書痴肉林・蟄居汎読記

佐野白羚の古い雑文の一部を(たぶん)定期的にひっそり掲載します

安達正勝『死刑執行人サンソン(国王ルイ十六世の首を刎ねた男)』(集英社)

安達正勝『死刑執行人サンソン(国王ルイ十六世の首を刎ねた男)』(集英社
人間にとって「首を斬られる」ということは何を意味しているのだろう。そこには単なる「絶命」以上の含みがある。しばしば「首」は殆ど「頭」と同義的に使われていて、その「頭」には「顔」という固有の意味単位が深く刻み込まれている。この「顔」というのは、大雑把にいうと、個体を識別するための極めて重要な表徴となっている。遠くからでも何となく田中さんとか鈴木さんは認識できるけれども、ある程度の距離において眼差しが自然に向けられるのは、第一に「顔」だ。各パーツの配置はこの際問題ではない。ともかくまず「顔」があること、「顔」が「顔」として把握されることが重要なのだ。「顔」は人格の看板であり、情緒の指標であり、意思の媒体でもある。「顔」は彼彼女の「何ものか」を最初に物語る。面識の有無にかかわらず、「顔」は人格把握の「確実な掴みどころ」になる。そのように、彼彼女の「何ものか」を如実に示している顔(首・頭)を切り落とすということは、その人間の存在根拠を儀式的に否定することでもある。言い換えてみれば、「首を斬る」ということほど、その人間の「死」を実感できる行為は他にない。この実感を得るのには、ショック死でも窒息死でも十分ではないのだ。首が落ちて初めてその人間は「死ぬ」。斬首刑による主だった象徴性はここにあると、私は思うのだ。
それにしても、この「首」と呼ばれている、胴と頭の連結部分は、極めて「繊細」な形態を示している。この細くて時にはエロスさえ感じさせる肉体通路には、生物の息の根を止めるのに恰好な構造的特徴がある。つまり締めやすいし切りやすいのである。首は人間にとって公然たる弱点なのだ。強盗が犯行の目撃者を大仰に締め殺すような場面は、B級の刑事ドラマではありふれている。こんな殺し方でないと、どうにも悲劇性が出てこないのだ(嫉妬に狂ったオセロがデスデモーナをどう殺したかを想起すればいい。今村昌平監督の『復讐するは我にあり』で緒方拳が熱演した絞殺シーンでもいい。枚挙にいとまなしでしょう)。
言葉の面でも「首」は面白い。「首を切られる」とか「首が回らない」という言い方ひとつにも実に色々の含みがあって、そこに歴史の堆積を感じずにはいられない。金がないのは首が無いのと同じ、というふうな大阪商人の口伝には、おそろしく冷厳な現実感覚が血糊のように沁み込んでいる。この実感には誰にも否定できない迫力がある。
余談だけれど、たしかビアスの『悪魔の辞典』のなかに、ギロチンによる斬首刑と欧米式の「やれやれ」ジェスチャーを関連付けている箇所があった。首をひっこめて「ウンザリだわ」感を示すあの「おどけた」ふうのジェスチャーを、英語ではshrug(シュラッグ)という。そういえばあのポーズのなかには、危機を察して首をひっこめる亀っぽいところもあるし、斬首を思わせるところもある。あのジェスチャーをするごとに人は自分の首を守っているのだ。こうした観察は一見ふざけているようでなかなか鋭い。
本書には、フランスで代々死刑執行を務めて来たサンソン家、とりわけて四代目シャルル-アンリ・サンソン(一七三九~一八〇六)の平坦ならざる人生が描き出されている。見様次第ではこれはフランス革命期の裏歴史でもあるし、ギロチン考案にまで至る血生臭い処刑・拷問史でもある。処刑業務が世襲制になっている国はよくあるようだが、当時の王政時代のフランスでもそのような伝統があった。たしかに処刑などは、誰もが好んでやりたがるものではない。行政機関の末端にありながらもある種の「賤しい」独占業として、サンソン家に任されてきたのである(ちなみにこの一家は代々、薬や解剖学の研究にも熱心で、報酬を受け取っては医術のような副業もこなしていた)。
キーワードは革命と人道主義ギロチンだ。
フランス革命については色々な本がいろいろな手法で熱心に説明している。一言でいえばブルジョア革命。(年号の覚え方では)イキナリバキューンのバスティーユ襲撃(一七八九年)から人権宣言公布、立憲君主政を経て第一共和制樹立、ルイ十六世の処刑後のジャコバン派の恐怖政治、テルミドール反乱後の総裁政府を経て一七九九年のナポレオン独裁まで。一息で駆け抜けることが出来る。この事件項目のみを列挙した数行のうちに、いったいどれくらいの波瀾と歓呼と絶望と死体と血涙があったのだろう。その一連の革命事件の原因を把握するのは一筋縄ではいかないけれども、とりあえずの間に合わせとしては、王国政府の財政危機とアメリカ独立、当時盛んだった啓蒙思想などの要因を挙げるのが通例になっている。革命前に厳としてあった、身分制度(僧侶・貴族・平民)と封建特権の絡み合った社会体制のことを、アンシャンレジームといいます。フランス革命はこのアンシャンレジームをダイナミックに否定した点で、やはり相当に大きな出来事だった。世界史の観点からみても(だから教科書ではかなりの行数が割かれていますね)。
その激動の時代変遷に連動するように、処刑方法も変わる。
いまでは些か想像しにくいことなのだけれど、ふつうギロチンと通称されているこの斬首装置は、〈自由と平等〉の理想が謳歌される人権賛美の風潮のなかから産まれたものだった。頭を西瓜みたいにスパッと切り落とすギロチン処刑に苦痛が少ないのかどうかは別問題にしても、広場での処刑が当たり前だった当時(ちなみにフランス最後の公開処刑は一九三九年)、そうした簡便さや非嗜虐性が人権派の人びとに歓迎された理由は想像にかたくない。「すくなくとも人道的な方法で殺すべきだ」という時代的無意識の要求は今日では何だか随分奇妙に響くけれども、見るに忍びない当時の処刑事情に目を転ずれば多少は合点がいくものだ。
それまでは拷問につけ処刑に付け、およそ酸鼻極まる苦しめ方が、事実としてあったのである。犯罪者を取り巻く人々もその残虐な執行風景を一種のショーとして見ていた。執行する側の体制にとってはこれ以上の「見せしめ」はなかったし、群衆にとってはこれ以上に刺激的な娯楽はなかった。けれども鋭く良心的な感受性の持ち主にとって、こうした風潮は否定されるべきものだった。
歴史をさかのぼれば、過酷な刑罰など、いくらでもある。もちろん今でもある。専制君主時代のフランスでは、水責め足責め(拷問)、死刑では、車裂きの刑、火あぶりの刑、なかでも悪名高いものとして、「八つ裂きの刑」がある。一七五七年にルイ十五世を暗殺しようとしたダミアンがこの極刑に処されている。これがどんな苦しみを呈する処刑方法であるかは、その筋の本に当たってほしいと思う。人間という生き物はなんでこんな奇妙な殺し方を選んだのか、という気持ちにさせる。ことによると嗜虐傾向は誰の脳にも潜んでいて、それがたまたま巨大行政機関を介して表現化してしまうのか。つい先日長野県の少年リンチ事件のことを読みながら思ったのだけれど、個人であれ集団であれ、こうした傾向が暴発してしまうときがあるらしく、私はそれがとても怖い。過度のストレス経験が、制裁という名の拷問娯楽を欲求させるのか。その問題はいずれ。
ともかく、そうした陰惨な経緯を思うと、人道的配慮から発明されたこのギロチンの見え方もすこし変わってくる。ギロチン。創案者である医師ギヨタンの名前に由来するこの首切り装置は、激動のフランス革命期、ルイ十六世夫妻などの王侯貴族をはじめ非常に多くの反市民的階層の人々の首を刎ねた。皮肉なことに、啓蒙派の志した「自由と平等」は何よりもまずこのギロチンによって体現された。王であれ平民であれ、同じ高さにある同じ処刑台そして同じ方法で処刑される時代が到来したのだ。なまじ合理化され処刑負担や費用が減ることで、かえって処刑の嗜虐性が増えるのではないかという危惧もあったようだけれど、ともかくこのギロチンはある面で旧体制の終焉を象徴していた。
それはただの「斬首方法」以上の何か、新しい時代への気負いや不安を静かに物語っていたのだ。
最後にもうひとつ。フランスで死刑制度が廃止されたのは、一九八一年。それまでギロチンは様式を変えながらもしっかり稼働していたことになる。フランス啓蒙思想の要求から生まれたこの処刑道具も、いまでは歴史博物館の一角を占めるに過ぎない。
「人間の首を斬る」とは何を意味しているのか、という問いから発して、また戻ってくる。謎はひとつも解決していないよ。
なんだろうな。ともかくギロチン刑も絞首刑も嫌ですよ。公権力が人殺しするのは嫌なことだ。なんだかこれは違う気がする。直観は倫理そのものを構成するものだ。違うと思えば違うのだ。法哲学がどんな理屈をこねても、この種類の組織的慣例的な暴力には、慣れることができない。慣れちゃあ、まずいでしょう。世の中には慣れてはならないこともあるのだ。
断頭台や獄門台の機能については、まだまだ考えたいことたくさんある。またの機会に。
 
 

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

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