で少年期の大庭葉蔵に当てた形容を思いだした。

畏友に聞いてみると、当時はカメラの原理上露出時間が長かったので(*)、笑顔を何十秒も維持することは顔面の筋肉に負担がかかることから、笑顔写真が極端にすくないのだろうと言った。 尋ねておきながら、私は直感的に、これは違うと思ったので、自分で考えることにした。 理由はもっと単純で、きっと、そもそも当時は、カメラに向かってスマイルをつくる合意事項などなかったのだ。有象無象がファインダーをのぞきこむ現代とは違って、当時の写真はずっと高価で、それを撮る行為は厳粛なことだった。 たとえば、武士の写真のなかには、やけに不機嫌に見えるのがあるが、それはおそらく単純に、このほうが威厳を感じさせるからだろう。「男は三年に片頬」というほど極端ではなかったにしても、上に立つ武士があまりヘラヘラしていては周囲に示しがつかない、という自己規律が当時強く残っていたのは、多分本当だろう。当時の侍がまだ支配階級に属する身分だったことを思えば、そう考えるのは如何にも道理にかなっている。明治維新後の元老や天皇の写真でも、愉快そうなのは殆どない。権威と笑顔は、およそ水と油なのだ。すくなくとも日本では。

*【ダゲレオタイプは約二分、湿式タイプは約二〇秒と、ものの本にある。すくなくともその間はじっとしていなければならないのだ。そうなると、「待っている間のイライラ論」も俄かには斥けがたい。十秒以上スマイルを維持すると、たしかそれは不自然なものになる。疑うなら鏡に向かってやってみればいい。入念の表情訓練を受けている俳優でもないかぎり、自然なスマイルを一定時間維持するのは、なかなか困難だ。首相時代の菅直人の職業的スマイルのように過労の色が段々滲んできて、どうみてもイビツに見えてくるのだ】

勿論それだけではない。科学的マインドが庶民レベルにまで根付いていない当時、まだカメラは異様な機械に見えたはずだ(どうしてこれほど写真の発明が遅かったのか、という問いを立てる科学史家がいるほど、カメラの仕組みは素朴なものであったのだけれど)。 いつだったか、樋口一葉が同級生たちと写っている写真をみて、どうにも不思議に思ったのは、彼女らがみんな手の甲を着物の裾に隠していたからだ。すこし調べてみると、写真をとると手が大きくなるとかいう俗信が当時流布されていたそうだ。彼女らがそれを本当に信じていたのかはともかく(*)、撮影に際しての作法がある程度定式化していたのは事実だろう。

*【かつての「迷信」について考えるとき、注意しなければならないのは、当時の人びとが必ずしも本当にその風説を信じているとは限らない点だ。たとえば一九六六年の出生率が低い理由は、勿論人びとの「丙午」(この年に生まれた女性は夫を殺す)への忌避感情にあるわけだが、かりに出産を見送った当人たちが信じていなくとも、将来の娘の縁談の場でなんらかの不都合に被るかもしれないと見越すのなら、結局「時代」はそうした「迷信」を間接的に受容したことになる。つまり「自分は迷信だと確信しているが、他人はそう思っていないかもしれない」という対他的スタンスが、皮肉なことに、「迷信」の根拠を作り上げているのである】

もとよりカメラに向かって笑顔をつくる作法が定着したのは、いつごろからなのだろう。カメラをいじりだしたサルが互いの平凡なツラを撮り合うようになってからだろうか。 履歴書や運転免許証の写真で笑顔を撮った例は、あまり聞かない。逆に選挙ポスターやフェイスブックでは無表情の方がはるかに少ない。公私の別と言えば、それまでだけれども、このことは、もっと調べてみると面白いだろう。

カメラ大衆時代は、めいめいの表情管理の作法にどういう影響を与えたのだろう。「カメラを通して見た自分の姿」と「自分が自分について思い描いている姿」の差異を、カメラ大衆時代にある我々はとことん知っている。

おうおうにしてプロ意識の高い写真家は、俗な笑顔を撮りたがらない。そんなものは往来で何百ダースも得られるからだ。 たしか土門拳だったか、各界の大立者の貌を撮る一連の作品のなかで、谷崎潤一郎の自宅に伺って写真をお願いした際、文豪が終始上機嫌だったのでいまいち自分の欲しいような風格が現れず、撮影の段でわざとモタモタして彼に不機嫌な顔をつくらせた、と大体こんなふうなことを書いていて、当時それがなかなか面白い事と思った。

藤原新也も「写真家」ということになっているけれども、私はこの本で、彼がとてもいい文章を書く人だと、素朴に感心した。時代批判のキツイ文章作者を発見したのである。 濃度が高く、えがらい文章を書ける人を、私は好きだ。ことに「平成幸福音頭」と「社畜電車」の文章は痛快で、二三度読んでもまだ愉快だ。 この表紙の写真は、きっと俳優の笠智衆だろうか。かなり晩年の、それも後姿なので、はっきり分からない。小津安二郎映画のお父さん役でしか彼の事を知らないけれども、私はあの朴訥な感じの演じ方が好きだった。あんなふうな燻し銀の俳優はなかなか今では受容されないだろうな。ピコ太郎か何かしらないけれど、パイナッポオペンとかいっていればいいのだ。

一体写真だけパチパチとる人間に碌なのがいない(巷をみてもそれは明らかだ)。優れた文章も書けて一流なのである。

しつこいようだけれど、藤原新也がこんなにいい文章を書く人とは思っていなかった。退屈な外国写真を撮りまくっている放浪者気取りとしてしか見ていなかった。イメージの固定というのは、やはり、こわい。彼の他の本も、探しだそう。よっぽど気に入った。

僕のいた場所 (文春文庫)

エミリー・クレイグ『死体が語る真実』(三川基好・訳 文藝春秋)

文春の海外ノンフィクションは入手しやすい上に労作揃いなので、私のお気に入りリストに登録されるようになって久しい。本書の特異な主題もまた興味に尽きない。

なにしろ「白骨死体のプロ」と称される女性が書いた本だから、冒頭から最後まで穏やかでは済まない。バラバラになって発見された惨殺死体や、蛆のわいた腐肉を分析する上でのコツについて淡々と語るこの著者の肩書は、法人類学博士となっている。 彼女がケンタッキー州にいたころの主な仕事は、「骨や手足の断片や焼け焦げた死体などを分析して、死因と身元を明らかにするための情報を提供し、ときには生前の姿を再現すること」だった。起承転結のはっきりした低俗な刑事ドラマとは違って、実際の現場で発見される「死体」は大抵、見るも無残な状態にある。身元も不明なら死因も不明、事態は人びとが想像するよりもずっと混沌を極めている。身の毛もよだつなどという月並みの表現ではどうにも弱すぎる。彼女の仕事は、そんな凄惨な事件現場に残された残骸や骨を丹念に仕分けたりしながら、事件の内実を類推・報告することだ。

著者はなかなかの変人であるようで、幼少の頃から父の医学書や解剖図に心を引かれ、また、動物の骨を回収して骨格を復元させないではいられない奇妙な趣味を持っていた。それだから、「正体不明の骨の山を検分したり、分析にまわされてきた死体の血まみれの膝を解体したり」することは、苦痛であるどころか「人生最大の楽しみ」であり、人体の骨や腱の形状や機能をつぶさに観察できることは「はかりしれない喜び」であるそうだ。 多かれ少なかれ、人体への解剖欲は、誰のなかにも潜在している。人体の内部は人間にとって最も近くて最も遠い。大半の人は今も脈打っている自分の心臓を直接見たことはないし、蠕動運動している自分の消化器官を肉眼で覗いたこともない。体の内部を見てみたいという気持ちが起るのは、むしろ、知ることを欲する動物であれば、当然の成り行きだ。 彼女はなかでも極端な例だ。その並外れた知識欲は、一般の生理的不快感を軽く凌駕している(*)。

*【駆け出しのころに彼女は、ある手術に立ち会って、人肉の焦げる臭いに驚いた。その臭いを何とか人に説明すべく拵えた表現が面白い。「腐った魚と豚の脂身と古い靴をフライパンで炒めておいて、そこに焼きたての焦げたトーストを放りこんだにおい」。理科の実験でよく出て来た「腐った卵の臭い」というくらいまでは何とか分かるけれども、これでは皆目伝わらない。けれどもそれが表現不可能の異臭であることだけは、よく分かる。現代の人びとはそうした「死の臭い」を日常空間から遠ざけてしまったのだろう。ことによると生きている心地の乏しい世界は、生々しい「死」が視界から遠ざけられている世界なのかもしれない】

読中、所々痛感したのは、「死」と「死体」が互いに似て非なるものであるということだ。「死」という語はどうかすると観念的に傾くけれども、「死体」は厳然たる生の事実だ。それは有無をいわせぬ「物質」だ。それは、ただあるというだけで、あらゆる観念遊戯に終止符を打つ力を持っている。「死」についての抽象的な思索は哲学者や宗教家の領分だが、「検死」や「解剖」はどこまでも即物的な営みで、想像や感傷を挟み込む余地を与えない。自分の「死」を信じていない人間も、他人の死体を目の当たりしながら、その確信を保つことは出来ない。

死後の経過時間を推測するのにウジムシが利用される次第や、骨を通してみた白人と黒人の相違などは、この本を読んではじめて知った。残骸の頭蓋骨から顔を復元する試み(復顔)についてもかなり詳しく書かれている。当然ながら、実際に見られる骨や内臓は、医学書のカラーページで見る程わかりやすいものではない。死体はひとつひとつ固有の特性を持っている。教科書の図解がそのまま通用するほど単純ではない。医学イラストレーター(著者の前職)が必要とされるのは概ねそのためだ。医学イラストレーションには人体の構造がより細かく描かれている。外科医はそれに参照しながら人体にメスをいれるのだ。

余談だけれど、「死体」と聞くと私は、何故だか「禁じられた遊び」の埋葬シーンを思いだす(*)。あの哀切な調子のギター演奏が頭に響いて止めることができない。

*【これは一九五一年発表された。ルネ・クレマンが監督し、主演の女の子がブリジット・フォッセー、男の子がジョルジュ・プージュリー。予算の関係で音楽はナルシソ・イエペスのギター演奏だけ(それも単一のテーマ)。 全体を通して華やかなギミックもなければ、特段優れた俳優が出演しているわけでもないこの作品を、私は殊のほか気に入っているので、語りだすと多分一冊の本になるだろう。この作品の魅力は、ひたすら押しつけがましくない点にある。 というのも、戦時下にある子どもたちが動物死体の埋葬ごっこに熱中するという筋で映画をつくるなら、大抵はそこにブラックユーモアの香気を与える誘惑に駆られるものだが、幸いにもこの作品はそうした方向には流れていない。これは、よく人々が評するような「反戦映画」などではなく、頑是ない子どもたちを中心に据えた一つの「理不尽映画」ではないかと思う。すくなくとも当時の私はそう観た。 戦争というものは、数万単位の規模で死者を統計に組み込んでいく歴史現象だ。ひとりの死は悲劇だが百万人の死は統計に過ぎないと言ったのは確かスターリンだが、「禁じられた遊び」の埋葬遊戯はそんな「死」のインフレ時代への純真無意識の反応となっていて、そこに政治的なプロテストが食い込んでいない分、いよいよ「やり切れない」理不尽を浮き彫りにするのである。男の子が動物墓地に飾る十字架を近くの墓から失敬するくだりなどは、常識に凝り固まった観衆を随分当惑させる。 一人では生きられない人間の不安定さ、日常の中の離別、惨劇、存在しているというだけで免れることができない理屈以前の不幸、痛みの気配が、この映画の基調を成している。如何にも救いがなく、どうにもやり切れないのだ。 再び孤児に戻った女の子が群衆のなかを叫びながら駆けていく最終シーンを見たとき、私は、胃の底に希釈した塩酸を流し込まれたような感覚を味った(こればかりはコーヒーの飲み過ぎの為ではない)。この言うに言えない切なさを出来合いの「反戦観」にしか回収できない評論家は、何か決定的なものを掴み損ねているような気がする】

次いで思いだすのは、仏教絵画のいわゆる「九相図」(九想図)だ。野外に打ち捨てられた人間の死体が腐敗の末に白骨化してゆく過程を九段階に分けて描いたもので、その念の入ったリアリズムは、現代人の眼にも優しいとは言えない。多くのものは鎌倉時代から江戸時代にかけて描かれたものというから、荒れ狂った世相を相当に反映しているのかもしれない。 死者を(いずれは復活する)朽ちざるものとして見る伝統的なキリスト教とは違って、通常、仏教は死体には何の興味も希望も持たない。所詮現世の肉体など仮の肉衣に過ぎないのだ。私の思うところでは、そうした冷めた死体観は、現代の解剖学的死体観とは、本質的には何も変わらない。江戸時代後期に人体を解剖した蘭学者の精神にも、そうした側面があったのではないかと思う。

今一度「死体」を通して自分の奇妙な生を確認するのも、悪くはない筈だ。私は自分の死体を想像するのが好きだから、この手の本は当面手放したくない。

死体が語る真実 (文春文庫)

エドモンド・シャルル=ルー『ココ・アヴァン・シャネル』(加藤かおり他・訳 早川書房)

マリリン・モンローが寝る前にシャネルの五番を纏っていたという都市伝説があったけれども、いずれにしても、シャネルと聞くだけで何か垢ぬけたものを感じてしまう。シャネルという響きの中に野暮で無粋な成分を見付けることはできない。シャネルスーツ、シャネルスタイル、この名前はこれまで世界中の都市を一人歩きしてきた。 けれども、私は商品としてのシャネルでなく人間としてのシャネルに関心があって、とりわけ当時としては異様なほどに勝気なその性質に注目している。生ぬるい馴れ合いからは生まれてこない強烈な創造的自己表明を、彼女の中に見ないではいられないのだ。

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ガブリエル・シャネル(一八八三~一九七一)は、コルセットの要らない服をデザインするなどして従来の服飾形態を打ち破りながら、ヨーロッパに一大モード帝国を築いた。 決して裕福な出自でなかった事とも相まって、いまでは立志伝中の人物になっていて、伝記の類だけでも十指に余るほど書かれている。 それなりに信用できるものを読んでみると、私は必ず、彼女の「孤独」に突き当たる。おそらく彼女には、終生「親友」など一人もなかった。あるいは、彼女の「要求」を満たせる人間などいなかったというべきかもしれない。あれだけ華やかな社交界にあって、芸術家仲間や各界の大立者と親交しながらも、彼女は終生孤独感を持て余していた。一体心から人を信用することは誰にも難しいけれど、シャネルの場合では、生来の気質も加わってか、そのことが極めて困難だったのだ。 幸福とは言えない生い立ちの為かあるいはその並外れた自尊心の為か、私にはおよそ分かるはずもないけれど(*)、ともかく彼女はその本質において、全てのものに「ノン」を叫ぶ女であった。それはしばしば、「愛されたいという激しすぎるほどの生命の欲求にかられて言ったノン」だった(ポール・モラン『シャネル』中公文庫)。 彼女はまた、人間に頭を下げるのが嫌いだった。ぺこぺこして、卑屈になり、自分の考えを曲げたり、人の命令に従ったりすることを本性から嫌った。スカーレット・オハラを地で行くような硬骨性が、シャネルの芯にはあった。こうした強気の女が世間の馴れ合いに堪えられるはずがない。

*【よく知られているように、彼女には体質的な虚言癖があって、大変な伝記作家泣かせだった】

成功者の周りには往々キャンプ場の蚊のような小物がたかって、時代のシンボルの威光に与ろうとする。晩年のシャネルが呟くには、金を借りにくる吸血昆虫もあれば、特ダネ記事を書きたがる売文昆虫もあった。それらの虫けらは、成功者が頂点にある間は、競うようにして取り巻く。けれども威光に陰りが見え始めたり、派手に落魄したりすると、人々は引力の法則にでも従うように、その元を離脱する。彼女もかつての勢いを失ったときに、そのことを痛感した。 この種のことは、いつの時代でも同じだ。たとえばゾルゲやマタハリ(どっちもスパイ)の生涯を辿ってみても、人間がいかに薄情で現金な動物であるかが、よく分かる(もちろん私の少ない経験からも)。人間や組織は、保身の為なら、かつての愛人であろうが「献身者」であろうが、平気で切り捨てることが出来る。絶頂を極めた人間ほど人間関係の浮薄さを知り抜いているものだ。政治家や経営者に特有のあの「疲れた眼光」は、そうした人間論的達観と無関係ではないと思う。極端に言うと、生きている人間など誰一人信用ならない。

この本でも書かれているシャネル晩年の一層強い孤独感は、独裁者の孤独感とどこか似通っている。きっと彼女は、周囲に寄ってたかってくる誰もかもが腹に一物ある小物に、ブランド化した彼女の名前から利を得ようと企む追随者に見えた。中にはシャネルその人に親愛感を覚える人もいただろうが、シャネル自身が既に人間を見離していた。彼女はその名声に引き換え、孤独を貫いて生きた。あたかも孤独が自分の成功を裏付けているというふうに。 シャネルのように孤独を肌身に感じながらも世界を躍進する生き方は、誰にでも出来ることではない。彼女のダンディズムがいまの私には随分恰好よく見える。 窮屈な時代に必要なのはシャネル風の「奔放な自尊心」、あるいは、あらゆる死後硬直に「ノン」を言い渡せる苛烈さなのだ。

ココ・アヴァン・シャネル 上―愛とファッションの革命児 (ハヤカワ文庫 NF 350) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ココ・アヴァン・シャネル 下―愛とファッションの革命児 (ハヤカワ文庫 NF 351) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

デズモンド・モリス『マンウォッチング』(藤田統・訳 小学館)

お盆で実家に戻った折読み返してみて、やっぱり面白いと思ったのはデズモンド・モリスだ。(刊行後半世紀近く経つので)いまではやや賞味期限切れの観もあるあの『裸のサル』(一九六七年)の著者。この人は一般向けに実に面白い本を書いている。『サッカー人間学』とか、あと本書の姉妹篇ともいえそうな『ボディウォッチング』とか(私は読んでいない)。

『マンウォッチング』は、ヒトの体や仕草を動物行動学者の観点から入念に観察したもので、ポップなタイトルとライトな表紙デザインの割には一一の分析が相当突っ込んでいて(聖域なし)、多分どんな階層のどんな人間が読んでも膝を打つこと頻りだろう。

ことさら面白いと唸ったのは、下巻の「転移活動」の章。要するに緊張した時に生じる代理動作のことだが、よくよく反省すれば誰にでも身に覚えがある。初対面だったり、あるいはまだよく慣れていない人と喫茶店で向い合っているときにやたらとスパスパ煙草を吸ったり、コーヒ用のスティックシュガーの袋を何重にも折りたたんで蛇腹状にしている人があるけれども(これ以上畳みきれなくなると渋々戻す)、「転移活動」とはつまりあれだ。内的葛藤にそわそわを隠しかねている喫煙者にとって必要なのはニコチンだけではないわけで、ポケットから煙草を出したり火を付けたりするという動作もまた重要になってくる(双方が喫煙者であれば互いにとって好都合となる。火を分け合いながら相互の不信感を解きほぐせるからだ)。

もしこうした必要動作がなければ「手持無沙汰」になってしまって、遅かれ早かれ相手の眼を必要な程度に見なければならない。およそ見ず知らずの人と視線を交わすことは「きつい」。 当人がどのくらい自覚しているかはともかく、人間は常に社会的な緊張状態にある。見たことの無い人は全て敵とはいかなくとも、不穏な外的存在なのである。こうした対人不安はヒトという動物においては普遍的だ。一見神経の太そうな実業家や人を食ったような寄席芸人も、他者に対してはやはり相当に身構えている。登壇して誰の記憶にも残らないお説教を垂れ流す校長先生でも、政府の仏頂面した官房長官でも、教会の牧師でも、事情はそう変わらない。今日の我々はヒトラーの演説を映像でじっくり見ることが出来るけれども、彼がその内的なオドオドを隠しきれていないのは誰の眼にも瞭然としている(そういえばウォーターゲート事件中の記者会見に臨んだニクソンの手は明らかに震えていた)。石原慎太郎がぱちぱちまばたきをしたり、喋っている最中の西村博之がやたらと体を動かすのも、興味深い事例。

フランス文学者の多田道太郎は『しぐさの日本文化』(これは大変に良い本だね)のなかで、そもそも生身の不特定多数者との交渉は人間の生理的限界を超えたことではないかと嘆息していたけれど、この一文で私は著者の内実に入り込めた気がした。それはそうだ。一体この世界のどこに「傍若無人」な人間がいるだろう。自分が他人の眼差しのもとにあることを殆ど気にしないような人間は、ちょっと想定できない。気違いを装っている患者が崖の危険性を「正しく」理解しているように、恥も外聞もないように生きている人間も他人の眼差しを忘れていない。傍若無人をなんとか演じているだけだ。 だから、見知らぬ人びとの前でソワソワするのは、彼彼女が「繊細」で「臆病」だからではない。人間であるからだ。もちろんその程度や隠し方には個体差があるけれども、それらが、人間という動物の極めて基本的な反応であることには変らない。ソワソワオドオドビクビクほど人間的な所作はないのだ。

人間行動の本を読むと、その眼差しをすぐ自分に向けてしまう。 私は、口唇に何かを含むのは好きだけれども、喫煙癖はない。だから、初対面で人と向き合うときのそうした常套的緊張緩和手続きを何か別の所作で補わなくてはならない。女性が自己愛撫によく利用するような長い髪の毛もない。弄ぶほど豊かなヒゲもない。耳たぶをつまんだりする癖もなさそうだ。チック症のような瞬きもない。貧乏ゆすりは見苦しいので無理をしてでも抑止する。 してみると袖や鼻先でもいじくっているのかもしれない。分かった。そういえば私は、散歩のときでさえ、手ぶらで外出していない。『ピーナッツ』のライナスがいつもお気に入りの毛布を持ち歩いているように、折りたたんだり伸ばしたりできるような「何か」が手元にほしいのだ。それはメガネ拭きでも布袋でも何でもいい。とにかくこうしたものがないと妙の落ち着きが得られない。あたかも武具を忘れて戦場にあるような不安に駆られる。しかしそうした所持物が手の内にあるだけで、いざというときに身を隠せるような気がするのだ。

いまこうしたことを考えてみただけでも、人間の心許なさを再度痛感する。 「人間とは何か」などと大仰な題を持ち出すよりも先に駅前を行き交う人びとをぼんやりと眺めている方が、ときには面白い。 何かを言うたびに鼻をすする人、手の甲を鼻下にあてがう人、足の組みかた(左足が上か、右足が上か)、不遜にお釣りの受けとる人。玩具の水飲み鳥みたいにペコペコ頭を下げて名刺を渡している人。自分の股間ばかりさわっている人。いつも顎を撫でている人。風邪でもないのに咳払いばかりしている人。スマートフォンを片手で「器用」にいじりながら髪に手櫛をかけている女子高生。俺の縄張りだといわんばかりに足を広げてベンチに腰掛ける男子高生。生きていてすみませんとばかりに隅っこの方で丸くなっている人。

生きにくさ云々以前の、「そこにある」という途方も無い居心地の悪さ。所在無さ。不愉快。虚しさ。周囲世界に何とか溶け込もうと、ヒトは無意識裡にもがいている。そのもがきのバリエーションは、ヒトに至っては見渡せないほど豊かで切ない。

マンウォッチング〔文庫〕 (小学館文庫)

ロベルト・ヴァルザー『ヤーコプ・フォン・グンテン』(藤川芳郎・訳 集英社)

先週、何かのきっかけで、ふとロベルト・ヴァルザー(スイス 一八七八~一九五六)を読んだ。

「若いカフカが強く影響された作家」というレッテルの下で、一部ではカルト的な敬愛を集めてきたヴァルザーだけれど、私もこの作品に広がる瘴気にやられて軽い後遺症を得た経験がある。何とはなしに読みはじめると、相当内臓に応える。何かに喩えるなら、それは、異国の阿片窟で闇鍋をつつくのに似ている。鬼が出るのか蛇が出るか。しかし人間しか出てこない。 終始一貫、彼の語りのなかに「救い」がない。「救い」というのは得てして干からびた自己欺瞞の帰結でしかないことを、彼は心底から知っている。

私の思う所では、文学の目的は、ひとつの「呪い」か「夢想」を如実に表出することにある。この任に堪えないものは一切を閑文字として切り捨ててもいい。 およそ「眼の前の世界」は、「人間」に考えられる限り「最悪」のものだから(*)、この「最悪」の世界に「人間」(いま・ここ)はどのような反抗を示せるか、ここに文学のギリギリの生存価値がある。文学は雅な美文を書き連ねる有閑趣味などではないし、また、現在する社会の「矛盾」をありのままに記録する媒体でもない。すくなくとも私にとってそれは、餓死寸前の放浪者が最後の希望を寄せる蜃気楼のようなもので、「世界はこうあるべきだった」という憤怒の夢想がそこに脈打っていなければならない。あるいはそれは、「此処でない何処かへ」の根源願望といってもいい。ところで、この悲痛極まる願望の秘密は、それがはじめから挫折しているところにある。その「何処か」には人間の居場所はない。「何処か」は夢想対象以上ではないのだ。「救い」の本質は、それが到頭見いだし得ない点にのみある。 「此処ではない何処か」ヴァルザーやカフカは、ここにある矛盾を心臓を以て理解していた。

*【「苦しみ」が問答無用に「絶対悪」であることを詳述する余裕は、今はない。けれどもこれは緊密な議論に値する問題なので、いずれ濃密に取り上げねばならない。 いずれにしても、「善」というのは概して消極的な価値概念であって、ごく単純にいうなら、それは「苦しみが現前していないこと」に他ならない。あらゆる「苦しみ」は如何なる「意味づけ」によっても中和されない部分を、常に内に含ませている。「苦しみ」は「それでもそれがあってよかった」と済ませられるようなことではないのだ。「苦しみ」が絶対悪であると考える以上、私はそれを構成させている社会的・歴史的条件をあらゆる面から否定しなければならない。「苦しみ」は弁護不可能な被告人なのだ】

作品設定は、そう入り込んだものではない。 架空のベンヤメンタ学院に寄宿している五六人の生徒と先生が数名出てくるだけで、全体の物語りは一人称の「日記」形式で進行する。ここには「人に仕える人間はいかに振る舞うべきか」を教える授業しかない。この学校は、高望みすることのない召使いを養成するためにのみ存在している。それだから、ここの生徒たちはみな、自分たちが如何に取るに足らない人間であるかを自覚させられる。彼らは、社会を下から支える人間の美徳だけを学べばいいのだ。 こうした設定の寓意をあれこれお喋りするのは野暮に思える。「人の役に立つ人間になれ」「社会に奉仕せよ」などと四方に吐瀉物を投げかけている人物の大部分は、多かれ少なかれ、このベンヤメンタ学院の教師と同じフロアに立っているのでないか。「労働力」「生産人口」「社会人」という類の用語群もおよそ得体が知れないので、近頃の私は殆ど使わなくなったけれど、周囲の人たちは特段気にならないみたいだ。一体口にするだけで胃がむかつきを催すような言葉が、世の中には多すぎる。「就職活動」とか「賃金労働」と呼ばれている現象は言うに及ばず、「人生の目的」「恩返し」「ふれあい」「絆」 耳触りのいい言葉には、何か言い難い不潔さが付きまとう。ヴァルザーのように感じやすい人間は、あらゆるもののなかに「ベンヤメンタ的」な何かを暗に感じ取る。彼は無性格な人間にはなれない。 「世界を征服するつもりでいるこの小僧め、いいか、世間、つまり外の世界に出たあとではじめて、職につき努力し格闘するようになってからはじめて、大海のように果てしない退屈、単調な生活、孤独が君にむかって大口をあけてあくびをするだろう」

この作者の凄みは、その異様なまでの神妙性にある。世の平凡な厭世作家のようにピイピイ泣き言を書き連ねる悪趣味ほど彼から縁遠いものはない。 彼にあっては、絶望の中にも一定の節度が保たれている(こうした静観を装った作法の中にこそ彼の叛逆心が息づいているのだ)。 「世間というものは病弱で感じやすい人間にたいしてはおよそ信じられないほど乱暴で高圧的で気まぐれで残酷」(藤川・訳)であること、そして、ある種の人間にとっては人生など「落胆と恐怖をもたらす不快な印象とがつなぎ合わされた鎖に過ぎない」ことを、語り手は生々しく直観している。けれども彼はそうした陰鬱な自覚を堅持しながらも実に奇妙な達観を得ている点で、他の愚鈍なメソメソ小僧連とは一味違う。 作品終盤に、作者の基本的なスタンスを窺わせて余りある告白が見いだせる。 「僕は人生を呪ったりはしないだろう、呪ったりするには、人生はとうにあまりにも呪うにふさわしくなっているだろうから、またもはや悲しみも感じないだろう、とうに悲しみをその激しい痙攣も一緒に底の底まで感じとり感じきってしまっているだろうから」。

総じて掴みどころのない鵺的作品だ。けれども、読み方に規格を設けるには及ばない。 文学は、めいめいがめいめいの感じ方で受容するものだ。先日、外山滋比古の『異本論』をたまたま読んで余程感心したのだけれど、そのなかで彼は、書写や翻訳や十人十色の受容を通して初めて「古典」が生まれる次第を力説している。読者の理解がなければ書物は残らないのだ。書物は自分だけで育って自存できるものではない。「このように読まなければならない」という規律は、普通、作者さえ知らないのだ。

ところで、外国の文学作品で設定が寄宿生となると、私などはどこか同性愛的な色合いを求めたくなる。この作品にも、やはり、そうした要素がある。同性愛は生殖機能が関係してこない分、とても美しい関係に思える(淀川長治が「男と男のいる映画」を特段好んでいた理由は総じて、そのあたりにあると私はみている)。

生涯を通じて「統合失調症」と切り離せない作者のことだから、さぞグロテスクな幻覚描写に満ち満ちた内容だろうと踏んでいたものだけれど、存外にその筆致は冷静・緻密であったがために、終始ウンザリさせられることがなかったばかりか、所々の微毒を含んだ語りの調子に随分引きずり込まれてしまった。 そのムードの一片を示したいので、最後にいくつか並べてみよう。

「もともと世間で成功を収めようと努力している人間はみんな恐ろしいほど同じ顔をしているのだ」「僕たちの目はいつでも思想のいっぱいつまった虚空を見つめている」「僕は、どんな類いであれ強制というものが基本的に好きだ、というのも、さきざき規則違反をする楽しみを与えてくれるから。もし命令とか義務がこの世の中ではばをきかせていなかったら、僕は退屈すぎて死んでしまうだろう、飢餓感と不満にさいなまれるだろう」

こうした、観念的で抑制のきいた独白を通して、作者は、自分の「呪い」に形を与える。語ることがそのまま彼の内面となる。むにゃむにゃしているようで実は如何にも筋が通っていて、不思議な快感を起こさずにいられない。

いま、ヴァルザーはもっと真剣に読まれてもいい。もちろん読んでどうにかなるものでもないのだけれど。

集英社の世界文学全種版では、カフカの「審判」「変身」も併録されている)

世界文学全集〈74〉カフカ.ヴァルザー (1979年) 審判 変身 他 ヤーコプ・フォン・グンテン

渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』(文藝春秋)

さだまさしは「療養所(サナトリウム)」という歌で人生そのものがひとつの病室だと熱唱し、辺見庸は人間は一人残らず病人だとあの険しい顔で喝破している。 うん、直感的にも、それはそうだろう。そんなことをドヤ顔で主張されると、何をいまさらという反省がこみ上げてきて、鬢のあたりが痒くなってくる。

病気になってはじめて健康のありがたみがはじめて分かるという風な人生訓があるけれど、そういう「健康」さえ、ある程度譲歩された健康だろう。慢性関節リュウマチに苦しんでいる人から見れば過敏性腸症候群の患者は健康に映るかもしれない。不眠症に悩んでいるだけの人は、うつ病末期の人から見れば「健康」に見える。何が言いたいかって、日常的に使われる「健康」には、大幅な妥協があるということ。「健常者」「障害者」、「病気」「健康」の間に線引きするのは、簡単なようで簡単でない(私は障がい者という表記にはまだ慣れていない)

そういえば、WHO憲章には、こんなことが書いてある。 「健康とはただ疾病や傷害がないだけでなく、肉体的、精神的ならびに社会的に快適な状態であること」

そんな理想的健康に恵まれた人間は、地上にはいない。いたとしても人間の形はしていないだろう。マイクを搭載したセルロイド人形に近い何かのような気がする。もちろん内臓なんかない。人間を病気の缶詰とすれば、内臓はその内容物に違いないから。

「健康」という言葉は、明治期にhealthから訳された言葉らしい。誰だろう。連想のままに書くけれども、ドイツ語から「衛生」という言葉を作りだしたのは長与専斎という人物で、たぶん森鴎外ではない。長与専斎って誰、という人が、結構いるかもしれない。あの小説家の長与喜朗のおとっつぁんだ。『竹沢先生と云ふ人』を書いた人。いまどき読んでいる人はかなりの好事家だろうね。理想に陶酔するお坊ちゃま集団とか揶揄されることも少なくない白樺族のひとり。要するにもう忘れられてもいいような人。日本近代文学史におけるひび割れた骨董品。言いすぎかな)。     なんで健康のことなど考えているのか。健康とは何か、という切実な問題を前にしたからだ。今日では、健康という語は、平和とか民主主義という言葉と同じくらい内容空疎で曖昧俗悪な響きを内に含んでいる。健康保険、健康生活、健康マニア、健康管理、健康麻雀。文珍師匠の枕を拝借するなら、「健康の為なら命もいらない」という猛者もいる。

本ノンフィクションの中心人物・鹿野靖明(四三歳で亡くなった)の半生を知ると、その「健康」という曖昧概念が突然ある異様な湿気を帯びてくる。 彼は、筋ジストロフィーという、筋肉が次第に変成萎縮していく遺伝性の難病をかかえていた。いろいろなところで取り上げられているからか、近頃では、病名だけはそれなりに認知されてきているみたいだ。当然病気のすべてが解明されているわけでない。

詳細は読んでほしいのだけれど、重度の「障害者」である彼は、あえて民間のボランティアの協力で生きる「イバラの道」を選んだ。 渡辺氏によるこの労作は、そうしたボランティアの現場をなかなか入念に報告したものだが、たぶん読んでいない人はこの段階で既に「ああ、巷によくある美談ものね」とため息をついて軽いウンザリ感に包まれてしまうだろう。「生きる勇気をもらった」とか「生命の尊さを学んだ」という類の、およそ毒にも薬にもオブラートにもならない「模範的」言辞で溢れかえっている、そんな二十四時間テレビ式の薄っぺらいヒューマン・ドラマを想定してしまうに違いない。

本書にはそうした趣はない。

その程度のものだったら、私などは短気だから、数ページ目を通しただけで市役所前のリサイクル・ボックスに叩き込んで別の本を読み始めていた。感動など、私は、したくない。感動はただの結果であって目的ではないのだ。涙はいらない。映画にしろ小説にしろドキュメンタリーにしろ、日夜「公の感動」が大量に生産されて不当廉売されているこのお涙超大国(巧妙な洒落になっているね)で、どうして今更そんな安価な模造パールを求める必要があるだろう。 渡辺氏のこの報告書には、そうした誤魔化しがない。私の大嫌いな、あの低級なビルディング・ロマン特有の感傷臭ささが、殆ど感じられない(嫌な部分はあったけれども)。

ボランティアを希望する学生たちの心理的挫折も生々しく書かれているし、関連するトラブルや喧嘩の数限りない逸話も面白い。それにしても、全面的な介助に依存しなければならない鹿野晴明の並外れた「わがまま」や「生きることへの執念」には、正直のところ驚嘆させられた。けれどもすぐに、プライバシーが皆無なうえに基本的な自尊心を維持するのが極めて困難であるという肉体的・心理的限界条件が、彼のもともと激しやすい心をますます鋭敏にしている、と私は察したのだ。母親の保護なしでは生きられない乳児の自己主張と、それはどこか似ている(考えてみれば、人間という動物はおおむね、無力状態に始まって無力状態に終わる。要介護状態にある老人がミキサー食を口に運んでもらっている光景をみていると、どうしても乳児や被介護老人のそれと二重写しになる。オムツをはめ、髪の毛は抜け、言葉も明瞭性を失っていき、大抵はわがままになる。老人と乳児の間に違う点をひとつだけ挙げるとすれば、それば、老人の方が赤ちゃんよりも明らかに薄汚くて、自然な保護感情がくすぐられないことだ。それだから痛々しい虐待事件や放棄も少なくない)。

他者なしでは文字通り一日も生きられない、という無力感は、その人の人格にどう作用するのか。 生きるのが極めて困難な条件下にある彼が、あれほど生命を漲らせているという事実を、私のような体質的ペシミストは、どう受容すればいいのだろう。 このように意志と肉体の分離した状態を生きている冷厳たる事実を非当事者が「理不尽」などと称して嘆いたふりをするのは随分簡単なことだけれども、本を読み終えたいまの私には、それがいかに浅薄な芝居であるかがよく分かる。死と隣り合わせなのは誰だって同じだが、鹿野靖明にとってそれは決して抽象的なものではない。もし深夜に医療機器が故障したら、もし必要なボランティア人員が集まらなかったら、発作が起こったら、そう考えるだけでパニックに襲われる(私も人の紹介で筋ジストロフィーの患者を何度か訪ねたことがあるけれども、彼はパニック障害を持っていると言っていた)。その恐怖は一通りではない。

鹿野という男は、何かにつけて安易に「尊厳死」の発想を持ち出す現代風潮へのアンチテーゼを引き受けているふうにも思えた。次々入れ替わる若いボランティアを独裁者さながらにこき使い、プレゼントが気に入らないと他のに代えてくれと要求し、不快であればすぐさま喧嘩腰になる彼の自我の強さは、読中ひどく乱暴に映ったけれども、指先一つ自由に動かせない彼の無力感を汲みとって反省してみれば、それももっともなことのように思えるのだ。 「生きたいのに生きられない人がいるのに」という種類の干からびたセリフを吐き散らす以外に能のない感傷屋には到底想像さえ出来ないような途方も無い彼の執念。この際、これを「本能」といってもいいだろう。この執念は、いまでも、私の脳裏を離れない。恐怖と不愉快と憤激に裏付けられた、自暴自棄一歩手前の、反逆。この本は決して「心温まるヒューマンストーリー」ではなく、突然の難病に身体的自由を剥奪された男の悲痛のドキュメントである。

読者はおそらく、社会的弱者として一方的に介助されるだけの「障害者」像の見直しを強いられる。受け身なだけでなく、自ら「こうして欲しい、ああして欲しい」と口うるさく要求し、嫌な目にあうと「それは不愉快だ」とはっきり主張できる、極めて主体的で強かな「もの言う障害者」の存在に、一再ならず目を見開かされることだろう。

タイトルは、夜更けに突然バナナを食いたいとリクエストしたエピソードから取られている。夜更けとバナナという取り合わせが妙な滑稽感をつくる。出来過ぎているから、たぶん編集者の提案だろうな。

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)

ティモシー・ライバック『ヒトラーの秘密図書館』(赤根洋子・訳 文藝春秋)

扇情的大胆な邦題が妙な誤解を与えかねないけれども、こうした趣向の本としては最後まで結構面白く読めた。せっかくの識字能力を積極的に活用しない人はともかく、多くの人は自分だけの「プライベートライブラリー」を持っている。短い生涯のうちで貧弱な脳髄しか持たない人間が直接経験できることなどたかが知れているのだから、書物から何ごとかを吸収しようとしない人間の頭はどうしても狭小になる。というよりも、人間は元来知るということに途轍もなく飢えた動物なのだ。「どうしてこのようなことになったのか」、「どうしてこれがそこに存在しているのか」という問題を死ぬまで問い続けることのできる執念の動物なのだ。計算のさなかに殺害されたというアルキメデスの戯画的な逸話や、麻酔薬の試験内服妻で妻を失明させた華岡青洲の逸話などは、人間の知識欲の一端をよく物語る。

一面、知ることは半ば所有することで、「貴重な知識」「秘密」を握っていることは、何かしらの点で広く問題を見渡せる視野を得る(あるいは、得たような気になる)ことでもある。「情報」の価値が国際的に重視されるようになったのは、わりあい最近のことだ(各地の金融市場の速報などが商売になると認識されはじめたのは、ロイター通信の創始者P・J・ロイター(一八一六~一八九六)の頃からで、この通信社は二〇世紀初めまでの間、この分野で独占的な地位を占めていた。おそらく、各都市に分散していたユダヤ系ドイツ人は、情報が金になることを肌身で知っていたのだ)。

いずれにしても、「知る」という欲望のなかには、実利的な面もあれば、まったく実利的でない面もある。「知識」や「情報」は、所有者の裁量に始めから委ねられている。 本書は、ヒトラーの蔵書と読書歴という切り口から、彼という人物の一端を見ようとするものだ。彼は努めて功利的読書にこだわる男だった。 その辺にいる善良な市民の蔵書内容など少しも興味をそそられないけれども、あの第二次世界大戦の大きな一因をつくり二〇世紀に巨大な痕跡を残した一国家指導者の愛読書となると話は別だ。近代ヨーロッパに噴出したこのアクの強い「個性」は、何をどのように読んで育ったのか。 何もヒトラーに限らない。ビスマルクであれナポレオン一世であれムッソリーニでれピョートル大帝であれ近衛文麿であれ、「歴史上の人物」の思想形成に影響を持った書物となると、どうしても無関心になれない。人びとは強い関心を向ける。一冊の書物が、こうした人物(そしてその取り巻き)の政治判断や政策決定に何かしらの影響力を持っていないとは限らない。私などはそう考えてしまうからだ。

書物には書物固有の運命がある。

私はかつてトマス・カーライルの『衣装哲学』に打ちのめされたものだけれど、彼の本は戦後にあってはおそろしく不遇らしい(一応主要な著作は翻訳はされているし、著作権の切れたテキストを無料公開しているサイト・グーテンベルクプロジェクトで主著の原文を読むこともできる。もの好きな人はぜひ)。たぶん彼の英雄崇拝思想が時代のファシズム体制のなかで大いに活用されたからだろうけれども、それだけで殆ど読まれなくなるには惜しいくらいのコクが彼の文章の内にはある。ともあれかつては大変広く読まれていたのだ。今では前振りなしでは引用もできない。そういえば、ヒトラーは彼の手になる『フリードリヒ大王』を随分好んで読んでいた。カーライルの文の調子にはどこか異様な気迫がある。

ヒトラーはその生い立ちと気質のせいで知的コンプレックスの非常に強い男だったから、猛烈な読書によってなんとかそれを補おうとした。ここで私はどうしても毛沢東を思いだす。やはり彼も熱心な読書家だった。水滸伝批判は有名だし、田中角栄が訪問した際には意味ありげにも『楚辞集注』を送っている(これについては俗説を含めて多様な会解釈がある)。長く侍医をつとめた李志綏によると、彼はベッドの上でよく古典の解釈を繰り広げていた(『毛沢東の私生活』)。古代中国の統治論や戦略論が現代にどのくらい適用できるのかは知らないけれども、一国の長である以上は常に万事学ばなくてはならぬという気概はあったのだろう。ただし彼は外国語が読めなかった。マルクスエンゲルスもレーニンも系統立ててまともに読んでいない。

広汎でありながら極めて恣意的なヒトラー流の読書作法は、大統領と首相と党首の全権を束ねた「総統」という強大な権力と結びつくことで、大なり小なり現実世界に具体的影響を及ぼした。横町の隠居の無害な読書作法と決定的に異なってくるのは、その点においてである。カーライルによる伝記でいうところの「並外れた人物」に自らがなろうとしたのだ。

彼は読書というものを、「自分が元々抱いている観念という「モザイク」を完成させるための石を集めるプロセス」にたとえている。目次なり索引を最初に読んで、自分の世界観に利用できる情報を意識的に探し出すのだ(我々の方ではこうした態度を伝統的に、「牽強付会」とか「断章取義」などと読んでいる)。それだから彼の思想的初期設定は書物によって覆されることはなかった。ただ無骨に武装されるだけである。本来自由に発想するための読書を単なる補強手段としてみていなかったのは、残念なことと思う。彼の読書作法がもっと柔軟なものであれば、などと考えてしまう。

彼はおよそ一万冊以上の蔵書を持っていたとされているものの、当然ながら、全て読まれたわけではない。彼は学者ではないし、そんな時間もない(読書は時間がなければできない)。ヴァルター・ベンヤミンがあるエッセイでいうのには、だいたい人は自分の蔵書の十分の一くらいしかちゃんと読んでいないそうだ。この見積もりにはそれなりの根拠があるようだが、私の肌感覚では、おそらく、十分の二くらいである。千冊の蔵書があれば、そのうちでしっかり読んでいるのは、せいぜい百冊から二百冊くらいだろう。すくなくとも所有している本のすべてに目を通している人はいない。もしそういう人があれば、それは虚栄から出た嘘だ(ときどきテレビに映る学者の背景にはよく厚い洋書のびっしり詰まった本棚があるけれども、彼がそれらすべてをしっかり読んでいると思ったら大間違いだ 。あれはただ彼彼女の発言を権威づけるために利用されているだけだ。誰でも知っているか)。

それにしても、一国の指導者ともなると頼んでもいないのに方々から献本されて、蔵書が自動的に膨らむものらしい(当然、書籍購入費にも事欠かない)。羨ましいと言えば実に羨ましいが、じっくり読む余裕と忍耐力ないのは、やはり不幸なことだ。

もうそろそろご飯が炊けそうなので、話は飛躍する。

ヒトラーの述懐によると、彼が最初に熱中した本は、カール・マイ(一八四二~一九一二 当時の少年少女に愛された国民的作家)の冒険小説『砂漠への挑戦』だった。そして『ロビンソン・クルーソー』『ガリバー旅行記』『アンクルトムの小屋』に並んで、『ドン・キホーテ』を世界の傑作に位置づけている。彼もまたギュスターヴ・ドレによるあのロマン的な挿絵に魅了された素朴な読書人だった。こうやって彼の月並みな読書歴に触れて見ると、ヒトラーが等身大の人物に思えてくるから不思議だ。後に悪の象徴として語られる「独裁者ヒトラー」のイメージとは、どうしても重ならない。

政治家となる決意を固めると、彼の読書は一層生々しいものになっていったようだ。マーキングだらけの本もある。 古典的な歴史書、都市計画の書、マディソン・グラントなるアメリカ人による優生学の本、アーリア人種の使命を説いた本、ニーチェヒトラーはあまり彼の本が好きではなかった。というよりも彼には哲学的センスが絶望的に欠けていた)、ワーグナーの芸術論、ヴァチカンによるナチス分断工作の「告発本」、今でもよくあるようなオカルト本、反ユダヤ思想を鼓吹する書、有効な戦術を説いた書(彼の蔵書の半数は軍事関連だった)。

まだいろいろ言いたいこともある。 けれども、ぎゅっと一言に圧縮させて言うなら、良きにつけ悪しきにつけ書物は人間に指針を与えうるということだ。書物は人に行動の根拠を与え、判断の裏付けを与える。ひとりの人間(あるいは集団でもいい)の宇宙観、政治観、人間観を、知らないうちに形作る。 「聖書」は今でも多くの人々の救済観や死生観を根本から規定しているし、アラブ諸国ではコーランと法律は切り離せない。ケインズの論文はいまだに政府投資が必要とされる際に言及される。『アンネの日記』は迫害されてきたユダヤ人への同情を世界規模で集めた。『アンクルトムの小屋』は南北戦争の一因とされている(いや本当かい)。 「ふざけるな。書物なんかで歴史や人生が変わってたまるかい」などと反発してしまう反面、たしかに、書物の発言力や呪術が無視できない場面も少なくない。「書物が時代をつくる」というのはやや過大評価のきらいがあるけれども、「たかが書物」とは言えない書物も歴史上多くある。そして重要なことは、そうした書物が必ずしも普遍的な知を提供するものではないことだ。現在「古典」とされている書物群のなかには、(私の眼からみて)ずいぶん下らないものが多くある。怪しいものもある。偏見に満ちた本もあるし、誇大妄想気味のトンデモ本も多くある。それでもある時代のなかで「書物の知」は大きな潮流を形成しかねないのだ。

アドルフ・ヒトラーの「民族観」や「政治観」は、その時代の知的風潮や経済事情とは明らかに切り離せない(環境や集団は「個体」に先行する)。そして、そうした物事は、時の書物の中に刻印されている。ヒトラーがどこまで「時代の子」であったかは、彼が影響された書物をよく踏査することで、ある程度までは分かるだろう。為政者と書物の関係は、もっと詳しく研究されてもよさそうだ。

(そういえば手塚治虫ヒトラーファンだったみたいですね。画家くずれでルサンチマンまみれの男が最高権力者にまで上り詰めるなんて人生は、たしかに稀有です。凡人よりも悪党のほうが興味に尽きない分、書く人間としては好ましい)

ヒトラーの秘密図書館 (文春文庫)